うそつきと100年後
@Shioo
うそつきと100年後
二つの国が大きな戦争を起こした。
多くの者が犠牲となりながらも、泥沼のような戦争となってしまう。
終わりがいっこうに見えず、人々も一体何の為に戦争が起きているのかよく分からない、そんな状態であった。
そんな中、戦争の情報を司る情報機関にある一通の情報が送られた。消印は100年後先の日付であった。
通報官――情報を伝達、又その情報を守る役目を担う存在のことをいう。情報の為ならば、敵国はもちろん自国への潜入も厭わない。故に、国として機密とされている組織の存在でもあった。
本国に戻ったヘラは通報官の1人だった。もちろんこの名前は偽名で本名は違うのだが、今それは置いておこう。休憩室の中でヘラは妙な情報紙をどうすれば良いか悩んでいた。別段、怪しいところのない普通の封筒であり、中身とて危険なものが入っているわけでもない。ただ、紙が入っているそれが妙なのは、消印が100年後の日付となっている為だ。
ヘラはとても気になった。いたずらにしても、この機密中の機密であるこの組織に入り込んだそれがとても気になった。だから、誰かがそれを見つける前に隠すように懐に入れて持ってきた。
うん、開けよう。ヘラはふいに開ける決心がついて開けようとすると、休憩室のドアが開いた。ヘラは咄嗟に便箋を懐へしまい、ドアの方へ顔を向ける。対照的な二人組が入ってきた。1人はきっちりと軍服を着こなし、背はやや低いが姿勢が正しい鋭い目つきをした男。もう1人は軍服を着崩し、高い背ながら猫背で、緩やかな垂れ目をした男。その対照的な2人にヘラは見覚えがあり、にやりと笑った。
「やぁやぁ、お二人ともお揃いで」
声を掛けると鋭い目をいっそう鋭くして、顔を顰める男ミヤコを押し退けて猫背の男ブーゲンヴィルは「ヘラさん、こんにちは」とへらりとして返してくれた。
ミヤコは押し退けられたことが苛立たしいのか舌打ちして休憩室の奥にあるコーヒーメーカーのところへ黙って足を進めてしまった。ヘラはそれを横目で見つつ、ブーゲンヴィルが目の前のソファに座り込んだのでそちらに視線を向けた。
「こうして3人が揃うのは珍しいね」
「そうですねぇ。いやぁ、ここのところ忙しかったので、こういう束の間の休息?みたいな時間ができてうれしいですよ」
ニコニコ笑みを浮かべてそう話すブーゲンヴィルの前にコーヒーが置かれた。ミヤコが自分の分だけじゃなく彼の分も用意したのだ。「ありがとーございます」ブーゲンヴィルは軽くお礼を述べ、すぐに口を付けた。
ミヤコは鋭い目をヘラに向けて――というよりもヘラの懐に向けて「で?」と不機嫌そうに疑問をぶつけてきた。
「その懐にしまったものはなんだ」
ブーゲンヴィルも「そうそう、なんです」と同意した。
ヘラはにやりと笑い、懐にしまった封筒を取り出しひらひらと揺らす。
「やっぱ気付いた?じゃあ、共犯になってよ。この未来からの手紙を読む、さ」
2人は仲良く首を傾げた。
“戦争はもうじき終わる”
封筒の中に入っていた1枚の便箋にはそう書かれていた。
抽象的、無責任な文字の羅列にヘラは、やはりにやりと笑った。
こんなものを送る大馬鹿者は誰だ。
「質の悪い悪戯だ。」
ミヤコは憤慨した様子で言い捨てる。
「えー、本当かもしれないじゃないですか。ねぇ、ヘラさん」
ブーゲンヴィルはキラキラと垂れ目を輝かせてヘラに同意を求める。
「本当だったらすごいよね、これ」
ヘラはただただにやりと笑って頷く。
「ヘラさんじゃないですか、未来からの手紙って言ったの。信じてないんですか」
「うーん、日付指定してくれれば現実味もあったかもしれないけどね。だけど、素敵だよね」
「こんなものは信じるに値しないぞ。馬鹿げている。」
ミヤコの言葉にブーゲンヴィルは仕方がないような目を向けた。
「頭ごなしに否定から入るのはどうですかねぇミヤコさん」
「根拠もないのに全面的に肯定的に入るの思考放棄した奴のすることだ」
「ここに100年後の消印があるじゃないですか。これは根拠にならないんですかぁ?」
「そもそもそれが本物かどうかも怪しいし、100年後なんぞからの手紙などありえない」
クスクス笑い、ブーゲンヴィルは「相変わらずノリが悪いですねぇ」と言う。ヘラは便箋の字を見つめ、目を細めた。
「今の世の中でこんなものが出回っていたら通報官たちが何をするかわからんぞ」
溜息を漏らし、ミヤコは疲れたように呟く。ブーゲンヴィルの冗談に付き合わされてしまったことを後悔しているようだ。
ブーゲンヴィルは「でも僕は信じますよ」と言った。ヘラもミヤコもブーゲンヴィルを見た。
「はやくこの戦争が終わって、さっさとこんな仕事辞めるんです」
希望的観測だ。ヘラもミヤコもそう思ったに違いない。だが、何も言わない。この戦争に関わる全ての人間とは言わないが、少なからず、誰もが一度は考えてしまうことだろうから。
ミヤコが戦死したのを知ったのは、終戦して何年か経過した後だった。
ブーゲンヴィルは病床にあるヘラの傍に置いてある椅子に座り、静かにそのことを聞いた。あぁ、そうか。死んでたんだ。そんなことを思っていると顔に出ていたのか、ヘラは青白い顔で力なく笑っていた。あの頃、胡散臭いなと思っていたにやりとした笑みは、もう見られなかった。
終戦して、ブーゲンヴィルはすぐに仕事を辞められた、わけでもなかった。若手だと思っていたが、戦争による犠牲が多くいつの間にか自分はヘラと共に上層部に食い込みそうになっていたところにいたようだった。だから、一応は勝利国として後始末が次々と舞い込んできたのだ。やりたくもない仕事を終戦後もやり続けて、気づけば数年が経過していた。やっと解放されたと思えば、今度はヘラからの呼び出し。無視してもよかったが、僅かに残っていた罪悪感が首を擡げて、渋々尋ねればヘラは入院して、先は長くないという。“引き抜かれた”ミヤコの分までヘラはブーゲンヴィルも圧倒される程に働いていた。どうでもいいと思っていた国の為に一生懸命働いていて感心していたもんだったが、人生を戦争と国の為に捧げたようで憐れに思った。
青白い顔で出迎えたヘラは、恐らく病人がするであろう笑みを浮かべていた。そして告げられたミヤコのこと。不思議に思っていたが追求はしなかった。どうでも良かったから。ミヤコが引き抜かれたと言ったのは、そういえばヘラだった。その時から知っていたのだろうか。まぁ、しかし、それが本当であれ嘘であれ、どうでもよいことか。
「君は、相変わらずだね」
ヘラは静かに言った。
「何がです?」
「そうやって何も信じないところ」
視線を反対方向にある窓へ向けたヘラはそう言った。
「僕ほど、色々信じようとする輩はいないと思いますけどね。ミヤコさんからよく言われてたじゃないですか。頭ごなしに信じるなとかなんとか」
「その分、ミヤコはよく信じてた」
ブーゲンヴィルは首を傾げた。
「いやいや、頭ごなしに信じてない人の筆頭だったじゃないですか、あの人」
何を言っているのだ。そう思って反論するとヘラは視線を戻してきた。
「100年後からの手紙、覚えている?」
「…ん?そんなのありましたっけ」
「そうだと思った。君は何も信じてないから、どうだってよかったんだろ。――“戦争はもうじき終わる”とそれには書いてあったんだよ」
ブーゲンヴィルはまったく覚えがなく、頭を掻いた。そんなものがあったとして、戦時中にそんなことが書いてあってもただの悪戯だと思うだろう。そんなことを何故、今。今?もしかして、ミヤコはそれを。
「君は信じるとあの時言った。でも、君には心底どうでも良かった。その場限りの言葉だった。僕もね、きっとあれは誰かの悪戯で、あの時の少しの慰めになれればと思って信じちゃいなかった。…でも、ミヤコはあの時に誰よりも否定していたのに、誰よりも信じていた。」
「…それは、どうしてそう思うんです?」
もはや、自分の中身を見透かされていることはどうでもよくなってきた。しかし、ミヤコの気持ちには少しの興味が湧いた。だから続きを促す。
「彼は信じたくて、何も信じなかったんだよ。誰よりも真面目で素直で誠実で、僕たちをよく思っていた。だからこそ、何も信じないようにしていたんだ。信じるという気持ちが“隙”になると彼は理解していたから。――ブーゲンヴィル」
「はい?」
「あれは、彼の希望だったんだ。それを忘れないでくれ。」
ブーゲンヴィルには、ヘラが何を言っているのかちっともわからなかったし、興味も薄れてきた。しかし、ヘラは見たことがほどに真剣な顔で言うものだから思わず頷いた。彼のことだ。きっとそれがその場限りであることも分かっているだろう。
ヘラはブーゲンヴィルと会った数日後に亡くなった。それを知ったのは彼の部下と名乗る人物が家まで彼からの小包を携えて来た時だった。あぁ、死んだんだ。そう思ったことが顔に出ていたのか、その部下と名乗った人物は冷たい目でブーゲンヴィルを見て、小包を渡して去っていった。
小包の中には日記帳と手紙。手紙には誰かの名前とどこかの住所と一言、“家族に渡してやってくれ”。日記帳には名前が書いていなかった。表紙を開けるとびっしりと字が書かれてあった。嫌でも覚えている。これはミヤコの字だ。すると、この誰かの名前はミヤコの本名か。頭の片隅で考え、日記帳を見つめた。
「なんで僕が」
つい言葉に出てしまった。どうして僕がこんなことをしなくてはならないんだ。ブーゲンヴィルは溜息を漏らし、何気なく日記帳を読んでいった。数ページのつもりが、全てを読み切ってしまった。最後は、ヘラがミヤコは引き抜かれたとブーゲンヴィルが聞いた数か月前。日記帳を閉じて、ブーゲンヴィルは、ただただ日記帳の表紙を撫でた。
『あれは、彼の希望だったんだ』
頭の奥で、その言葉が離れなくなっていた。
――戦争は泥沼化している。なんの為に戦争が起きているのか人々は忘れてしまっているのではないか。皆、辟易している様子が分かる。これでは戦争が終わっても、明るい未来があるように思えない。そもそも、この戦いに終わりが見えない以上、未来が明るいのか暗いのか分からないが。
――また1人、また1人。同僚が死んでいく。仕方がないことと分かっているが、我々は機密の存在の為に、誰も悲しむことなく消えゆく運命である。だから、こうして内密に彼らを弔おう。
――若手が入ってきた。大変な思いをするだろう。背が高いくせに猫背でやる気がないように見えてしまう。話せば、何でも頭ごなしに信じるような人間だった。この職場に合っていない。異動届を出すべきだ。同僚にそう話すと、なぜか笑われた。「彼ほどここに合う人間はいない」らしい。よく分からなかった。
――先輩も同僚も後輩も、いなくなっていく数が多いのに、あの若手は生きていた。久しぶりに会って、希望的観測をよく言う為、そういうところは変わっていないと思った。だが、それを言葉にできることに、とても羨ましく思った。
――また死んだ。先輩が、同僚が、後輩が。男性が、女性が、子供が、赤子が。仕事の為に救える命も見捨てた。俺は、何の為にこの仕事をしているのだろうか。なんの為に存在しているのだろうか。死を見る為じゃない。これからを生きる人の為に…(文字が乱雑になり読めない)
――同僚が未来からの手紙を見せてきた。何やら消印が100年後の日付らしい。馬鹿馬鹿しいと思いながらも、その内容に救われたような気がした。こんな世の中で、これを言葉にすることはできそうで、できやしない。終わるのか、戦争が。あの若手は、仕事を辞めたいと言った。その言葉にそうだろう、と。希望的なことをよく言うその若手から、そういった言葉を聞いたのは初めてだった。この手紙にはそれを引き出させるような何かの力があったのだろう。俺も、この言葉の力に救われた。
――(文字が乱雑で読めない)…終わる、終わる。あの手紙は正しかったのだ。戦争が終わる。同僚も、あの若手も、皆、死なずにすむ。素晴らしい。素晴らしい。こんなに嬉しいと思ったのは何年振りだろう。あぁ、死を見るのは終わりだ。これからはきっと明るい未来があるに違いない。
◇
祖父が亡くなって、26年経つ。ようやく、祖父の遺言を実行できる時が来た。祖父が亡くなる数日前に渡された手紙を日付指定で出した。戻ってくると分かっていても、それが遺言の為、やるしかない。郵便局員は日付指定をじっと見てから顔を上げて「お預かり致します」と言って受け取ってくれた。それを少し不気味に思いつつ、郵便局を出た。
祖父は自分のことをどうしようものない人間だと言っていた。優しい祖父としか認識していなかった側からすると信じられなかったが。祖父は優しい笑みを浮かべ、それでも心から思ってくれる人がいたと言う。「それっておばあちゃん?」と聞くと、「あいつは3番目」とはっきり言った。その前は一体誰なのだろう。不思議に思っていると、「全部失ってから気づいたんだよ」と悲しげに言った祖父の顔を忘れられなかった。
「今度は私が彼らに渡さないと」
祖父はそう言って、手紙を渡してきた。必ず、指定した時に日付指定して出すんだと真剣な口調で伝えてきた。
日付指定した日は100年も過去の日付だった。こんなもの、すぐに返されてしまうよ。そう思ったが、出してあれから手紙が戻ってくる様子はなかった。住所も名前も書いたので、戻ってくるならば、必ずここへ戻ってくるはずなのだけれど。
不思議に思いながらも、今日も祖父の墓の前に立った。
◇
郵便物が置かれている場所に妙な封筒があった。
気になって手に取ると、封筒の消印は100年後のものだった。そして更に宛名には「親愛なる先輩方へ」と書いてある。裏を見れば、驚愕する。あの高背の猫背な若手の名前が書いてあるじゃないか。しかも本名で。さらに驚くことに、次の瞬間には宛名も、若手の名前も消えてしまっていた。不思議なことが起こるものだ。これはいい。誰かにバレる前に懐へしまった。
笑いが止まらない。これが嘘でも本当でも、中身を見る価値がある。悩ましいな。先に開けてしまう、彼らが“もしかしたら”来れば一緒に開けてもいい。いや、でもそう偶然はそう簡単にはないか。
まぁ、とりあえず休憩室でゆっくり考えよう。
足取りはこんな世の中なのに、久しぶりに軽やかだった。
うそつきと100年後 @Shioo
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