カナタ君のドタバタTS生活
夏海ナギ
目覚め
優しい朝日が差し込む5月の日曜日、朝霧カナタは目が覚めた時、何か違和感に覚えた。いつもよりパジャマがダボダボしており、何故か手からパジャマの袖がだらんと垂れていたのだ。
カナタはとりあえずスマホを探そうと邪魔な袖をまくってみた。腕は陶器のように白く、少しねじったら折れそうなほど細かった。
「?」
彼はぼーっとした頭でスマホを見る。黒い画面には自分の顔が映っていた。
「・・・え」
カナタは何かに気づいて慌てて飛び起き、自室の全身鏡の前に立った。
そこに映っていたのは女の子。
黒の艷やかな髪の毛はショートボブになっており、前髪は短く、おでこがよく見えて快活な印象を受ける。
目をくりんと丸く可愛らしく、頬の輪郭はシャープですっきりした顔立ちだ。
パジャマがダボッとしているせいかまるで中学生の女の子のように見えた。
鏡の中の自分は目をまん丸にしてしばらく口を開けていた。
カナタは、首をかしげて、目をパチパチしてみた。すると、鏡の中の自分はしっかりと同じ動作を返してきた。
今度は口の両端を人差し指で広げ、イーッってしてみた。鏡の中の自分もイーッってしてきた。
10分ほどこういうことを続けた。そして彼はすべてを諦めたようにうなだれ、こう呟いた。
「なんで俺なんだよ・・・」
TS病。それはある日突然男が女になってしまうという病である。
これは2年前に日本で流行り始めた病で、医者によると10万人に1人が罹患すると言われている。
治療法はまだ確立されていない。ただこの病にかかった患者は90%の確率で1年以内にもとに戻れると言われている。決して死ぬわけではないのだが、残りの10%の患者は現在に至るまで、未だ男に戻れていない。
「そこまで気を落とさんくてもええのに」
カナタがTSした当日、症状を診てもらうために行った病院の帰り道。カナタの母親が車の運転をしながら、助手席に座るカナタの方をチラリと見て言った。
カナタは死んだ魚のような目で窓の外を流れていく景色を眺めていた。すでに外は日が傾きかけており、眩しいオレンジ色の光がカナタの胸の内を余計に虚しくさせた。
「医者の人も大体の人はすぐ治るって言ってたやろ?」
「だけどさあ、治ってない人もいるって言ってたじゃん」
カナタは声を絞り出すように反論した。そもそもこの病気になること自体がすごくレアだ。そんなことが起きるのであれば、もしかしたら一生治らないかもしれないと、カナタはすごく不安になっていた。
「もし女のままだったらどう過ごしていけばいいんだよ」
「じゃあ、ずっと私の妹になればいいじゃん!」
そう言ってひょこっと後部座席から顔を出したのは少しちゃらっぽそうな女の子。
茶色いセミロングの髪の毛に、耳元にはピアスを開けている。
いわゆるギャルに分類されそうな女の子だ。
彼女は元々細い目をさらに細めていたずらっぽく笑う。
「私、妹ずっと欲しかったんだよねー」
「あれ、美琴姉ちゃんいつからいたの?」
「もうー、カナタンはいけずだなー。お母さんと一緒に最初っからいたでしょ?」
美琴はえいえいっと言いながら、カナタのあどけない頬を後ろからつつく。肌は柔らかく、しかし優しく彼女の指に反発していた。
「流石に怒るぞ」
「やだ、可愛く怒っちゃって、もっと意地悪したくなっちゃうなー」
「確かにカナタも随分可愛いくなっちゃったなあ、美琴の昔の頃を思い出すわあ」
その会話を皮切りに美琴と母親は昔話で盛り上がる。子供の時美琴は生意気だったとか、カナタの夜泣きが酷かったとか、正直今のカナタにとってはどうでもいい内容だった。
カナタは明日からの生活のことを考える。しばらく女として生きるって言ったって、そんなの分からない。一応、病院ではスカートの履き方やブラジャーの付け方を教わりはしたが、だからなんだと言うのだろう。
カナタは自分の顔をドアミラー越しに見る。そこにはとても物憂げな顔をしている美少女がいた。黒髪が美しく光を反射し、1つの芸術作品のようだった。
カナタはこの時、自分が女であることが現実になったのだと自覚した。
「カナタ、とりあえず女の子になった件は担任の先生に連絡しておくからね」
「分かった」
「大丈夫やカナタ、今後女として生きることになってもどうにかなるやろ」
母親はそう言いながらガハハと笑う。このTS病というものをちっとも重くとらえてない。
カナタはカチンときて罵倒したくなった。しかし、今怒っても何も変わるわけがないと悟って、諦めて黙っていた。
「明日からよろしくね、カナタちゃん♪」
姉は相変わらず、他人事なのか楽しそうだった。本当に今後自分は大丈夫なのだろうか。
カナタは不安に押しつぶされそうになりながら、10万分の1を引いた自分の運のなさを恨んだ。
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