第10話
黒子に支えられて舞台から降りると、憮然とした友の姿があった。
「狼尾……」
敵意のこもる眼差しはすいとそらされ、無言で歩いていく。紫微の強さを認め、狼尾は執着していた。自分が横入りしたことで機嫌を損ねたのだ。追いかけようとしたとき、黒子に呼び止められた。
「いかがされますか。再度、挑まれますか?」
「え? いや、その……彼とまた会える機会はありますか?」
「見つけさえすれば、いつでもお話はできるかと」
「そうですか」
紫微に拒まれたことはよくわかった。今は何を伝えても無駄な気がした。彼の心を溶かす言葉を、どうにかして見つけなければいけない。
舞台にいたとき、音ににじみ出ていたのは紫微の愉悦だった。楽を奏でることへの悦びと、まだ見ぬ舞台に対する期待、そして多大なる恐怖も感じられた。楽を奏でたいと思っているのに、紫微は舞手との舞台を恐れている。それは何故なのか。彼に伴奏をしてもらおうと思ったら、その心をもっと理解する必要がある。考えを読んだように、黒子は重々しく告げる。
「一週間以内に、いずれかの楽器を組手にしてもらわねばなりません。紫微以外の楽器も一考されるのが賢明でしょう。複数の楽器の所持も認められております。紫微は気難しい楽器ですから、その他の名器もご覧ください」
黒子の声を聞くともなしに聞き、意識は別のほうへ持っていかれた。すこし離れたところで銀朱がなにやら揉めている。飛燕子にまた言いがかりをつけられているのかと思ったら、そうではなかった。わめいているのは銀朱で、相手も飛燕子ではない。
「浅葱がそんな奴だとは思わなかった! おいら、ずっとお前のこと探してたのに!」
「僕だって、君のことをずっと探してた……!」
「うるさい、この裏切りもんが!」
近づいていくと、怒れる銀朱の前にはふたりの少年がいた。
ひとりは猫目の愛らしい少年だ。ひらひらした真っ白に透ける羽衣を身にまとい、銀朱のことを小馬鹿にした目で眺めている。すました白猫のような雰囲気で、どことなく性格が悪そうだ。自分たちと歳はそう変わらなそうだが、あまり仲良くしたいとは思えない。
もうひとりの浅葱と呼ばれている少年は、弱りはてた顔で銀朱をなだめていた。こちらも歳はそう変わらないだろう。線の細い麗人で、うす水色の優雅な舞装束を着ている。どこか体でも悪いのか、今にも倒れてしまいそうに青ざめている。涼しげな泣きぼくろの目元は歪み、懇願するような声だ。
「銀朱、話を聞いて。僕は君を手放す気はないんだ」
「嫌だね! お前がそいつと組むなんて、おいら認めない!」
「頼むよ。許してくれないか?」
「……どうあってもそいつと組むんだな?」
にらみ合うふたりを眺めていると、銀朱がくるりと振り返った。吹っ切れたような据わった瞳に、思わず顔がひきつる。嫌な予感がする。身を引こうとしたが、遅かった。銀朱に腕を引っ張られた。
「なら、おいらはこいつと組む!」
「えっ。な、なに?」
「浅葱が勝手にするっていうなら、おいらもそうする。誰と組むかはおいらの勝手、そうだろ?」
浅葱はひどく傷ついた目になり、震える声で話していた。
「そんな……通りすがりの人を。適当に組手に選ぶなんて、失礼じゃないか」
「適当じゃない。もう瑞月とは友だちなんだ」
だろ? と聞かれれば否定もしがたい。曖昧に頷くと、争いを静観していた猫目の少年が浅葱にしなだれかかり、口をはさんだ。
「浅葱ぃ、いいじゃないか。舞手は楽器に選ばれる。銀朱はお前じゃなく、あいつを選んだんだ。お前にあんな楽器は似合わないし、釣り合わない。私なら、お前の心に寄り添える」
銀朱の手にぐっと力がこめられた。つかまれている腕が絞められて痛い。唇を引き結んだ銀朱は、きっと猫目の少年を睨みつけた。対する浅葱は、大きな黒目でなぜかこちらをじっと睨んでくる。まるで銀朱を奪った盗人を責めるみたいな瞳で。
「瑞月、行こうぜ」
銀朱に引きずられ、たたらを踏むようにその場を離れた。紫微の舞台の後遺症なのか、体が痺れてうまく動かせない。その間にも銀朱はずんずん歩いていく。
「銀朱……! ちょっと、あの、よかったの?」
「いいんだ。浅葱のやつ、おいらを裏切りやがった。ずっと一緒だったのに」
ようやく立ち止まった銀朱は、床を憎々しげに睨んでいた。その目には涙の膜がうっすら張っている。声をかけあぐねていると、目元を拭った彼は明るく声を張り上げた。
「瑞月、もういい楽器は見つかったか?」
「あ、いや。いいなぁとは、思ったんだけど」
未練がましくつい紫微の舞台を見てしまう。最奥にある舞台には、今も紫電が走っていた。誰かが舞台に上がっているのだろう。紫微とまた舞えたらどれほど良いだろう。その権利を誰かに取られてしまうかもしれない──そう想像しただけで、腹底がざわめいた。今すぐあの舞台へ戻りたい。視線の先を追った銀朱のため息が聞こえた。
「あいつ気難しいからな。口説き落とすのに一週間じゃ足りないよ。そうは言っても、お前は一週間以内に楽器を見つける必要がある。そうだろ?」
「うん。まあ、そう言われたんだけど」
「とりあえず、おいらにしとけ」
「うん?」
銀朱は浅葱のほうを振り返りかけ、我慢するように眉根を寄せた。
「おいら、あいつらには絶対に負けない。次の舞台で絶対にあいつらをうち負かしてやる。お前となら、いい奉舞ができそうな気がするんだ。だからさ」
「君とふたりで舞うの? 並んでやる双子舞を?」
「違うよ。おいらが演奏して、お前が舞うんだ。自分で言うのもなんだけど、中々にいい楽器だぞ」
思わず銀朱の全身をじろじろと見てしまった。見た目はどうみても人間だ。銀朱とは建物の入り口からずっと一緒だった。彼が楽器──?
「君は、鬼王院の内部生なんじゃ……?」
「それは浅葱。おいらは舞手には忠実だ。浅葱みたいに裏切ったりしない」
ふん、と、腹立ちと決意に銀朱の目が光る。
「奉舞に協力してやるよ。お前が紫微と組むまでは」
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