変化の色

槇瀬りいこ

第1話

 庭に流れてくる山水の貯水に、謎のスイカが冷やされてあった。

 小ぶりのスイカの表面には、毎回白の油性ペンで表情豊かな顔が描かれてある。

 ムンクの叫びのような悲劇的な顔や、バーコードおじさんの顔などが描かれてあるから、包丁を入れるのも躊躇われた。


 ここ最近、誰からなのかスイカの貢物をよくいただいていた。いつの間に山水の中に冷やされたのか不思議なぐらいに、スイカをくれる主の姿を見ることはなかった。


 うちの縁側からは豊かな自然が見渡せる。

 その美しい景色を見ていると、自分の存在が自然の一部に溶け込んでしまうような錯覚を起こすほどだ。

 私はいつも通りに縁側の定位置に座ると、大好物のスイカに齧り付いた。 


 口からプッ! っと種を飛ばしてみる。


 渾身の一撃だったはずが、昔出した最高記録ほどは遠くには飛ばなかった。

 それから2度3度とスイカの種飛ばしをしてみたが、小学生の頃の最高記録、石垣の向こう側への距離とはほど遠く、力なく種は目視出来る範囲に落ちた。


 そんなひとり遊びにもつまらなくなると、今度は空を流れる雲を見上げた。


 今日は晴れた暑い夏の日。


 世の中は稼働しているけれど、私は職を辞めていたので今日も休みだ。この先どこかに再就職をする予定もないから、動かない限り休みは続く。


「みさきねえ! イイもん見せてあげる!」

 

 近所の幼なじみの妹が、石垣の隅からひょっこりと顔を出してきた。


 そこに五本並んで咲いている向日葵よりも大分小さな背を屈めてにっこりと笑っている。ツインテイルに結った髪が良く似合う、向日葵の妖精を思わせる元気な女の子だ。

 何が入ってるのか、背負ったリュックサックが大きすぎて、身体の小ささが余計に強調されている。

 おいで。と手招きしようとしたが、それをするまでもなく素早く駆けてきて、私の隣に腰掛けた。

 

 小学生が夏休みに入ってから、近所の家の千尋ちゃんは毎日私に会いに来る。

 小4にしては背丈が低学年ぐらいの小さな女の子を、私はちーちゃんと呼んでいた。


「ねえそれは何? それがイイもんなの?」

 

 さっきから勿体ぶらせて隠すように、幼なじみのお下がりの虫かごを持っている。

 

 何年物だろうか。

 

 確か私達が小学生の頃からアイツは常に持ち歩いては虫を捕獲していたから、かれこれ10年以上前からある大きな虫かごだ。


 持ち手の緑色は、日に焼けてあの頃の鮮やかな緑は色褪せていた。

 

「蝶々の幼虫。和希が取ってきたの」

 

 千尋ちゃんは得意気に虫かごを見せてきた。

 

 この子は私を呼ぶときは『みさきねえ』というくせに、血の繋がった九つも年の離れた兄の事は『和希』と呼び捨てで呼ぶ。

その感じが私からすると違和感があり笑えた。


 カゴの中には、醜い2匹の幼虫がもぞもぞと蠢いていた。


 緑色のぶよぶよとした頭のデカい個体と、緑と黒と、ところどころに赤色の点々が混じった個体。

 

「キモ! なにこれ和希の嫌がらせ!?」

 

 私は全身に鳥肌が立つのを感じた。

 虫かごを避けるように縁側から立ち上がり距離を取る。

 ポツンと取り残された千尋ちゃんは唇を尖らせた。

 

「キモくないよ! よく見てかわいいよ! この子たちはキレイな蝶々になるんだから! しかもこの二匹はとっても愛し合ってるの! 二匹とも種類は違うけど、キレイな蝶々になるんだって、そう和希も言ってた! それで、美咲にも見せてあげなって言ってたんだから!」

 

 なるほど。って、この幼虫の2匹が愛し合ってるとか意味不明すぎるけど、千尋ちゃんとの会話で意味不明だと感じるのは日常にあったから、突っ込むことも放棄した。


 それよりも、和希が私の蝶々好きを覚えていた事に驚いた。

 それに、私の知らないところで私の名前を、以前と変わらずに呼ぶ事もあるんだと、懐かしいような不思議な気持ちになった。


 あいつの記憶の中には、一応、かろうじて、今ではこんなニートになってしまった私がいたんだ……。


 千尋ちゃんの兄で、私とは幼なじみの和希とは、中学を卒業と同時に高校が別々となった。それからの私たちの人生の方向は、ニートと偏差値の高い大学生という真逆な世界へと離れていた。


 その幼なじみに似た、年の離れた小4の妹が、今の私の心の友だ。


 小学生が夏休みに入ってから、千尋ちゃんが毎朝ラジオ体操へと誘ってくるから、仕方なく付き合っていた。私には珍しく、今のところ皆勤賞だ。


 山や川へと遊びに行くときも、オトナと一緒じゃなきゃダメだからと、小学生の子供達の輪の中に入り見守り役をさせられた。

 私は小学生たちの頼りになる姉御のように扱われ、少しだけ自己肯定感がアップしたところだ。

 歳だけ19歳になった私は、精神年齢は小4ぐらいから止まっているのかもしれない。

 千尋ちゃん達と過ごす時間は、まるで昔に返ったように楽しめてしまうから。


「みさきねえ、お願いがあるの」


 千尋ちゃんが両手を合わせてくるから、私は縁側へと再び腰掛けて、何? と問いかけた。


 千尋ちゃんの膝の上にある虫かごを、何となく覗き込んでみる。


「うっわ~。きもい」

「やっぱキライ?」

「うん。鳥肌ものだね」


 もぞもぞと蠢く幼虫は、やはり気持ちが悪く好きにはなれない。

 

「やっぱ私、このキモいのが綺麗な蝶になる想像がつかないわ……」


 だって、こんなにも醜くて生きている価値があるのかと思えるトリハダモノの幼虫なのだから。

 もぞもぞと動くその仕草からして、どんなにこの子と共感しようと努力しても、気持ち悪いとしか思えない。


「がんばって想像してみてよ。この子たちはきっとキレイな色の蝶々に変身するんだよ。…どんな名前なのか、和希に聞いたけど忘れちゃった。でも、蝶々に変身したら分かるよね?」

 

 千尋ちゃんは楽しげに虫かごを覗き込んだ。

 縁側から短い足が地に着かなくてブラブラさせていて、楽しみと言う度にブラブラが激しくなる。


「そう。仮にそうだとして。綺麗な蝶々になったら、ちゃんと虫かごの外に出してあげなきゃだめだよ。……お別れしなくちゃ。お別れなんだよ?」

 

 千尋ちゃんは、私と虫かごを交互に見てから、「知ってるよ」とサラリと呟いた。


 その「知ってる」の響きには、全く悲しみは感じられなかった。

 ただ綺麗な蝶々に変化する事だけを楽しみにしているようで、そんな純粋な心を持つこの子を、私は羨ましく思った。

 

「毎日みさきねえに見せにくるよ。この子達がどうなるか楽しみだね! 一緒に観察してこうね!」

 

 私は、これから何に変化するのかも分からない醜い幼虫を少しだけ見て、頷いた。

 この醜く蠢く生き物が、本当に綺麗な色をした蝶々に変化するのだろうか。


 もしも綺麗な羽の色じゃなくて汚い色の醜い蛾に変化したとしても、この色褪せた虫かごから外の世界へと羽ばたけるのなら、それはそれですごい事なのかもしれない。

 

「そうね。楽しみかも」

 

 そう微笑むと、千尋ちゃんの瞳は輝いた。


「これ、夏休みの宿題の自由研究にするんだ。物語はまだ始まったばかりだよ。だけど私、絵が下手で幼稚園児みたいになっちゃうの。イラストがどうしても幼稚すぎて物語と合わないの……」

 

「観察日記だよね? 物語って一体……」

 

 意味不明すぎて質問するが、千尋ちゃんの目は輝いていて、私の声は届かない。

 

「この二人は愛し合ってるのにお互いにハグすらできないプラトニックラブ中なの。

ちなみに緑の頭でっかちの子がクリスティーナで、緑に黒が混じった子がアレックスね。

クリスティーナは別の親たちの子なんだけど、生まれてすぐに親がいなくなっちゃって…。かわいそうな幼きクリスティーナをアレックスの両親が引き取ったの。

親は違えど兄妹……。結ばれぬ関係……。

だからお互いにテレパシーで約束したの。

サナギになって脱皮して、キレイな羽を持ったなら、どこまでも一緒に自由に飛ぼうって……!!」

 

 なんだそれ……。


「ちーちゃん。幼虫達に名前つけたの? クリスティーナとアレックスって…」 

 

 千尋ちゃんは空を仰いだまま完全にいっちゃっている。


 さっき、純粋に変化する姿を楽しみにしている千尋ちゃんを羨ましがった私の思考は一気に覆された。


 なんて妄想を小4がしているの……。


「……あの、その物語のイラスト、私が手伝うの? ってか、夏休みの宿題の自由研究だよね? 自由研究っていうのは見たままの真実を観察して記録するものだよ? 知ってる?」


 唖然とする私に千尋ちゃんは、


「もちろん! 自由研究って自由が付いてるから自由でいいんだよね?」

 

 と強く頷き、リュックサックの中から観察日記を取り出した。


 ページをめくると、びっしりと文字が敷き詰まっていて、ざっと読んでみると日記と言うより小説のような文章だった。

 観察イラストの部分は、挿絵風にしたいのか、所々に空白が設けられている。

 

「和希がね、イラストなら絵の上手い美咲に頼めば完璧だって言ってたの。だからみさきねえにおねがいします! 一緒にいい作品作ろうね! この子達、これからどうなるのか楽しみだね!!」

 

「……作品?」

 

 唖然としてそれ以上声も出せない私に、千尋ちゃんは懐かしい笑顔を浮かべて笑った。

 


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