第33話 騒動のあと【玲緒視点】

 たちの悪い、客とも呼べない男たちが起こした騒動が収まったあと。

 ぼくはスタッフルームにいて、店長に報告するための書類を書いていた。

 トラブルがあれば、こうして上に報告することになっている。


「いやぁ、怖かったですね~リョウ様~。ああ、ここだと玲緒ちゃんでいいんだっけ?」


 ナース服姿の同僚……三栗谷みくりや結衣ゆいちゃんが、スタッフルームへ入ってくる。

 ぼくより少し年上の女子大生。茶色いふわふわ髪とおっとりした雰囲気のおかげで、この店では結構な人気者。ぼんやりしすぎて仕事はあまりできないけど。


「店の状態は?」

「もう大丈夫ですよ~。いつも通りです」

「ならよかった」

「災難でしたよね~。これからああいうことがないように、わたしもボクシングでも始めましょうかね~」


 しゅっ、しゅっ、とパンチを繰り出す動作をするんだけど、その動きからして運動神経がからっきしということがわかっちゃうから、きっと役立つレベルで習得することはないだろうね。


「結衣ちゃんは無理しないで。ぼくに任せてくれればいいから」

「わ。そういうところ、やっぱり『王子様』ですね~」

「ここでも言われるのか……」

「いいじゃないですか~。人気者で。ちなみにわたしは高校生の頃、ぽんこつ眠り姫って呼ばれてましたよ~」

「不名誉極まりないけれど、結衣ちゃんのことを的確に表してるよね」

「的確じゃないですよ~、言うほど授業中寝てませんでしたし~」


 ぽんこつは否定しないんだね。


「それにしても、あのちっちゃい子、勇気ありましたよね~。わたしなんか、見てることしかできなくて」

「いいや、あれは勇気なんかじゃないよ。無謀なだけさ」

「そういえば、あの子と二人きりで消えちゃったけど~、何してたんですか~?」

「もちろん、こんこんと説教してあげたよ」

「あっ、可哀想……」

「可哀想なもんか」


 正直、葉山くんにはムカついたよ。

 できもしないことをやろうとしたから。


 今まで一度もケンカなんかしたこともなければ、しようと思ったことすらない葉山くんには荷が重すぎる。彼はもっと自分にできることと、できないことの区別をちゃんとするべきだ。


 ……って具合に説教してやって、一応ちゃんと聞いている感じだったけど、「鷹塚さんにはお世話になってるところもあるから……オレがどうにかしないといけないって思って。鷹塚さんがクビになっちゃったらイヤだし」なんて言い訳してきた。

 ナメられてるにもほどがあるよ。

 あんなタチの悪い客もどきに対処したくらいじゃ、うちの店長はクビにするようなことはないから。

 自分のことは自分でどうにかできる。

 今までずっと、そうやってきたんだから。

 そう、誰の手も借りることなく、ぼくの力だけでやってきた。


 だから……。


 ぼくのために、あんなに体を張ってくれる人なんて、今まで一人もいなかったんだ。

 それがまさか、ぼくより背が低くて弱そうな葉山くんが、初めての一人だったなんて……。

 くそっ、なんだよ。

 ぼくは、葉山くんをモノにしたいだけなんだ。


 葉山くんを骨抜きにさせて、夢中にさせて、ペットみたいにして可愛がってやりたいだけなんだよ。

 ぼくは上。

 彼は下。

 そうじゃないといけないのにさぁ……。

 あのくだらない男二人組の前に立ちはだかったときの背中がちっとも忘れられない……。


「あれれ、玲緒ちゃん、どうしたんです~? 風邪?」

「な、なんでだい?」

「顔が赤いですから~。お猿さんのおしりみたい」

「そ、そんなわけないだろ! ぼくは至って冷静だよ!」

「そうですかね~。ならいいんですけど~。うふふ。珍しいですねぇ、玲緒ちゃんがそんなになるなんて~」


 マズいな。結衣ちゃんめ、何かを察したらしい。

 のんびりしてる結衣ちゃんだけど、変なところで察しが良いから。


「そういえば、あの子を個室に案内してって頼んできたの、玲緒ちゃんですよね? ふーん、そういうことですか~」

「そういう意味じゃない。葉山くんをからかいたかっただけさ」


 ホールの仕事をしているとき、クラスメイトらしい男子二人と入口で何か話し合っている様子の葉山くんが窓から見えたんだ。

 まさかうちの店に来てくれるとは思わなかったけど、せっかく来店してくれるのなら、相応のサービスをしたいだろ?

 だから、結衣ちゃんに指示して、あの個室に案内してもらったってわけ。

 でも、こういうかたちで結衣ちゃんにからかわれるなら、頼まなければよかったかな。


「ほら、仕事に戻るよ。ぼくの心配するフリしてサボろうとしない」


 ぼくは結衣ちゃんの背中を押しながら、スタッフルームを出る。

 労働の時間は、まだ残ってるからね。

 ぼくは、このコンセプトカフェ『ルアージュ』で、週四で働いている。

 建前はお金稼ぎだけど、まあ、一番の理由は暇つぶし。

 お金には困ってないから。

 金さえ渡しておけば親の責務を果たしていると勘違いしているあいつのおかげでね。

 残りの勤務時間、いつものように過ごすつもり。

 ぼくは、この店では仕事ができることで知られてるから。

 今日も人気ナンバーワンの腕前を存分に見せてやるつもりさ。


 でも……。


 どういうわけか、この日は失敗ばかりだった。

 注文は間違えるわ、回収した食器を途中で割ってしまうわ、お客がいる前で転んでしまうことだってあった。

 どうして? いつもなら絶対ありえないミスなのに。

 ミスの連続でボロボロな状態で勤務を終え、更衣室に引っ込んだとき、着替え中の結衣ちゃんはやたらと嬉しそうにしていた。


「わかりますよ~。だって、あんなふうにして助けられちゃったら、きゅんきゅんして仕事どころじゃなくなっちゃいますもんね~」

「だから、そういうのじゃないって」


 ぼくのロッカールームは結衣ちゃんの隣。仕事が終わる時間もだいたい同じだから、いつものはお気に入りの下着を見せ合うくらいのことはするんだけど、今日はそんな気楽な気分じゃない。


「……ぼくは、恋愛なんかしないんだよ」


 首を傾げてしまう結衣ちゃん。


「彼女さんいっぱいたんですから、それは通じないんじゃないですか~?」

「それとこれとは別さ。ぼくにも色々事情があるんだよ」

「玲緒ちゃんは年下なのに、わたしより大人みたいに思えちゃうときあるよ~」

「結衣ちゃんも、そうやってぼんやりしてると、一生処女のままで終わるからね」

「あっ、セクハラなんかして~」

「はいはい。じゃ、今日はもうさっさと帰るよ。本当に調子が悪い」


 ぼくはさっさと着替えを済ませて、社員証を通し、店の外へと出る。

 すっかり夜になり、ライトアップされた街並みを歩き、駅へと向かう。

 途中、手を繋いで歩く母娘とすれ違った。


「ままー、あしたはパパ、はやくかえってくる?」

「そうね。だって、あなたの誕生日だもの。仕事を放り出しても帰って来るって言ってたわ。去年だって、そうだったでしょ?」


 若い母親と、幼い女の子のやりとり。

 そこらの人からすれば、微笑ましいやりとりだろうね。


「……ふん」


 ぼくからすれば、鬱陶しいだけさ。

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