キミがラクダになっても・・・

槇瀬りいこ

キミがラクダになっても

 朝、彼女がオフィスに入ってきた時、いつも通りの笑顔をみられて僕は癒された。


 同期の彼女と僕は、気の知れた仲だと思っている。お互いに悩みを相談し合ったり、たまに一緒に飲みにも行く。彼女の買い物にも付き合わされ、荷物持ちだってする仲だ。


 彼女はとてもかわいい。

ㅤそのかわいさは僕の中でチートレベルだ。

 声も癒し系でほわほわした感じ。

ㅤ例えるなら、春の日の頭がおかしくなりそうな陽気の中で、風に吹かれて飛んでく綿毛のようだ。

 彼女は何を考えているのか分からない時の方が多いけど、そんなところがとても魅力的だ。


 彼女はよく、夜中に眠れない時に無駄に僕のLINE電話を鳴らしてくる。

 

「夜分遅くにごめんなさいね。あのさ、眠れなくて羊を数えていたんだけど、数えてるわりには全然眠れなくて……。数えるのも面倒だから、あなたが代わりに数えてくれないかな?」

 

 夜中にLINE電話で僕を叩き起して、そんな変な要求をしてくる。


 最初は迷惑だと思っていたけど、それが何度か続くと、僕の中ではそれが楽しみになっていった。

 多分僕の脳ミソが、彼女に洗脳されてきたのかもしれない。


 僕は毎日、今日は彼女がどんな変な要求をしてくるのか、少し楽しみになっていた。


今朝も彼女はとてもかわいくて、僕の視線は当たり前のように引き寄せられた。

 僕がN極だとしたら、彼女は絶対S極を持っている。ものすごくドギツイS極の持ち主だ。


 彼女の存在に癒されながらも、僕は今日の彼女に違和感を覚えた。


 妙に背中の筋肉が発達している。


 彼女は最近、筋トレをしていると言っていたが、あんなにも背中を鍛えて何を目指しているんだろう……。

 

 僕は彼女の近くまで歩み寄り、朝の挨拶をしつつ、その背中を確かめた。


 これは……!!

 なんということだ!!

 

 彼女は多分、やらかしている。

 ブラジャーを前側と後ろ側を逆に付けているとしか思えないのだ。


 背中側にコブが横に2つ、まるで品種改良されたラクダのようにある。

 前のバストがいつもよりも潰れているように思えるのは、気のせいだとは思えない。

 

 すごくボケてるよ、今日のキミ……。

 

 でも、男の僕からブラジャーが後ろ前反対だなんて、いくら仲が良いからって言いづらい。

 かといって女子社員に、


『なあ、春野さんの背筋ヤバくね?』


 といって間違いに気づいてもらい、指摘してもらうというのも、彼女の恥を皆に広めているようで心苦しい。

 

 僕は、どうしたらいいんだ……!!

 とたん僕の心臓はバクバクと激しく暴れ出した。

 色々と想像しすぎて、ドキドキが止まらない。


 うすうす気づいていたが、彼女は天然の部類だ。

ㅤいつもボケたことを仕出かして僕をざわつかせる。

ㅤおかげでいつでも僕の心臓は強制筋トレをさせられる羽目に至るのだ。


 そもそもなんでそんな間違いをするんだよ!?


 彼女の今日のナチュラルメイクも、ミディアムヘアの巻き髪も、白をベースとしたマシュマロを連想させるようなシンプルでいてオシャレな服装だって完璧なのになぜだ!?


 なぜ、ブラジャーを後ろ前反対に着けてるんだよ!!


 普通それは体感で気づくものなんじゃないのか?

ㅤ男の僕でも体感で気づくものだと想像できるほどに当たり前の事じゃないのかよ!?

 

 確か昨夜、僕はLINE電話で彼女に羊を千匹以上は数えてあげていた。

 数える途中、千何匹まで数えたか曖昧なところで僕は寝落ちし朝を迎えた。


 彼女をおざなりにしたが故に彼女は眠れない夜を越して、まさか今朝、寝不足で出勤したというのか……!? 

 

 ……だとしたら申し訳なかったよ。


 でもなぜキミはこんなにも僕の心をざわつかせるんだよ……!!

 

ㅤ僕は色々と考えに考えた末、


「……なあ。今日のキミ、背筋がすごすぎるよ。不自然なぐらいにね。自分で触ってみなよ」

 

 と、オブラートに包んだ指摘をした。


 彼女はキョトンとしながら、右手で背中を触った。

 そしてすぐに、面白いぐらいに顔を真っ赤に染めた。耳まで赤くなっている。


「やだ! どこみてんのよ! このヘンタイ!」

 

 彼女はそんな暴言を吐くと、慌ててその場から立ち去った。

 多分女子ロッカーにでも直しに行ったのだろう。


 しばらくして帰ってきた彼女は、何事もなかったかのように涼しげな顔をしていた。


 良かった。


 これで彼女の恥を未然に皆に知られず防ぐ事が出来たのだから。

 嫌われようが、僕は彼女に対して正解の行動を取ったのだと思おう。


 彼女はとってもかわいい。


 颯爽と風を切り、髪をかきあげて真っ直ぐと僕の所へとやってきた。


「さっきはお世話さま」


 彼女は僕に冷えた缶コーヒーを差し出してきた。

ㅤ僕が毎日飲んでいる、お気に入りの缶コーヒーだと言いたい所だが、生憎ミルク入りの物で、ブラックコーヒーではなかった。


 銘柄は合ってるが惜しい!! でも超絶嬉しいぞ!!

 

ㅤこれは彼女の落ち度ではない。

ㅤ常日頃、『コーヒーはブラックがいいね!』 と主張しなかった僕の落ち度だ。

 

「さっきは教えてくれたのに、ひどいこと言ってごめんね。…でも言っとくけどあれ、ギャグだから!」

 

 彼女は視線だけ逸らして、缶コーヒーを僕に押し付けてきた。

 僕は、『ありがとう』と言ってヒヤリと冷たいそれを受け取った。


「そうか。春野さんのことだから、きっとそうだと思っていたよ。おもしろかった。次のギャグも期待してるよ!」

 

 僕は、ギャグだと言い張る彼女の気持ちを否定せず、その冷えた缶コーヒーを封切り一口飲んだ。


 ミルク入りのコーヒーがこんなにも美味く感じるのは、きっとこの缶コーヒーが特別なものだからだろう。僕はその味の奥の奥の、そのまた奥深くまで味わった。口の中で転がしたりして、ワインソムリエみたいに。


「あのブラ、被るタイプのだったから気づかなかったの……。でも、なんとなく違和感は否めなかったわ。…でも、まさかこんな……」

 

 彼女はいじけたように呟いた。


 ギャグって言っておきながら被るタイプだなんてカミングアウトしてくる彼女に、僕はコーヒーを吹き出しそうになってしまった。


 間違いを認めたくなくて強がりたいのか、詳細を暴露したいのか、どっちだよ?

 

「被るタイプのギャグだったんだね。おもしろかったよ。ごちそうさま」


 僕は缶コーヒーを、彼女に乾杯をするかのように少しだけ掲げた。


 彼女は僕の耳元に、


「絶対絶対、ぜーったいに、誰にも言わないでね!」


 と言って去っていった。

 

 その後ろ姿を見送ると、背中にはまだ二つのコブが残っていた。

 

 まだラクダじゃないか!

 何してんだよ!

 僕の心臓は最高潮に暴れだした。


 ……やっぱり、ギャグなのか!?



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