シルエットのメイド

口一 二三四

シルエットのメイド

 路地裏を真っ直ぐ行った突き当り。

 ろくに日も当たらないのに窓という窓を閉め切り、光が完全に入らないようにしたボロ家に僕は住んでいる。

 日中であろうと夜中であろうと真っ暗闇。

 そんな生活をしているものだから、朝が来たかどうかを知るのは鳥の囀りと。


「旦那様、旦那様」


 こんな家に不釣り合いな。


「朝日が昇りました。朝食の用意をしますのでランタンに火を灯して下さい」


 身分の低い僕には贅沢すぎる。

 丁寧な口調で起こすメイドの声だった。


 暗闇の中、ランタンの光が淡く揺れる。

 薄明りに照らされた室内は質素なもので、ひと一人が住む最低限が揃っている程度。


「今コーヒーを淹れますので少々お待ち下さい」


 そんな空間に美しい女性の声とコーヒーの香ばしい匂いが存在するのは一年程経っても奇妙だった。

 戸棚が開き、コーヒーカップが取り出される。

 安物のそれに添えられた手は黒く、まるで影のよう。

 慣れた手つきで淹れられたコーヒーを出す手も同じく黒で、顔を上げれば目も鼻も『肌と服の境目』も無いシルエットのままで動く彼女の姿があった。


 名前を『エリゼ』。

 僕のことを旦那様と呼びボロ家に住み込む彼女に人間のような実体は存在しない。

 ランタンに照らされた暗闇にのみシルエットとして現れ、光の届く範囲でなら戸棚やカップ、人間といった存在に干渉することが出来る。

 何か原因があってそうなったのか、元々そういうモノとして生を受けたのか。

 本人が語らないので定かではない。

 ただ人語を話し名前があることから、僕らとは違う進化を遂げた近しい存在なのではないかと、最近は考えている。


「旦那様」

「んっ、あぁ、なんだい?」

「只今より朝食を作ります。すみませんがランタンを持って照らして頂けませんか?」

「構わないよ」


 コーヒーカップを置き、机の真ん中にあったランタンを持って席を立つ。

 炊事場の全てが照らし出される位置に立てば、光の中にメイドのシルエットが浮かび上がる。

 正面では見つからなかった鼻筋。

 足首まで隠れたロングスカート。

 服飾に疎い僕にはわからない頭のヒラヒラ。

 真夜中の夜道。

 酒に酔って帰る途中だった僕に彼女が話しかけてきたのがそもそもの始まりだった。

 誰もいない暗闇の中声をかけられた時は酔いが醒めるほど驚いたけど、今となってはいい思い出だ。


「もう少々お待ち下さい」


 行く当てが無く途方に暮れていた彼女を招いて以来、僕のことを旦那様と呼び家の用事をしてくれるようになった。

 貧乏暮らしが板についていた僕にとってそれは贅沢であり、初めの頃は何ともむず痒い思いをした。


「お皿を」

「はいはい」


 それが今のように当たり前になったのは儚げな見た目に反して彼女が頑なだったから。

 そんなことしなくていいと言っても聞かず、成り行きとはいえお世話になったのだからと引かない姿勢に根負けしたから。


「出来ました」

「できたね」

「目玉焼きです」

「目玉焼きだね」

「早速頂きましょう」


 まぁ、一人暮らしで寂しかったのと、家の事をしてくれる人が現れて助かるってのも、正直ある。

 けどそれ以上に。


「じゃあ頂きます」

「どうぞ召し上がって下さい」


 その健気さが、表情もどんな顔をしているのかもわからないシルエットが。


「……どうでしょうか?」

「……うん、今日も美味しい」

「ふぅ……、よかったです」


 まるでメイドさんみたいだね、と不意に口にしたのを気に入ってそうであろうと努めてくれている姿が、とても愛らしくて。


「……あの、私の顔に何か?」

「えっ、あー、いや別に」


 彼女にとってのランタンが、僕にとっての彼女なのだと、気がついてしまったのだ。

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