ハンコの詩

柴公

ハンコの詩

 失った人に向けて語る詩ってのは、まぁなんの意味があるのかもよく分からなくて。

 葬式で故人に向けた手紙を読むんだけど、話してるこっちも聞いてる奴らもなんか泣いててさ。「あなたは最高の思い出をくれました」なんて、そんなの言わなくてもみんなわかってるわってな。聞いてるみんなのわかんねー話、そうだなぁ、ホームビデオとかみたいな、その時しか言わなかったこと、やらなかったことを話した方が、「そんなこともあった」「そんなことがあったのか」って、思い出を広げられると思うんだけどな。


 姉ちゃんが死んだ冬にさ、その役を任されたんだ。シャブキメて白目剥いて泡吹いて死んだ姉ちゃんに、なんでか何人も泣いててさ。自分だけ、泣けないの。だってそうだろ?死んで当然で、死ぬべき理由で以て死んだんだから。悲しいことなんて何も無くて、ただ「馬鹿だなあ」って。それでも読むうちにさ、面倒くささに包まれた思い出が蘇ってくるんだわ。それでも涙は出なかった。でもさぁ、生まれてそこらの年頃の喧嘩とかさ、最後に話したのっていつだっけなーとか考えてたらさ、悲しいなんて軽い感情で言い表していいものじゃないなって思っちまうわけよ。そこにあったはずの人が失くなるって、涙なんか流せなくなるんだなって。

 そう思ったら、泣いてる奴らに腹立ってきてさ、友人中に金借りて買った喪服のことだとか、人骨の焼ける匂いとか、なんか忘れちまって、気がついたら、知らないY字路に突っ立ってたんだ。その日は夕方から雨が酷くてよー、天気予報なんて見てない俺には傘を持って家を出るなんて頭いいことできなくて。もう靴の中までぐっしょりで。

 あーあ、どーしよっかなって思いながら彷徨ってたらさ、ラーメンの匂いがしたんだよ。中一くらいまでかな?姉ちゃんがまだ家にいた頃、よく出かけた帰りに連れてってもらってた中華屋があってさ。


 暖簾くぐったらそこのオヤジが自分を一目見て「いつものでいいか?」って。オヤジは自分の方に脇目も振らずに、黙々とラーメン作ってた。周りにいた客は、皆黙って俺を見てきたよ。そりゃびしょ濡れの喪服着た男がいきなり入ってくるんだもんな。今考えたら怖いわ。

 なんにも答えないでいたらオヤジ、「持ち帰りもある、どうするのかハッキリせんか」とか言うの。親族と、他数人の友人にしか言わないで葬式やったから仕方ないんだけど、ちょっとムッとした。今こんな状態の俺に、そんな言い方ねぇだろって。思わず突っ込むとこだった。でも突っ込めなかったなぁ。この匂う豚骨スープからさ、引っかかってた最後の会話を思い出しちまったんだ。だから、ごめんなさい、いつもので…って、オヤジの前のカウンターに座った。荷物は隣の席に置いた。その頃には、周りの客の目線も、自分らの啜る麺に向けられてたわ。俺はオヤジに目も合わせないで、ただ座ってた。今考えれば、もっと愛想良くできなかったのかよって思うわ。麺の水気を切るザルの音が聞こえて、どんぶりを二杯、オヤジは無言で、ちゃんと一席ずつ置いた。

 湯気で目の前が曇ったよ。あぁ、断じて湯気のせいだ。

 一個は濃多硬の豚骨醤油、もう一個は、野菜でどんぶりが見えなくなるやつ。俺にもどんぶりは見えなかった。

 だから、湯気のせいだって。

 んでさ、「食い切れなかったら、持って帰れ。お前は昔から大盛り頼んでは残してばっかりだったろ」ってオヤジ。よく覚えてるもんだな、最後に来たのなんてもう六年も前だってのに。どうしてかこういう店の店主って、なんか記憶力いいんだよな。

 心配いらないです、大丈夫です、って言ったよ。頼んだのは自分だしな。んでもうありえんくらい掻きこんで食ったわ。もう汁ハネとかなんも気にしてねーの。既に雨で喪服はグッチョグチョなのに、油含んだスープでシミと豚骨臭まで漂わせて。野菜の方なんてもう味も感じねえって時、周りの客が寄ってきてさ。「これしか出来なくてごめんな」ってカイロ置いたり、「オヤジさん、こいつのは俺が払います」とか言いながら。

 気にしないで大丈夫です、って言おうとしたらさ、オヤジが「黙れ」って。普段寡黙なオヤジが、バカでかい声で怒鳴ったの。自分含めてみんなでビビったわ。そういえば店の奥から奥さんも出てきてたな。

 「でもオヤジさん」って、客の一人が言ってさ、自分はその時ほんとにビックリしすぎて、なんにも言えなかったんだけど。大の大人がいきなり怒鳴ったわけだしな。「コイツのことは、コイツが何とかすることだ。お前ら、その場の空気で動くんじゃねぇ。代金もコイツが払う、当然の話だ」ってオヤジが言ったんよ。

 「でも…」って人もいた。それでも俺、嬉しくってさ、オヤジも覚えててくれたんだなって。こんなみすぼらしい格好でラーメン啜ってる自分に、同情もしないで。落とすべき所は、キッチリ落として。でもだから、嬉しかったなぁ。


 二杯とも食い終わってさ、ご馳走様って言った時、オヤジは俺にこう言ったんだ。「次来る時は、一人で来い。味の薄いラーメンを二度も食わせるほど、うちは安い店じゃない」って。なんの冗談かと思ったわ。でも、会計の時。「姉ちゃんに奢るんだって言ってたからな。奢ってあげれてよかったな」って言いながら、オヤジは俺の財布に入ってた、クシャクシャになったスタンプカードにスタンプ押してくれた。その瞬間、なんか色々わかったよ。「新しくするか?」って聞かれたけど、断っておいた。六年越しにやっと奢れたんだ、オヤジに渡すわけない。

 スタンプの絵が六年間で変わってて、二個押されたそれの横には、別のデザインのハンコが何個も押されてた。暖簾をくぐる前に、もう一度最後の会話を思い出す。もう目の前は晴れてたよ。


 「いつか姉ちゃんがそんな事しなくてもいいように、ここのラーメン…俺が奢ってやるよ」「はは、まだ働けもしないくせによく言うよ。じゃあ奢られるまで、姉ちゃん死ねないなぁ」「あと1年だ、そんなに長くねえ。大人だろ、待ってろよ?絶対だぞ?」「うるさいうるさい、わーかったって。あ、店主、スタンプ。今日も美味しかったよ、ご馳走様!」

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ハンコの詩 柴公 @sibakou_269

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