収奪の奴隷と強欲の魔女
七沢ななせ
地獄の中で : 1
シスタニア王国は、強大な軍事力を誇る大国であった。そしてその歴史は周辺国の中でも群を抜いて苛烈を極め、血の匂いを濃厚に香らせる。古代より、シスタニアは戦争をすることで栄えてきた国だ。次々と隣国を飲み込み、各国の技術、文化、すべてを吸収した。その歴史に違わず、住む人々も不屈の精神と交戦的な性質を持つものが多い。こう聞くと戦いくさの粗暴な国のようにきこえるが、反面美しい芸術文化をいち早く花開かせた国でもある。
王都シスニアは見事にその歴史を体現した街だ。街を歩けばそこかしこに見られる彫刻や細々とした装飾。軒を連ねる家屋に使われる煉瓦や、屋根の造形に至ってもはっとするような技巧が施されている。そんな文化的な香りを漂わせる王都だが、中心部から外れて仕舞えばその面影はあっという間になくなってしまう。
王都シスニアの一角、美しく整備されたまたとは打って変わって寂れた場所がある。狭い区画にもたれ合うようにして並んだ家はどれもボロボロだ。屋根の代わりに錆びたトタンを釘で打ち付けているような、もはや家とは呼べない状態のものもちらほら見受けられる。吹く風は生臭く、衛生環境が整っていないことは明白だ。ここに集まる者たちはみな薄汚れて、淀んだ目つきをしている。住人のほとんどは下級娼婦や麻薬の売人、そして奴隷階級の者たちであった。
「おいフロイド、今日はイイもん見つけたんだよ」
「声がデカいぞアル。イイもんって?」
「見ろよ、林檎だ。まだ腐ってもないしカビてもない。酒場のゴミ箱から見つけたにしては上出来だ」
「そうだな、でも虫には食われてる」
「そんなもん気にすんな! 食えればいいんだよ食えれば」
「おう、ありがとなアル」
薄汚れた路地でしゃがみこみ、にやにやと笑みを交わし合う少年たち。1人はシスタニア人らしい黒髪と白い肌をしている。そしてもう片方は麦わら色の髪と小麦色の肌をしていた。どうみても異国生まれの少年だ。容姿は真逆の2人だが、どちらも汗とほこりにまみれ、骨が浮くほどガリガリに痩せていることは共通している。
「やつらに見つかるんじゃねえぞ、せっかくの獲物を奪われちゃしょうがない」
褐色の少年が言う。
「この俺がそんなヘマをすると思うか?」
白い少年、フロイドは林檎をぽんっと放り上げ再び空中でしっかりとつかんだ。
やつらと言うのは、彼らの雇い主のことだ。腰に皮の鞭をさげ、絶えず怒鳴り声をあげている彼ら。フロイドとアルはこの先にある採掘現場で働く奴隷である。数人の奴隷監督と現場監督に見張られながらつるはしを動かし、少しでも手を休めようものなら容赦なく鞭の雨が降る。フロイドもアルも、まだ15歳の子供だ。けれども働き続けなければならない。大人でも辛い採掘という仕事を死ぬまで毎日。それは彼らにとって日常であり、手にできたまめがつるはしを降るたびに痛もうと、重い一輪車を押す腕が痛もうと、彼らに休みは与えられない。
「そろそろ戻らなきゃな。また殴られるのはごめんだ」
「ああ。俺はこいつを家に置いてからにするよ」
軽い調子で言ったフロイドに、アルが目をむいた。
「いくらお前が俊足だからって、やつらに気づかれたら終わりだぞ」
「だいじょぶだって。これを持ち歩いてるのを見つかった方が面倒なことになる」
駆け出そうとしたフロイドの腕を、アルが唐突に掴んだ。
「‥‥‥‥そ、その林檎はサリに渡してくれ」
最後はほとんど消え入りそうな声でアルは言った。傍目にはわからないが、フロイドにはその褐色の顔が紅潮しているのがわかった。にやっと笑い、フロイドはうなずく。
「わかったよ」
アルがフロイドの腕を離し、照れたようにうつむいた。そんな親友を、フロイドは茶化さずにはいられない。
「サリが受け取ってくれるかはわかんないけどな」
「‥‥‥うるさい」
サリというのはフロイドの妹である。フロイドと全く同じ日に生まれた妹は、双子というだけあって兄とよく似ていた。白い肌と黒い髪という点はもちろん、きかん気な目と利発そうな眉の雰囲気までおそろいである。
ただひとつ、異なる点があるとすればサリは贔屓目で見ても美人だという点だ。フロイドもそこそこ容姿は整っているが、サリは双子でありながらも別格。陶器のように白い肌はミルクか絹の様になめらかできめ細かく、形の良い唇はふっくらとして薔薇のよう。その美しさを買われて、サリは十歳の頃から酒場の踊り子として働いている。兄妹仲はよく、幼い頃から二人で助け合って生きてきた。美しい妹がフロイドは自慢だったし、たった一人の家族として心の底から愛していた。けれどその美しさ故に奴隷たちだけではなく奴隷監督や奴隷商人からもサリは目をつけられてしまう。彼らの手からサリを守ってやるのもフロイドの大切な役目だった。
「頼んだからな」
「わかったよ」
アルは気を取り直したように背を伸ばした。親友が妹に好意を持っているのはもう五年も前からだ。二人はもどかしくなるほど控えめで、お互いに好きあっているのになかなか進展しない。アルなら大事な妹を任せられる。
「じゃ、俺は先に戻る。早く帰ってこいよ」
「また後で」
フロイドはボロボロの服の中に林檎をしまうと、目にも止まらぬ速さで路地を駆け抜けていった。
(さすがは〈
アルはあっという間に姿を消した親友を見送り、小さなため息をつく。フロイドは足が速い。華奢な体つきだが、喧嘩が強いしすばしこい。まるで風のように駆け抜けていくことから、いつのまにか付いたあだ名が〈旋風〉だった。自慢の親友だが、ややシスコン気味なところが玉に瑕だ。
さて、仕事に戻らなければならない。死ぬほど重い石の塊を運ぶことを考えただけで腕が痛みだしたが、アルは採掘現場の方に足を向けた。
◯
「おかえりなさい、兄さん」
「ただいまサリ」
空は茜色に染まり、夜の闇はすぐそこまで迫っていた。フロイドたちの家は貧民街から少し離れた空き地にある。二部屋しかない狭い家だ。屋根はところどころ穴が開いて、雨が降れば家中が水浸しになってしまう。藁を敷いた狭いベッドは二人が寝るには狭すぎる。痛む体を労りながら家に入ると、スープがブリキの缶の中で煮える良い香りが漂ってきた。先に戻っていたサリが、今日の夕飯を作っているところだ。
「見て、おかみさんから少しだけパンを貰ったの。スープと一緒に食べましょう」
「よかったな、今日はごちそうだな」
二人では到底足りない少しばかりのスープ。スープと言っても水に塩を入れて、僅かな葉物を入れただけの貧しいものだ。サリが貰ってきたパンは乾燥してぱさぱさだったが、二人にとってはとっておきの晩餐になる。
「あ、サリにお土産があるんだった」
「なに?」
フロイドはにんまりと棚を指さす。
「開けてみな」
サリが眉を上げ、いたずらな笑みを浮かべながら引き出しを開けた。
「......まあ」
林檎を取り出し、サリは目を丸くする。
「おいしそうね。どうしたの、これ」
「アルからのプレゼントだよ」
フロイドがそういうなり、サリの顔が赤くなった。しなびた林檎の表面を細い指でなぞりながら、サリは何度も瞬きする。
「えっと、そうね。アルにお礼を言わないと。兄さん、明日言っておいてくれない?」
サリが林檎と同じ色をした唇をきゅっと持ち上げる。フロイドはほほえみながら首を振った。
「いや、お礼は自分で言いな。そっちのほうがアルも喜ぶ」
「意地悪言わないでよ」
困ったように眉を下げながらも、サリの頬は上気している。喜んでいるサリはいつにもまして美人に見える。緩やかな波を描く黒髪からは花の香りが漂ってきた。サリが働く場所では、まともな扱いをしてもらえているのだろう。おかみさんも先輩たちもみんな良くしてくれるわ、と幸せそうに言っていたのを不意に思い出した。
「明日仕事が終わったらアルのところへ行こうぜ。そこで礼でもなんでも言えばいい」
フロイドの言葉に、サリはますます顔を赤くしてカールした前髪を引っ張った。幼い頃から、困ったときのサリの癖である。
「もういいわ! さ、ご飯にしましょ」
狭く隙間風の通る家で、二人だけの晩餐が始まる。貧しくても二人は幸せだった。
「サリはやっぱり料理上手だ。このスープうまいよ」
「ふふ、ありがとう」
「林檎はどうするんだ?」
問うと、サリは頬を赤らめてつぶやく。
「とっておくわ」
生まれた瞬間に親に捨てられ、自分の名前以外は何もわからない。親の顔も覚えていないし、誰かに愛された記憶はない。世界から弾き出されてしまったような人生だけれど、それでも二人が二人でいられる限り、これからもずっと幸せでいられる。そう信じて疑うことはなかった。
◯
怒号が飛び交う採掘場。露天掘りになった鉱脈につるはしを突き立てながら、フロイドは隣のアルにささやいた。
「仕事が終わったら、いつもの空き地に集まろう」
「一体どうしたんだよ?」
なかなか削れない岩と格闘しながら、アルは早口でささやき返す。
「サリが林檎の礼をしたいんだとさ。よかったな、喜んでた」
「そ、そっか。それはよかった‥‥‥‥」
唇に小さな笑みを浮かべるアルの肩をフロイドはこづいた。
「まったく、お前ってやつはホントに焦ったいな。さっさと口付けのひとつでもして落としちまえよ」
「バカいうな! そんなことできるわけないだろ」
声が大きくなったアルに目ざとく気づいた監督が、鞭を片手にこちらを見た。慌てて熱心につるはしを動かし始める。少しでもサボっていると思われたら容赦なく打たれる。それは鞭だけでなく、足になったり手になったりするが、痛い思いをすることには変わりない。打ちどころが悪くて意識を失った少年を見たことがある。その少年は採掘場から運び出されたきり姿を見ていない。
奴隷は家畜と同じ。
動けなくなれば捨て、代わりを買えばいいだけだ。奴隷など何百人も国中に溢れているのだから。
○
「サリのやつ遅いな。まだ終わらないのか?」
日が沈みかけている。普段なら、とっくに仕事は終わっているはずなのに。ここに集まることはサリにも伝えてある。アルと2人、寂しい空き地の隅に座っている間にも、空はどんどん暗くなっていく。
「なにかあったんじゃないか」
アルがぽつりと言い、フロイドは唇を噛み締める。サリのことだ、道端に飢え死にしそうな犬でも見つけて構っているのかもしれない。それとも、まだ店にいるのだろうか?
「俺、ちょっと見てくる」
「そうだな、俺も」
「おまえはここにいてくれ。すれ違いになったら困るだろ?」
アルは不満げだったが、フロイドは有無を言わせぬ口調で押し留める。
「じゃあ行ってくる」
そうしてフロイドは、夕闇の中を駆け出した。まるで風のように駆けながら、フロイドは胸の中でどんどん大きくなる不安を押し殺した。
(嫌なことにはならない‥‥‥よな)
闇はどんどん深さを増し始めていた。
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