破滅しそうなダウナー系女子と関わった話

古朗伍

第1話 …………今日、泊めてくれない?

 仕事の夢を見るという悪夢に起こされて夜中に眼を覚ました。


「…………お前……なにやってんだ?」


 次にオレが感じたのは上から覆い被さる一人の女の体温だった。


「……そのつもり……だったんでしょ?」


 そう言いながら女はオレに囁いて来る。

 ピアス。首には掻き毟った傷。力の無い瞳。

 雰囲気的にも風貌的にも関われば間違いなくトラブルとなるコイツを家に上げたのは瀕死だったオレに僅かに残っていた良心だった。






 顧客からの無茶な要望と仕様の変更が多数。それでいて納期は変わらない。

 電話越しや打ち合わせでは笑顔だが、会社のデスクに座れば悪態を付くのは当たり前だった。


 典型的なブラック。過酷な職場環境は社長のワンマンで何も変わる事はない。

 面倒な仕事は全て部下に回され、新入社員が入ってきても教育する暇など無い。

 横に座らせて作業の補佐をやらせて、打ち合わせにも同席。顧客先に顔を覚えて貰って、仕事内容を説明。そして、それが1ヶ月後すれば一人でやる事になる。


 普通にイカれた体制だと思ってる。こんなモンじゃ人材も育たないし、一年足らずに辞める者も後を立たない。

 オレも何人か『後輩』を指導したがその大半が持って三ヶ月、長くて一年で辞めた。

 そんなクソみたいな会社でも給与だけは割りが良い。しかし残業代は出ない。有給もあって無いようなモノ。考えない様にしている。


 それでもこのクソ会社を辞めない理由は二つ。

 一つはオレの性質にあるのだろう。

 元々物欲の少なかったオレは特別、何かに熱中する事も、幼い頃に夢や目標なんかも無かったから日々を何となく生きていた。


 二つ目は就職難だったからだ。

 こんな性格だ。取り繕っても内面読まれたのか何社面接を受けても尽く落とされた。今の時代は昔よりも更に就職が厳しい。特別なスキル等を持たないオレはここを辞めて次の職場に行けたとしてもまともな場所だとは到底思えなかった。

 就活も意欲が湧かないし、結論としてここで働いた方が手間が無い。


「はい……それで問題は……はい……はい、そうですね。では、何かありましたらまた連絡を」


 オレは深夜の会社のデスクで受話器を置いた。そして、伏す様にデスクに倒れる。


「…………終わった……」


 どこかがやらかした火消しがウチの会社に回ってきて、社内で更に二転三転としてオレに回ってきたのだ。

 絡まった糸を解く作業から始まり、解いた後に顧客の望み通りに組み上げる。その間もあれよこれよと要望が増え、三徹目に入ろうとした所でようやく終わった。


 時刻は深夜……と言うよりも早朝が近い。無論、オフィスはオレ一人。しかも今日は飲み会だったが当然参加出来るワケねー。

 LINEを見ると、


“先輩! まだ仕事っすか!? 飲み会終わったから、今から手伝いに行くんで!”


 まだ生き残っている後輩が援護に来る様だが、次のメッセージには、


“この子、酔いつぶれたから送ってく。援護は無し”


 と、後輩のスマホをいじった同僚のメッセージで終わっていた。

 別に皆が薄情なワケではない。この案件はオレしか全容を把握出来なかったし、他に割り込ませる為の説明に時間を取られたくなかったのだ。代わりに他の仕事は全部肩代わりしてくれたし、寧ろ感謝してる。


「…………帰るか」


 ぼっーと座ってるだけで意識が飛ぶ。いかんいかん……せめて家まで足を動かさねば……


 明日は休み。帰ったら死んだように眠る。そして明後日からまたデスロードだ。






 コンビニで適当な飯を買ってフラフラとマンションへ。ダメだな……飯も風呂もやってる間ねぇわ。即寝だ……即寝……

 公園を突っ切るのが出勤路なので、帰りも当然そちらを通る。深夜の公園だからって何かしらの奇想天外が起こるワケも無く歩いていると、


「……マジかよ」


 雨が降って来た。それも突然の豪雨スコール。クソが。

 公園を抜けてもアパートまで距離があるので、慌てて鞄を傘に屋根付きのベンチへ駆ける。最近天気予報なんぞ見てなかったが、飲みに行く奴らをちらっと見た時傘を持っていたような……まぁ、今更どうでもいい。


「…………」


 真ん中にテーブルのある屋根付きベンチに行くと、そこには先客の女が居た。

 耳に無数のピアス。首には掻き毟った痕のような傷に無数に張られ、髪はメッシュの入ったショートの女。

 瞳には力が無く、ベンチに座り、テーブルには酒の入ったコンビニの袋が置かれていた。

 日中でも関わるのは避けて素通り安定の女。明らかに地雷臭がハンパないソレと関り合いになるキャパシティはオレには残ってない。女はオレに気がつく。


「……濡れるけど良いの?」

「……」


 豪雨がオレを屋根付きベンチへ強制的に入らせた。オレはなるべく女から離れて座る。


「…………」


 女はじっと力のない目でオレを見て来る。オレは何か言う事も思い浮かばないので雨の音に集中する事しかやる事が無い。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 ザァァァァァァと、屋根をつたる雨水が地面で跳ねて少しだけ内側も濡らしてくる。


「…………ねぇ」


 雨音の中で女の声が妙に耳に響く。


「……なんだ?」


 黙っているとそのまま呑み込まれそうな空気だったのでオレは眠気半分の視線で短く返事を返す。


「……仕事だった?」

「……どういう意味だ?」

「……スーツ。ご飯はコンビニ」

「……だったらなんだ?」


 雨の音が少しだけ弱くなっていく。正直、この女がなぜそんな事を聞いてくるのか意味が分からないし雑音だと思って適当に答える。


「……大変だなって」


 女は雨音に意識を向ける様に目を閉じた。眠っているのか、ソレだけで永遠に落ちて行きそうな虚無感を感じさせた。


「…………」


 全てを諦めたような女の雰囲気。いつの間にか雨音は止み、屋根の端から落ちる水量がぽたぽたと水滴になり始める。


「……雨、止んだね」

「…………」


 明らかに関われば面倒な女。頼まれても関わり合いになりたくない。

 オレは無言で立ち上がると、コンビニの袋を持って屋根付きベンチから去る。その際に女の様子を自然と確認した。

 ソレがいけなかった。


「――――」


 “ありがと”


 女は声は出さなかったものの、動いた口元はそんな事を言っていたと思う。だから、オレの中で高校の時の“彼女”がフラッシュバックした。


「…………そっちは?」


 オレは屋根付きベンチから出る足を止めて、女とは目を合わせずに尋ねる。


「……なにが?」

「……帰らないのか?」

「…………今日、泊めてくれない?」


 女は自分の家に帰らない理由を言わなかった。






「ビスケット……今日だけ一人泊まる」


 オレはアパートの部屋に入ると、座布団で丸まっていた飼い猫のビスケットが出迎えてくれた。


「…………」


 だが、オレの後ろにいるダウナー系女を見てピタリと止まると逆再生のように後退してタンスの中へ引っ込んだ。


「……猫。居るんだね」

「成り行きだ。お前は今晩だけだからな」

「……うん。ありがと」


 女の名前は知らないし、オレも名乗ってないので互いに知らない者同士という奇妙な形だ。

 オレはビスケットの餌を用意しタンスの中へ入れてやって、猫トイレの掃除をする。


「布団は使っていいぞ。オレは適当に畳で寝る」

「……あたしが畳でいいよ」

「オレはそこまで落ちぶれてねぇよ」


 オレは上掛け布団だけをタンスから引っ張り出すと、上着だけをハンガーにかけてワイシャツが皺になるのも構わずにそのまま畳で横になった。


「風呂入るなら勝手に入れよ。オレは……もう寝る」


 見知らぬ相手を部屋に連れ込むなど普段なら絶対にやらない。何かを盗まれる事だって考えられるし、普通に考えてこの判断は異常だ。

 しかし、二徹による思考能力の低下と、“過去の楔”がオレから正常な判断を奪っていた。


 そして、仕事の夢という悪夢を見て起きたオレに女が迫っていた。

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