第32話 【意味不明】




 もう何日が過ぎただろう。

 もう何日も写真を撮ってない。

 スマホも全く確認しなくなった。見ると呉羽を思い出す。届かないメールを送ってしまいそうになる。今までのメールを何度も読み返してしまう。

 俺、こんなに女々しい男だったのか。気持ち悪いな。


 相手は顔も声も何も知らないガキ。いや、本当にガキなのかどうかも俺は知らない。呉羽の名前だって本名なのかも分からないのに。

 ずっとメールをしてきたのに、俺は呉羽のことを何にも知らない。呉羽だって俺のことを何も知らない。

 忘れればいい。さっさと忘れて、今までの生活に戻ればいいだけなのに。

 それが、出来ない。ふとした瞬間に思い出してしまう。


 自分でも驚くくらい、俺の中で呉羽の存在が大きくなっている。

 自分の心に大きな穴が開いてしまった。もう空っぽだ。全てを失くした気分だ。


「……はぁ」


 俺はコンビニで適当に飯を買って家に帰る途中、誰もいない公園で足を止めた。

 遊具もほとんどない、寂しい公園。俺はボロいベンチに腰を下ろして背もたれに寄りかかった。


 深く息を吐いて、空を仰ぐ。

 いつもなら写真を撮りたくなるような綺麗な茜色の空。でも今は、そんな気力もない。

 今までにだって無気力になることはあった。元々無趣味だし、暇を持て余すことも多かった。今の状況もその時と似たようなものなのに、なんでこんなにも虚しさを感じているんだ。

 適当に酒でも飲んで寝て忘れればいいのに。

 いっそのこと、このスマホを解約でもして全部消してしまえばいい。そうすればメールを送ろうとか、メールを見返そうとか思わずに済む。

 そうだ。パソコンの写真も消そう。もうカメラも捨ててしまおう。


 いつまでもウジウジしてても仕方ない。

 こんなの、俺らしくない。俺は、こんな風に悩む奴じゃないんだ。


「…………呉羽」


 ああ。女々しいな。

 忘れようと思い出を消そうと思うのに、それが出来ない。情けなく一人の女の子の名前を呼んでる。

 アホみたいだよな。


「ねぇ、君」


 ふと、誰かが俺の前に現れた。パーカーにジーンズとラフな格好。手ぶらってことはこの辺に住んでる奴か。

 黙って目の前の男を睨むと、長身の男が俺を見て笑った。なんか、気味が悪いな。どんなに記憶を遡ってもコイツの顔は思い出せない。完全に知らない奴だ。


「ねぇ、君の名前は圭吾?」

「は?」

「素直に応えてほしいんだ。君は、二堂圭吾?」


 なんでコイツ、俺の名前を知ってるんだ。前に喧嘩したやつの知り合いとかか?

 見た感じ、俺と同じくらい。それか少し年上だと思う。


「……誰だよ、お前」

「お。もしかして当たり? 今、呉羽の名前呼んでたからそうかなって思ったんだけど」

「……っ!」


 今、呉羽って言ったか。俺に話しかけたってことは、俺が知ってる呉羽だよな。コイツは呉羽の知り合いなんだ。アイツの居場所を、知っている。


「おい、呉羽は……アイツは、どこにいるんだ!」

「まぁまぁ、そう怒鳴らないで。案内してあげるから」

「案内?」

「ああ。おいで」


 男は公園の奥、雑木林に向かって歩き出した。

 なんでそんな道を通っていくんだ。近道とかだろうか。仕方なく俺は男の後ろを付いていった。


 この公園はかなり前からあるらしく、この雑木林もずっと手入れもされずに放置されてるとか聞いたことがあるけど、それにしても木が多くて歩きにくいな。目の前ですたすたと前を進む男の足取りは軽い。こういうところ歩き慣れてるのか?


「…………ん?」


 なんだろう。なんか、違和感があった。

 どう言葉にすればいいか分からないけど、体がビクッとなった。

 俺は足を止めて、何となく後ろを振り返った。すると、背後には木しか見えない。まだそんなに進んでいないはずなのに、さっきまでいた公園も、建物も何も見えない。

 どうなっているんだ。いくら何でもおかしいだろ。ここはそこまで田舎じゃない。何かしらの建物とか、背の高いマンションとか電柱が見えなきゃおかしい。


「おや、もう気付いた? 意外と敏感だね」

「……どうなってるんだ」

「ここには結界があってね。木の間を決まった順に通ると別の次元に入ってしまうんだよ。ごくたまに人間が張ってきちゃうこともあるんだけど……そういうの、君たちは神隠しって呼んでいるらしいね」


 背を向けたまま男が話す。

 何を言ってるんだ。神隠しとかアホじゃないのか。

 というか、さっきから息が苦しいのは何でだ。緊張してるのか。俺がコイツ相手に緊張するなんてあり得ないだろ。

 だけど、手のひらが汗でびっしょりだ。

 俺、コイツにビビってるのかよ。


「怖い? そうだよね、人間は怖いよね」

「……なに、言ってんだよ」

「強がらなくてもいいよ。普通の人間が耐えられるわけがない」


 男が、ゆっくりと振り返る。

 俺は、自分の目を疑った。瞬く間に男の服が変わり、俺の方を向いた時には着物になっていた。

 俺の目はおかしくなったのか。確かにさっきまでパーカーだった。間違いないはずだ。

 それに、アイツの額からは角みたいなものが生えてる。


「俺の名前は苓祁。鬼だよ」


 何もかも、信じられない。



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