第11話
下手に動いてまた宣利さんを心配させるのもあれなので、だらだらと動画配信で観たかったドラマの一気観をする。
「ただいま」
「おかえりなさい」
窓の外が夕闇に染まった頃、宣利さんが帰ってきた。
復縁してからは必ず、帰ってきたら私にキスをする。
「体調は、どう?」
「一日ゆっくりしたから元気です」
証明するように笑ってみせる。
「よかった。
じゃあ、食事に行こうか。
花琳の好きなお店、予約してある」
そのつもりで着替えて準備してあったので、一緒に家を出た。
「その。
毎回、迎えに来てもらわなくても現地待ち合わせで大丈夫ですが……」
宣利さんの運転で、街にあるツインタワーへと向かう。
車で五分程度の距離だが、一度帰ってきてまた出るのは面倒じゃないんだろうか。
「んー?
僕が花琳を迎えに来たいだけなんだが……ダメかい?」
ちらっと眼鏡の奥から、彼の視線が私へ向かう。
「えっと……」
「それに花琳を待たせたりしたくないからね。
やっぱり迎えに帰るよ」
「はぁ……」
なんだかよくわからないが、宣利さんがいいならいい……のか?
夕食はVIP専用レストランでイタリアンだった。
最初に来たときは高級すぎて気後れしたが、そのうち慣れた。
というか値段を気にしないようにした。
メニューに価格を書いていないから、初めのうちはいくらするんだろうと戦々恐々としたものだ。
しかし宣利さんの収入からいってきっとたいしたことないんだろうなと、割り切るようにした。
とはいえ、今でも値段を知るのは怖いけれど。
「もう二度と、姉さんから呼び出しはこないと思うよ」
前菜代わりのナスとモッツァレラチーズのトマトソース焼きを食べながら、顔が上がる。
「ほんとですか……?」
こないのならこんなに嬉しいことはない。
けれど二度に亘る宣利さんの抗議を受けてあれだったのだ。
信じられない。
「ああ。
両親と祖父母に姉さんが花琳に無理をさせるから流産しないか心配だって、相談しておいたからね。
きっと今頃、祖父からこってり絞られているよ」
宣利さんはおかしそうに笑っているが、私としては少々典子さんが気の毒だ。
彼のいう祖父とはこのあいだ家の掃除をさせられた母方ではなく、父方だと思う。
あの方は昔気質で、さすがに表立っては言わないがいまだに男系の跡取りに拘っているのから、私になにかあれば激怒なんてものじゃ済まないだろう。
「そんなわけで二度と、姉さんからの呼び出しはないと思う。
もしあったら言って。
今度からは僕が断るから」
うん、と力強く彼が頷く。
それでようやく、安心できた。
「ごめんね、何度も花琳に嫌な思いをさせて」
申し訳なさそうに彼は詫びてくるが、ううんと首を振った。
「全然、大丈夫でしたよ」
毎回、あんな状態になっている私を見ていれば、全然大丈夫じゃなかったのは隠せていない。
それでも、強がって笑った。
あれは宣利さんだって苦渋の決断だったってわかっている。
「花琳……」
みるみる眼鏡の向こうで、彼の目が泣き出しそうに潤んでいく。
嫌だったけれど、私は精一杯頑張ったのだ。
そんな顔はせずに、いつもみたいに褒めてほしい。
「頑張った花琳にはご褒美が必要だね」
すぐに気を取り直したのか、宣利さんが笑ってくれる。
「なにが欲しい?
バッグ?
靴?
アクセサリー?」
彼はいろいろ提案してくれるが、私は物欲が薄いのか特に欲しいものはない。
「そう、ですね……」
高価なものはいらない。
ただ……ただ。
「宣利さんとお出かけしたい、……です」
彼と、デートらしきものがやってみたい。
この外食がデートじゃないのかといわれれば、我が家はほとんどの食事を外食か買ってくるか、ケータリングで済ませているので、これは日常なのだ。
「お出かけ……?」
言われた意味を吟味しているのか、僅かに彼の首が斜めに傾く。
「はい。
近くでかまいません。
宣利さんとお出かけしたいです」
「それは……デート、ということでいいのかな?」
言葉にして指摘された途端、一気に顔が火を噴く。
「そ、そうですね」
「デート……」
首を傾けたまま、宣利さんはなにやら考え込んでいる。
典子さんは彼が女性に興味がないのだと言っていた。
この復縁も子供が理由で、大事な跡取り欲しさだというのは理解している。
そんな彼からしたら、私とデートをするのはそんなに悩むほど不本意だったんだろうか。
「あ、あの。
無理には」
「考えておく」
悲しくなって諦めようとしたら、ようやく彼の目がこちらを向いた。
「花琳へのご褒美なんだから、プランは僕に任せてもらえないだろうか」
「あっ、はい!
いいです」
思いがけない言葉に、焦って返事をする。
「うん。
楽しみにしといて」
眼鏡の下で目尻が下がり、緩いアーチを描く。
その顔に顔がみるみる熱くなっていった。
復縁してからというもの、あの真顔がデフォルトだったのが嘘のように宣利さんはよく笑う。
パスタはサーモンのクリームソースパスタにした。
脂ののったサーモンが、クリームによく絡んで美味しい。
「そういえばここ、新規出店者を募集しているらしいんだ」
「そうなんですね」
ツインタワーにはVIP専用のお店がいくつか入っている。
専用のエレベーターでしかいけないし、そのエレベーターもパスカードを持っている人間しか乗れない。
宣利さんのように選ばれた人間しか入れないようになっていた。
おかげで落ち着いていて、私は好きだったりする。
「僕はお義父さんの会社を推薦しようと思っているが、どうだろう?」
「……は?」
口に運びかけたフォークが止まる。
宣利さんと一瞬見つめあい、一回大きく瞬きをしたあと、中途半端に上がっていたフォークを皿に戻した。
「うちを、ですか?」
「そうだ」
宣利さんは頷いたが、なにを言っているのかわからない。
父の会社が経営しているのは低価格帯の定食屋と中価格帯のファミレスだ。
こんな、VIPが集う場所になんて出店できるはずがない。
「うちはこんなところにはまったくあわないですが」
もし、もしも。
VIPに遊び心でB級グルメを提供したい、とかだったらあるかもしれない。
いやでも、そんなコンセプトは普通、ないだろう。
「でも経営してるだろ、三つ星レストラン」
「あー……」
しれっと言われ、思わず天井へ視線を送っていた。
一部マニアしか知らないが、実は高級レストランを一店舗ほど経営している。
メインの定食屋ともファミレスともまったく違うコンセプトで、高級志向に走った店だ。
とはいえ経営理念からまったく外れているわけではなく、「お腹いっぱい食べられるようになったら、今度は本物も知ってほしい」
というわけでできた。
宣利さんが言うとおり評価も高く、それこそVIPにも愛用していただいている。
一部マニアしか知らないが、実は高級レストランを一店舗ほど経営している。
メインの定食屋ともファミレスともまったく違うコンセプトで、高級志向に走った店だ。
とはいえ経営理念からまったく外れているわけではなく、「お腹いっぱい食べられるようになったら、今度は本物も知ってほしい」
というわけでできた。
宣利さんが言うとおり評価も高く、それこそVIPにも愛用していただいている。
「いや、でもあれは規格外なので……」
視線をお皿の上に戻し、無駄にフォークへパスタをくるくると巻いた。
「規格外でもお義父さんが経営している会社の店には間違いない」
「そう、ですね……」
父はあの店を〝特別な店〟と呼ぶ。
人生の節目の特別な日に目一杯おめかしして使う、そんな店にしたいといつも言っていた。
その思いからはここへの出店は外れる気がしていた。
「それに、ここに入っている店と同じ経営のファミレスとなれば、話題になる」
パスタを巻き続けていた手が止まる。
そうか、宣利さんは父の会社の今後を見据えて言ってくれているのか。
「お義父さんの、会社の理念から外れるのはわかっている。
でも、なにをやるにしてもまず金がいる。
これで宣伝になりファミレスの売り上げも上がるかもしれないし、それに理念に賛同し、慈善活動に出資してくれるスポンサーも見つかるかもしれない。
どうだ?」
彼の言うことはもっともだ。
経営者の視点から見れば、これが正しいし納得もできる。
しかし、彼の口利きでの出店なんて、えこひいきみたいでいい気はしない。
「もっとも、僕が推薦したからといって即決ではないし、審査を受けて通らなければ決まらないけどね」
芝居がかった仕草で、宣利さんが肩を竦めてみせる。
機会は作る、ただし実力次第というわけか。
だったら。
「お心遣い、ありがとうございます。
私では返事ができませんので、父に相談してみてください」
精一杯の気持ちで頭を下げた。
「うん、わかった」
宣利さんが頷く。
父の会社のことまで考えてくれるなんて、本当にいい人だ。
こんな素敵な人と復縁できてよかったな。
たとえ、子供以外に理由がなくても。
メインの仔羊のローストは表面はパリッと中はジューシーで、臭みもほとんどなく美味しい。
「花琳は本当に美味しそうに食べるよね」
くすくすと小さく笑われ、頬が熱を持っていく。
「食べ意地が張っていてすみません……」
ナイフとフォークを置き、椅子の上で小さくなる。
つわりといえば吐き気が定番なのでそうなったらどうしようと戦々恐々としていたが、幸いなのか吐き気はほとんどない。
ひたすら眠いのもあれだが、一日中寝ていても誰もなにも言わない環境なのであまり困らなかった。
「いや。
花琳が美味しそうに食べているのを見ていると、僕も食欲が湧いてくるというか」
フォークに刺した肉を、宣利さんが口に入れる。
「前も言ったが、僕は食事なんて栄養さえ摂れればいいと思っていた。
でも、花琳を見ていたら食事とは楽しくするものなんだなって、やっとわかったというか」
「はぁ……?」
ちょっと、しみじみと彼がなにを言っているのかわからない。
こんな言葉が出てくるなんていったい、今までどんな生活をしてきたんだ?
「僕は曾祖父と祖父から、なんでもトップじゃなきゃ意味がないという教育を受けてきてね」
それはちょっとわかるかも。
世界でも有数の会社になったというのに、所詮成り上がり者に過ぎないと卑屈になり、上流階級の血を入れねばと私との結婚を押してきた曾祖父。
いまだに男系跡取りに拘る祖父。
そんなふたりなら、そういう考えを持っていてもおかしくない。
「遊ぶ時間どころか寝食も削って勉強したよ。
それでできあがったのは〝ロボット〟だったわけ」
自嘲するように彼が笑う。
それで周囲からなんと言われているのか彼自身知っているし、コンプレックスなのだと気づいた。
「でも、宣利さんはよく、気遣ってくれて優しいです」
「それはここ最近の僕、だろ?」
また彼が自嘲するので、首を振って否定する。
「離婚する前だって、私を気遣ってくれてました。
後悔もした結婚でしたがそれが嬉しくて、案外悪くないと思えました」
だから宣利さんに惹かれた。
だから離婚がつらかった。
でも、その気持ちは知られたくない。
「……そうか」
小さく呟いた彼は、嬉しそうに見えた。
「宣利さんはロボットなんかじゃありません。
なにより、ちゃんと食事をするようになりましたから!」
変な空気になりそうなのを茶化して回避を試みる。
「そうだな、ロボットは食事をしないものな」
彼もおかしそうに笑い、この話はこれで終わった。
デザートまで堪能し、店を出る。
コーヒーではなくカフェインレスコーヒーを出してくれるあたり、さすがVIP相手の店は違う。
帰ってお風呂に入り、ベッドでごろごろする。
「宣利さんは、さ……」
自分はロボットだって卑下しているようだった。
でも、ここで暮らし始めて、今までが嘘だったみたいによく喋るしよく笑う。
それに以前だって、真顔でなにを考えているのかわかりにくかったが、少なくとも私を気遣ってくれていた。
「私が幸せにしてあげられたらいいのに……」
ここに来て典子さんの嫁いびりは最悪だったが、宣利さんは私を大切にし、思い遣ってくれる。
それが子供のためであって私のためではない点を除けば幸せなのだ。
そこに彼の気持ちがなくても、最愛の人にこんなに大事にしてもらって、他になにを望む?
「そう、だよね……」
そっと、自分のお腹に触れてみる。
少なくともあの人は、この子を私にくれた。
これ以上、あの人の気持ちが欲しいと望むなど、図々しい。
それよりも私を――この子を幸せにしてくれる彼を、幸せにしたい。
「……うん」
とりあえず、私にできることからやろう。
前に作っていた食事は喜んでくれていたみたいだし、これからは作るようにしたいな。
よく寝落ちていて気づいたら宣利さんが帰ってきている現状では厳しいけれど。
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