第16話

週末は宣利さんとふたりで式の相談をしていた。

会場が選ばれた人しか会員になれない、格式の高いレストランなのであまり変なことはできないが、それでも今回は身内だけのこぢんまりとした結婚式で貸し切りなので、融通してくれるという。

それでできるだけ手作りして、アットホームな式にしようと計画していた。

幸い私は現在、仕事をしていないので時間はある。


「招待状とか席次表とか、紙ものは基本ですよね?」


宣利さんが持ってきたノートパソコンでいろいろ調べながら、相談をする。


「でも、うちのプリンタだとな……」


彼は悩んでいるが、今の家庭用プリンタはかなり綺麗に印刷できると思うけれど?


「いっそ、いいプリンタを買うか。

箔押しができるヤツ」


「……は?」


思わず、変な声が出た。

この人、今、結婚式の招待状とかの印刷のために箔押しができるプリンタを買うと言いましたか?

ハンドメイド作家とか、お店を経営しているとかで、滅茶苦茶箔押し印刷する人ならわかる。

でも私たちは、結婚式の準備でしか使わないと思うんですが?


「ええっと……。

それだと、業者に頼んだほうが安くつくと思いますが?」


「それだと手作りじゃなくなるだろ」


不満げに言われても、ねえ……。


「よし、資材はもちろんだが、いる道具や機械も書き出していかないとな」


もうその気なのか、持ってきていた紙に彼が【プリンタ 箔押しができるもの】と書く。

……うん。

もういいよ。

そのへんは好きにやってください。


ウェルカムボードやウェルカムドールなど、作るものも当然、書き出していく。

私は裁縫は人並みにできるのでぬいぐるみに着せる衣装やリングピローを作るのに問題はない。

でも、印刷物のデザインは任せておけという宣利さんはどうなんだろう?

まあ、テンプレートとかあるから大丈夫だよね。

それに本人、滅茶苦茶楽しそうだし。


楽しい相談に水を差すように、不意に宣利さんの携帯が鳴った。


「はい」


電話に出た彼は若干、不機嫌そうだが仕方ないよね。

だいたい今日は、来客の予定はなかったはずだ。


「……はい。

……はい。

本当にご迷惑をおかけして、申し訳ありません。

通してください。

こちらの守衛には僕から連絡しておきます。

……はい、本当に申し訳ありません」


電話を切った宣利さんの口から、辺りを真っ黒に染めそうなほど憂鬱そうなため息が落ちていく。

携帯を少し操作し、彼は再び耳に当てた。


「姉さんが来るから通して」


それを聞いて私の身体がびくりと硬直する。


「聞いたとおりだよ」


私の顔を見た宣利さんは、まだ彼女と会ってもいないのに疲れ切った顔をしていた。


「花琳は部屋にいて。

出掛けてるとかなんとか、適当に誤魔化しておくから」


宣利さんが私を守ってくれようとしているのはわかる。

わかる、けれど。


「大丈夫ですよ。

それに宣利さんが家にいるのに私が出掛けてるとかなったら、また嫌みを言われかねません」


典子さんはなにかと考え方が前時代的なのだ。

でもあの曾祖父と祖父の下で、そうやって自分を守ってきた感じがする。

だから私は彼女を憎みきれずにいた。


「ほら、早く出迎えないとまた、怒られますよ」


まだなにか言いたそうな宣利さんを半ば追い立てる。

彼が私を守ってくれるのは嬉しい。

しかし私は、守られるだけの女にはなりたくないのだ。


私たちが玄関に到着するのと同時にチャイムが鳴った。

先ほどの守衛からの連絡から考えて、早すぎる。

まさか、この僅かな距離を飛ばしてきたんだろうか。


「随分早いですね、姉さん」


宣利さんも同じ気持ちだったらしく、その声は嫌みがかっていた。


「普通でしょ」


平気な顔で典子さんは家に入ってきたが、普通じゃないから聞いているんですが?

いいもなにもまだ言っていないのに、彼女は勝手に家の中を進んでいき、リビングでどさっとソファーのど真ん中を陣取った。


「あー、喉が渇いた」


じろりと典子さんが、私を睨めつける。

反射的に背筋がびくっと伸びた。


「は、はい。

すぐにご準備させていただきます」


「花琳」


キッチンへ急いで駆けていこうとする私を宣利さんが止める。


「いいよ、僕がやる」


「で、でも」


すっかり動揺し、彼の顔をすらまともに見られない。

そんな私の背中を彼は、優しくぽんぽんと叩いた。


「じゃあ、一緒にやろうか」


じっと私を見つめる、レンズの向こうの瞳は、大丈夫だと語っている。

それでようやく、うんと頷けた。


「お茶くらい、ひとりで淹れられるでしょーぅ?」


不快に典子さんの語尾が上がっていく。

それだけでびくびくと子うさぎのように怯えた。


「この家の主は僕だ。

文句があるなら出ていけ」


びしっと宣利さんの指が玄関を指す。

その声は静かだったが、激しい怒りを孕んでいた。


「べ、別にないわよ」


それを察知したのか典子さんがおとなしくなり、バッグから出した携帯を見だす。


「行こう、花琳」


そんな彼女を無視するように、宣利さんは私の背中を押して促した。


キッチンまで来てようやく、息をつく。


「やっぱりさ。

カウンセリングはもうしばらく受けたほうがいいと思うんだ」


私を椅子に座らせ、ヤカンを火にかけながら宣利さんは提案してきた。

守られるだけの女になりたくないと思いながらも実際は、典子さんにこんなに怯えてしまって情けない。


「姉さん相手にこんなになるなんて、まだ全然よくなってないだろ」


私の前にしゃがみ、手を取ってレンズ越しに彼がじっと私を見つめる。

その瞳は憐れんでいるようにも悲しんでいるようにも見えた。


「で、でも」


典子さん相手でなければ、まったく問題はないのだ。

そこまで心配しなくていいんじゃないかな……。


「姉さんひとりだけだから大丈夫、とかいう問題じゃないよ。

きっと似たような態度を取る人間を相手にしても、萎縮してしまうはずだ。

だから、さ」


立ち上がった宣利さんが、そっと私を包み込む。


「まだしばらく、カウンセリングを続けよう?

夜、花琳がぐっすり眠れるように」


つい、ぴくりと身体が反応してしまう。

私が夜中に悪夢を見てうなされているの、知っていたんだ。

私はマタニティブルーだって片付けていたのに。


「花琳の身体に心にもよくないし、なにより赤ちゃんにだってよくないよ。

ね?」


子供に言い含めるように優しく、彼が繰り返す。


「……そう、ですね」


そうすればこの、私の心を締めつける縄は切れるんだろうか。

切れるのなら切ってしまって自由になりたい。


「うん。

じゃあ、手配しておくよ。

今日はもう部屋に帰って……」


「大丈夫、なので」


宣利さんに全部言わせず、彼を見上げる。


「大丈夫なので、いさせてください」


じっと彼の目を見つめ、お願いする。

きっと典子さんが来た用事は、私絡みだ。

だったら、当事者である私のいないところで勝手に話をされるのは嫌だ。


無言でふたり、見つめあう。

ヤカンがお湯が沸いたのだと盛んに湯気を噴き出しはじめた。


「……はぁーっ」


しばらくしてため息をついた宣利さんは激しく悩んでいる様子で髪を掻き回した。


「そんな目で見られたら、ダメって言えなくなっちゃうだろ」


ヤカンの火はそのままに、彼は私と視線をあわせずにお茶の準備を始めた。


「ほら、なにが飲みたい?

花琳が飲みたいのを淹れてあげる」


さっきの返事はイエスなのかノーなのか判断しかねる。

けれど尋ねられて答えないわけにはいかない。


「……マスカットのフレーバーのヤツ」


「デカフェの紅茶のヤツね。

了解。

暑いし、アイスティにしようか」


冷凍庫から氷を出し、テキパキと彼は準備を進めていく。


「確かまだ、お義父さんにもらったキャラメルムースのケーキ、あったよね?

冷凍のままでも美味しいって言ってたし、もったいないけどあれも出そうか」


「ああ、はい……」


冷凍庫を開け、ケーキを取り出す。


「ありがとう」


調理台へ持っていくと、宣利さんはにっこり笑って受け取った。


「お皿、準備しますね」


「うん、頼むよ」


そのうちマスカットのいい匂いがしだす。

我が家には宣利さんが、妊婦が楽しめるお茶をいろいろ取りそろえてくれている。

おかげで私のお茶ライフは充実していた。


「さっきの話だけどさ」


お茶の準備が手際よく調っていく。

お茶にさらにケーキではお盆では運べないので、彼はワゴンに乗せた。

曾祖父が海外から取り寄せたという、昔のヨーロッパ貴族が使っていた本物のアンティークだ。


「そうやって頑張る花琳が好きだから、僕は反対できないんだよね」


ちゅっと軽く、宣利さんが口付けしてくる。


「でも、無理はしないこと。

つらくなったらいつでも言って。

僕も気をつけるけど」


唇を離した彼は、その長い指で私の額を小突いた。


「はい」


こうやって私の意思を尊重してくれる宣利さんが好きだ。

そのうえでさらに、気遣ってくれるところも。

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