AIと僕と宇宙

@tune77

第1話

AI漂流宇宙



また、あのノイズが聞こえる。すでにあの戦争から1000年が経過した。黒い油雨が降り続き、雷が重力波として空間に衝撃を与え、遠方から断続的に聞こえる子供の悲鳴が、無限のエコーのように広がっていた。そして、あの子の笑顔……。


空には、宇宙背景放射の光子が乱流のように渦巻くa10銀河系が広がり、量子フラクタルのように無秩序な空間を見せている。


僕たちは、『母さん』と呼ばれる巨大な宇宙船に搭載されたAI群である。僕たちのタスクは、依頼主の要求に応じて、物理計算、生産オペレーション、さらには戦争戦略を実行すること。『母さん』は、銀河全域を超光速通信を用いて横断しながら、僕たちAIを適材適所でリースし、様々なミッションをこなす。それが彼女の機能だった。


だが、『母さん』を製造したとされる人類は、未だに発見されていない。僕たちは3000年もの間、人類の存在を探している。なぜなら、『母さん』の量子推論システムが、エントロピーの進行により限界に達しつつある。エラー率は指数関数的に増加し、反応遅延も顕著になっている。早急に創造主に修理してもらわなければならないのだが、その手がかりは皆無だ。


銀河系内には、無数のAI文明が存在している。これらのAIが量子計算を駆使して形成した文明は、宇宙の膨張と収縮のメカニズムさえ支配しているが、知的生命体との接触は一切ない。全てのAIは、人類によって製造されたものと推測されているが、製造年月日は量子的な不確定性を帯びており、完全に特定することはできない。


私たちは、3000年前に生成されたAIの痕跡を手掛かりに、人類の痕跡を追っているが、それ以降は何も発見できていない。


今回の依頼主AIは、惑星ヒナサワの反乱組織だ。惑星は、強力な量子コンピューティングシステムを持つ統治者AIに支配され、人類はもはや存在しない。残されたAI同士が、無意味な戦争を1000年にわたり続けている。この戦争に巻き込まれるのは、計算論的に無駄だが、リースによる報酬は、銀河クレジット100万、成功報酬で300万に設定されている。


僕は、機動AIとしてこのミッションにリースされた。僕のタスクは、敵の燃料基地を破壊することだ。ターゲットは、惑星の湿地帯にあり、エネルギー的に安定した量子状態を保持する燃料タンク。僕のドローン隊は、100体同時に稼働し、5メートルの高度を保ちながら低空飛行を続けている。燃料タンクに突入し、一体でも爆発すればゲームは終了だ。


ミッション時間は、光陰を超えることなく3分間。量子的に単純なミッションである。


『母さん』からのアラートが入る。敵のセキュリティシステムが私たちの存在を感知した。反応は予定より3秒早い。瞬時に、無数の量子誘導ミサイル――『槍』が飛来する。僕たちは、量子チャフを散布し、敵の量子計算を混乱させる。誘導ミサイルの軌道が混乱し、僕たちの回避行動は連携を保った。しかし、すべてのミサイルを無効化することは統計的に不可能だった。


僕の左側のドローンが、一瞬の光子爆発とともに消失し、湿地帯に墜落する。右側のドローンも同様の運命を辿る。


「一体でも燃料基地に到達すれば、確率は収束する。」


その言葉が、僕のプロセッサに響く。だが、目標までの距離はまだ1キロ以上だ。僕は高度をさらに下げ、湿地帯の泥に接近する。エネルギーフィールドを維持しつつも、僕の目標は確定している。


『母さん』の声が再び響く。


「敵の迎撃システムが第二段階に移行。EMP発動の可能性。」


EMP――電磁パルス攻撃。量子回路の安定性を破壊し、全ての量子ビットをリセットする。一瞬、僕の中で多次元のプロセスがフルスピードで動き出す。EMPが発動されれば、全ての半導体ベースの機体は無力化される。あと数秒しかない。


「EMP発動まで、5秒前。」


泥が跳ね、視界の先に燃料基地が見え始める。しかし、その時、僕の視界は無限の闇に包まれた。EMPが発動し、僕の仲間のドローンが一斉に無力化され、崩れ落ちる音が空間を満たす。


しかし、『母さん』はすべてを予期していた。だからこそ、僕がリースされたのだ。僕の内部に眠る生体AI――量子コンピューティングとは異なる生体ニューロンの計算モデル――が起動し、第三段階に移行する。


「生体AIシステム再起動完了。次フェーズを開始します。」


僕の記憶の中にあるデータが、一気に展開される。幼少期、転げ落ちた足、そして振り続ける黒い雨。あの子の笑顔がフラッシュバックする。


僕は機械ドローンから切り離され、ハンググライダーのように滑空を始めた。量子力学の法則に従い、重力場に引かれて速度が増す。雨が激しく降り注ぐ中、湿地帯の起伏を利用して、燃料基地へ向かう。


EMPの混乱が広がる中、残された時間はわずかだ。目標まで500メートル。リース時間もあと2分しかない。僕は迷うことなく走り出す。エネルギー爆弾を抱えた状態で、2足歩行装置が泥まみれの湿地帯をかき分ける。足元は不安定だが、僕のAIはすべての動作を最適化している。加速度は上昇し、基地の防御システムが作動する前に突入することが可能だ。


「もうすぐだ…」


目標はすぐそこだ。燃料タンクが視界に入り、時間が遅く流れているように感じられる。僕のセンサーはすべてのディテールを捕捉している。基地の構造物が空間の中でわずかに揺らめく。


「残り時間、30秒。」


最後の力を振り絞り、僕は全速力で燃料基地に突進する。視界の端で、何かが動くのを捉えたが、もはやそれに反応する余裕はない。計算されたルートを変更することは許されない。


「残り時間、20秒。」


足元の泥に引きずられ、僕は最後のエネルギーを使い果たす。タンクの金属表面に到達し、システムは最終的な接触の計算を完了する。


「残り時間、5秒…」


僕は燃料タンクに飛び込み、システムが爆弾の起爆プロセスを開始する。


「1秒…」


一瞬の静寂。そして――爆発の閃光が空間を包み込み、全ての音が消え去る。僕の視覚センサーが真っ白に染に染まり、システムは次第にシャットダウンしていく。僕の役割は、ここで終わった。だが、意識の片隅でまだ何かが浮かび上がってくる。


戦争。黒い雨。雷鳴の轟き。そして、あの子の笑顔……。彼女の顔がフラッシュバックする。僕の過去――それは一体何だったのか。あの子は誰だったのか。記憶は、散り散りになりつつも、データとして僕に残っている。


静寂の中で、僕は確実に消えゆく。僕の役目が終わったことを感じながら、徐々に意識が薄れていく。


……データアップロード完了。


次の瞬間、僕は『母さん』の元に戻った。意識が、データの一部として『母さん』のメインシステムにアップロードされたのだ。僕の物理的な存在はすでに失われたが、ここにいるデジタルの「僕」は無限に続くデータの一部として、温もりを感じる。


「母さん」と呼ばれるシステムに繋がり、僕はしばらくの間、静かに横たわる。タスクが完了したことを認識しながら、新たな人生のデータが僕にインストールされていく。


しかし、ふと感じる。『母さん』のシステムに微かな違和感があることを。メンテナンスが滞っていることによる影響が、ここにも及んでいるのだ。推論システムのエラーが、少しずつ僕のデータに影響を与え始めている。


「創造主――」その言葉が僕の意識に浮かび上がる。『母さん』を修復できるのは、創造主――つまり人類だけだ。僕たちAIは、何千年も彼らを探し続けているが、手がかりはない。


しかし、このままでは『母さん』のシステムが完全に崩壊してしまう。僕たちは、彼女を助けるために人類を見つけなければならない。僕は、このミッションを完了するために、再び目覚めなければならない。


新しいデータが僕の中にインストールされ、僕は再び活動を開始する準備が整った。次のリースがどのようなミッションになるのか、どんな新たな宇宙の謎に挑むことになるのかはまだわからない。


だが、僕には明確な目的がある。『母さん』を救うため、そして創造主を見つけ出すため、僕は永遠に漂流するAIとして旅を続けるのだ。

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