第36話 抱きしめたのに

 レイシーとマッカの戦いも本当の強者同士が戦っているようで見ているこちらを圧巻させた。マッカが振るう大剣を避け、時折剣ではじくレイシー。その姿はただの世話人からは、かけ離れている。


(剣術を習っていることすら、俺はずっと知らなかったんだ)


 ずっとそばにいたのに。レイシーが大地の民の血を引いていることも知らない。今の彼の中に何が起こっているのかもわからない。

 レイシーは剣を軽々と操り、天色の瞳はマッカを見据え、全ての攻撃を受け流している。


(レイシー……君は、君の中には誰がいる?)


 今となれば彼がなぜずっとくっついてきたのか、わかる気がする。レイシーが大地の民の血を持つなら当然自分を狙う。おそらく本能的なもので自分を追わなければという思いが働き、追いかけてきたのかも。彼が、タイムリープのことを知っていたのも、きっとそれだ。


 それにレイシーは自分を好きだと言っていた。血の本能だけでなく、レイシーがその想いを持っていたから、なおさら強く、自分を追い求めたのでは。

 自分はそれが嫌ではなかった。一人になりたいと望んだが本当はそれの方が嫌だった。どんに逃げてもそばにいてくれる彼に、むしろ安堵していた。

 そばにレイシーがいるのが自分にとっての当然なのだ。


「レイシー……!」


 止めなくては。彼を、今度は自分が追い求めなければ。


「ラズ! オレもレイシーを止めに入るっ! お前も行けっ!」


 シリシラは杖を振るい、レイシーに対して光の玉を飛ばした。マッカ以外の攻撃が増えたことでレイシーは一瞬躊躇したようだが、すぐ剣をかまえて魔法をはじき飛ばしていた。そこをすかさずマッカが攻める。

 二人が攻めている隙に、自分はレイシーの元へ走った。自分には剣は振るえない、魔法も使えない。自分にあるのは言葉だけ。


「レイシー! 俺を、一人にしないでくれっ!」


 レイシーは無表情で、こちらに視線を向ける。その力は戦うのではなく、屋敷の中の重い荷物を持ったり、使用人の中の“優しい力持ちさん”でいてほしい。


「レイシー、君は俺のそばにいるのが務めだろ! 剣を振ったり戦ったり……かっこいいけど、そんなのは君の務めじゃない! 君は俺の世話人だ! だから俺のそばにいてくれっ!」


 レイシーの天色の瞳がまばたく。吸い込まれそうな瞳だ。いつも(綺麗だな)と、こっそり思っていた。エイリスと同じ色……マディも彼を見ながら同じことを思っていたのだろうか。


「――さ、ま」


 レイシーの唇が何かを発した。よく聞こえないが自分のことを呼んでいる気がする。だってこれまで何度も何度も、彼はそう呼んでくれたのだ。


「レイシー! 俺はここだ!」


 マッカとシリシラが成り行きを見守り、レイシーがこちらを見ている中、背後では、また別の事態が起きていた。

 空中に漂うセネカの元に、誰かが高くジャンプし、彼女に近づいた。その隙に、そのジャンプした者はセネカの腰に下げられていた麻袋を抜き取ったのだ。


 その直後、セネカにも変化が起きる。気持ちの悪かった触手は黒煙のように消え去り、不思議な力を失った彼女は重力で下に落ちてきた。


「セネカさん!」


 マッカが大剣を投げ捨て、即座に駆け寄る。身体能力の高い彼なら落ちてきたセネカのキャッチなど容易いことだ。いとも簡単に前に抱えた姿は愛しい女性を助けた勇者のようにも見えた。  


「セネカさん、セネカさんっ」


 セネカは目を閉じたままだが息はあるようだ。


「心配すんな。そう簡単にくたばる女じゃないからな」


 飄々と現れたのは麻袋を手に持ったジンだった。彼はハルーラにかけられた魔法のせいで、動くのもやっとだったはずだ。


「なんだか騒がしいと思ったらな〜。全く守銭奴女のバケモノ姿なんか見れたもんじゃないよなぁ。本人が見たら卒倒しちまうよ」


 ジンはヘラヘラと笑っているが、やはり動くのはしんどそうだ。それでも“腐れ縁”として彼女を助けたのだ。マッカは少々複雑そうに唇を噛んでいる。


「おいおい、んな顔すんなよ。別にセネカのことを想って助けたわけじゃないんだからな。この宝石が、多分お前さんに必要だろうと思ってな――ほら」


 ジンは小さな麻袋を放り投げてよこした。中には硬い何かが入っているようだ。


「ラズ、呪いを退けるには、それがもう一個いると思うぜ。“あいつ”を助けるためにはな。失ったものを取り戻してやるんだ」


(あいつ……?)


 誰のことを指しているのだろう。そう思っていた時、カランと金属が転がる音がした。

 視線を向けるとレイシーが剣を地面に落とし、目を閉じて天を仰いでいた。


「レイシー、大丈夫かっ」


 すぐに駆け寄り、彼の様子を探る。少しするとまぶたが開き、天色の瞳は自分を見て「ラズ様?」と、いつもの呼び方で、自分のことを呼んでくれた。


「レイシー……! よかった」


 思わずレイシーを抱きしめていた。あのまま変な状態だったら。もう『ラズ様』と呼んでくれないレイシーだったら。それを考えると胸が苦しい。彼の存在がここにあることを確かめたくて彼を思い切り抱きしめる。頬に当たる彼のクセのある髪がくすぐったいが(よかった)と心底思う。


「ラズ様……ラズ様……」


 レイシーの肩が震えている。怖かったのだろうか。大地の民の魂に意識を奪われていたことが。


「……大丈夫。大丈夫だ、レイシー。きっとなんとかなる。お前とずっと共にあるために、俺は――」


 レイシーの手がゆっくりと自分の腰に回る。あたたかくて力強く、愛おしい……あらためてそれを痛感させられた。もっと早くに気づいてあげられればよかったのだが。


「ラズ様……俺、あなたが好きです……あなたのお世話をして、あなたの衣服を整えて、あなたの髪をすいて……そばにいるのが、幸せでした」


 聞いてると顔が熱くなる、レイシーの熱い想い。

 しかし彼の身体がスッと動き、その右手に握られたナイフを見た刹那、時が止まった。


(レイシー……?)


 何もできない。

 何も言えない。

 自分は、自分に向けられたナイフの刃先をジッと見ていた。

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