第30話 寝室を片づけるぞ

 彼の過去を聞いてから一層、その手を離したくないと思った。

 あたしは……彼と離れて一人になるなんて考えられなかったし、彼もそんなあたしの気持ちを分かってくれた。


「よし、行け。ここが新しい家だぞー」


 同棲するあたって、どこに住むかを考える必要はなかった。

 あたしの部屋は元々二人で住める広さがあるし、ペットも可だったから彼がこっちに引っ越すのは必然的だった。

 家賃と光熱費は折半にすることにして、仕事帰りに荷物を少しずつ移動させて行く。あたしも手伝った。

 彼は転居手続きを会社に行い、あたしは同居の申請をマンションの管理会社に。

 そして、同棲が始まる初日――彼は家族でもあるビスケットをマンションに連れて来た。


「……警戒してるね」

「環境が変わると戸惑うって言うしな」


 普段は病院に連れていかれる籠に入られたビスケットは、全く知らない所で籠を開けられて恐る恐る出てくると、ふんふん、と鼻を鳴らしながら徘徊を始めた。


「部屋が広いからキャットタワーでも買うか」

「……うん」

「よし、寝室を片づけるぞ」

「……ホントに?」


 彼はゴミ袋を持って寝室の扉を開ける。

 寝室は……彼の写真が隙間無く貼られている。あたしが安心できる部屋なので、彼にも共有して欲しいのだけど……


「何枚かまた増えてるやがる……」

「……コハクさんの事、好きだから」


 彼は壁から写真を外してガサガサとゴミ袋に入れ始めた。


「……アルバムに移したらダメ?」

「そのアルバムは、オレとお前が写ってる物で埋めるぞ。それに――」


 少し恥ずかしそうに彼は言う。


「写真に撮らなくてもオレが近くに居るだろ?」

「……コハクさん。慣れない言葉は言わない方が良いよ?」

「うるせっ」


 あたしも彼と並んで壁から彼の写真を外す。そして、彼に寄るとスマホを取り出して見下ろす様に掲げて一枚撮った。


「……これが最初の一枚」

「次はビスケットも入れて撮るか」






 冬は人肌が恋しくなってくる朝の寒さが憂鬱だったけど……今は彼とビスケットの暖かさで目を覚ます。


「……おはよ」

「あー、起こしちまったか。悪いな」

「……ううん。別にいいよ」


 同棲が始まってから一人で考え事をする事も少なくなった。正直、かなり依存しちゃってる。


「……次の休み。スケートリベンジ行く?」

「ああ。いいぞ、望むところだ」


 スーツに袖を通す彼は笑った。しかめっ面が多いと思ってたけど、彼はよく笑ってくれる。

 上着に鞄を持ってネクタイを結ばずに出ようとしたので、


「……ネクタイ」

「ああ。歩きながら結ぶわ」

「……こっち向いて」


 彼が向き直ってくれたので、あたしはネクタイを手に取る。そして、


「…………??」

「はは。いいよ、やったこと無いなら仕方ない」


 どう結んで良いのか解らなかったので、適当にくるくる回していると彼が笑った。

 ちょっとムッてきたから、そのまま口を口で塞ぐ。舌を――


「ちょっと待て!」


 彼が引き離して真剣な眼を向けてくる。


「仕事前はナシって決めただろ?」

「…………そうだっけ?」

「とぼけんな。全く……」


 代わりに彼は抱きしめてくれた。服越しでも伝わるその暖かさに心が満たされる。


「これで良いか?」

「……まだ……」

「…………まだか?」

「……まだ……」

「………………遅刻するっ!」


 ハグも解除すると彼はいそいそと玄関へ。ビスケットとあたしは追っかける。

 彼は靴を履いて、スーツについているビスケットの毛をコロコロで取る。背中はあたしが手伝った。そして、ビスケットを抱き抱え新たに毛が着かない様に考慮する。


「……練習しとく」


 あたしが彼の首に垂れ下がるネクタイの事を言うと彼は笑って振り返り、


「次は頼むわ。行ってくる」

「……行ってらっしゃい」


 これが今後も続く朝。






 9時。あたしも出社。

 予約してるお客さんは午前中だけなので、張り切って仕事を開始。

 満足してもらって問題なくお帰り頂いて、午後の休みを早めに取った。


「あら夜神ちゃん? コンビニ弁当なん?」

「……店長」

「ああ、良いよ。挨拶は。僕もお昼さ♪」


 美容師学校へ講師として呼ばれる事もある店長は界隈ではそれなりの有名人らしい。


「それよりも夜神ちゃん。朝比奈ちゃんの胃をガッと掴む気は無いのかい?」

「……夜ごはんはあたしが作ってますが」


 彼はいつも遅い。前は一緒に食べる為に夜遅くまで待っていたが、気を使わなくて良いぞ、と彼に言われて今は作り置きを温め直す形になっており、一緒に食べるのは休日くらいだった。


「夜神ちゃん。四六時中、彼を君に染める方法があるけど、聞きたい?」

「聞きたい」

「たっは……“……”を先頭に着けない程の即答。愛してるねぇ。簡単な事さ。コレだよ」


 店長はコト……と目の前に弁当箱を置く。


「……店長のお弁当?」

「いや、本質を見るんだ。つまり君がお弁当を作るのさ!」

「…………なるほど」

「レシピはネットに無限に転がってる! 今こそ愛を深めるのだ! 今日からレッツトライ!」

「……店長のお弁当も奥さんの愛?」

「あ、僕の場合はお小遣いが……今月ピンチでね。自分で作った」

「…………」


 そんなこんなで、お弁当のレシピやそれに伴う生活の変化などを調べる。

 クォリティは上げない方が良い。期待値がどんどん上がって頭が回らなくなる。

 冷凍食品の詰め合わせが良い。ただし、核になるおかずは自分で作る。

 毎日は可能なら避ける。週に三回がベスト。サプライズで作ると喜ばれる。

 などと、調べていくと面白そうな感じだったので彼に内緒で始めてみようと画策。

 そんなこんなで、休憩時間が終わった。






「あの……」

「……はい?」


 閉店間際で、店頭の掃除をしていたら男の子が話しかけてきた。

 黒のランドセルを背負って、髪は前髪が隠れるくらいボサボサ。弱々しい口調は少し震えていた。


「……どうしたの?」


 あたしは見上げる少年に前屈みになって応じる。


「あ……その……ここって何の店ですか?」

「……ここはヘアメイク専門店『プリズム』。簡単に言えば……散髪屋さんだよ」

「床屋さん……ですか?」

「……そんなトコ」


 少年はあたしの腰の革差しに入った散髪鋏の数々を見る。


「…………あ、あの! 髪の毛……切って貰えませんか!」

「……お母さんいる?」

「……え? あ……お母さんは今居ないです……」

「……お父さんは?」

「……お父さんも……居ません。ボク一人です……」

「……予約してる? 担当の美容師はわかる?」

「は、始めてです……」

「……ごめんね。高校生以下の子は、最初は保護者同伴じゃないといけないの」

「え!? そ、そうなんだ……ご、ごめんなさい……」


 とぼとぼと帰っていく少年の背中は少し気の毒だけど、仕方ない事だ。


「まぁ、待ちなさい」


 店長が店の扉に手をかけて少年を呼び止めた。


「……店長?」

「鋏を持つ者として、ボサッた髪を放っておける?」

「…………時と場合には」

「まぁまぁ、今回は僕のお墨付きってことで少年を切ったげなよ」


 その言葉に少年は、ぱぁぁ、と分かりやすく明るくなる。


「……大丈夫ですかね。警察……とか」

「店内に監視カメラもあるし、こっちに悪意は無いからね!」


 店先と店内に監視カメラが常に回ってる。これのおかげで、店で起こったトラブルは毎回解決できていた。


「それに、小学生を歩かせるにはちょっと遅い時間だし、何気なく連絡先を聞くからご両親を呼ぶ間……ね?」

「……わかりました」


 店長が子供好きな事もあって、お客さんには小学生の利用客も多い。故にほっとけなかったんだろう。


「……そう言う事だけど良い?」

「あ、はい! おねがいします!」


 少年は嬉しそうに戻ってくると、店長の開ける扉から店内へ。


「……ランドセルはここに置いて、奥の席に座って」

「はい!」


 少年はワクワクしながら空いている席に座った。


「少年、何か自宅への電話番号とかわかるかい? カットに時間がかかるからご両親に連絡しないと」

「あ、スマホあるので!」


 少年はスマホを取り出して、慣れた様に電話帳を操作。店長へ手渡す。

 店長は一瞬硬直すると、


「ちょっとご両親に連絡するからねー。カットは任せるよー」

「……はい」

「お願いします!」


 椅子に座る少年に髪避けのシートを着けて首から下を保護する。


「……名前、聞いても良い? 決まりだから」

夜神小吉やがみ しょうきちです!」

「…………夜神?」

「はい! お姉さんは?」

「………あたしは……サンゴ」

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