第3話

結婚後は宣利さんが住んでいたタワーマンションで引き続き暮らすようになった。

新婚生活はもちろん、寝室は別だし生活も別だ。

結婚にともなって仕事は辞めさせられたので、できた時間を資格取得に当てる。

……そう。

仕事は宣利さんの曾祖父に辞めさせられた。


『倉森の嫁が一般社員として働くとかみっともないことはさせられない』


……らしい。

まあ、仕事に未練はないからいいけれど。

この機会に飲食の資格を取れるだけ取って、離婚後は父の仕事を手伝おうと思っていた。


夜、自室で映画をパソコンで観ていたら人の気配がして、一旦止めた。

廊下に顔を出すと隣の部屋のドアが閉まるところだった。


……帰ってきたんだ。


宣利さんは家を出るときも帰るときも声をかけてくれない。

それどころか私はまるで空気にでも思われているようだ。

そこまで無関心なのは返って清々するが、一応は一緒に暮らしているので挨拶くらいはしてほしいと願ってはいけないだろうか。

それに知らないうちに帰ってきているのはびっくりするし。

あと、気になることがあるのだ。


もう、夜中に近い時間になってキッチンへ行く。

ゴミ箱を開けて中をチェックした。


「やっぱり食べてないよね」


宣利さんが家で飲食している形跡がないのだ。

最初は外食派の人なのかと思った。

しかし今日のように、仕事が終わってどこにも寄らなかったとしか思えない時間に帰って来るときも多い。

それに休日はトイレと入浴以外、ほぼ部屋から出てこないのだ。

もしかして部屋で食べているのかと失礼ながら週二で入っている家政婦さんに断ってゴミチェックさせてもらったが、やはり形跡はなかった。

代わりに入っていたのは、大量のサプリメントの空袋だった。


……あの人はサプリメントだけで生活しているのか?


そんな疑惑が持ち上がってくる。

いや、ここまで変態チックにチェックする必要はないのはわかっている。

ゴミチェックする私を家政婦さんだって苦笑いしていたし。

しかし飲食業の娘、しかも人々をお腹いっぱいにして笑顔にしたいなんて理念の企業だからか、人様がきちんと食べているのか気になるのだ。


「よしっ」


宣利さんにごはんを食べさせよう。

自分勝手にそう決めた。


翌日は近所のスーパーでメニューを考えながら買い物をする。

今までは自分ひとりだから好きなものを作っていたが、今日はそうはいかない。

見栄えとバランス、味も考えなければ。

しばらく悩んでメインにカレイの煮付け、ポテトサラダにほうれん草のおひたし、キノコと玉子の味噌汁にした。


帰ってくる予想時間を見据えながら調理する。

けれどできあがって一時間経っても帰ってこない。


「遅いなー」


とはいえ約束をしているわけでもない。

時間が経つにつれて、もしかして今日は接待だったんだろうかと不安になっていく。


「あっ」


そのうち、玄関の開く気配がした。

ダッシュでリビングを出る。

部屋に入られる前に捕まえなければならない。


「おかえりなさい!」


黙って私を見下ろしている彼がなにを考えているのかわからない。

けれど断られるのが怖くて、一気に捲したてる。


「食事、作ったんです。

一緒に食べませんか」


しばらく私を見つめたあと、彼は面倒臭そうに大きなため息をついた。


「だから僕のことは気にしなくていいと……」


「その。

つい、作り過ぎちゃったんです!

だから、食べてくれると嬉しいなー、……なんて」


必死に挽回を図ったが、眼鏡の奥からこちらを見る冷たい目にたじろいだ。

おかげで最後は小さな声になって消えていく。


「……はぁーっ」


さらに彼にため息をつかれ、びくりと身体が震えた。


「わかった。

食べるからそんな目で見るな」


「え?」


そんな目と言われても、自分がどんな目で彼を見ているのかわからない。


「着替えてくる。

あれだったら先に食べていてもいい」


私の脇をすり抜け、宣利さんは自分の部屋へと向かった。


「あっ、じゃあ温めておきますね!」


閉まるドアに向かって声をかけ、私もキッチンへ行って料理を温め直す。

とりあえず、食べてくれると言った。

それだけで一歩前進だ。


そのうち、着替えた宣利さんがダイニングに来た。


「お口にあうかわかりませんが」


ご飯をよそい、温めた料理と一緒に並べる。

椅子に座った彼は、無言で食べ始めた。

私も前に座り、食事を口に運ぶ。


……き、気まずい。


誘っておいてなんだが、無言の食卓は精神に堪える。


「その。

お味は、どうですか?

薄かったり濃かったりしないですか」


ぴたりと箸が止まり、じっと彼が私の顔を見る。

けれど少ししてまた、食べだした。


「え、えっと……」


それ以上、尋ねる勇気もなく、もそもそと私も食事を続けた。


「ごちそうさま」


食べ終わった宣利さんが、丁寧に手をあわせる。


「美味しかった」


椅子を立った彼は手早く食器を流しに下げ、ひと言そう言って去っていった。


「……へ?」


ひとりになり、間抜けにも変な声が出る。

渋々、食事をしてくれたのだと思っていた。

しかし、「美味しかった」って?

ただの社交辞令?

それとも喜んでくれた?

ううん、あれだけ私に無関心だった彼が、社交辞令でも美味しかったと言ってくれたのは嬉しい。


「よーし、これからも張り切って作っちゃうぞー」


せめて会社の同僚程度の関係くらいにはなって、居心地のいい生活をゲットするのだ!




それからも毎日、食事を作って宣利さんの帰りを待った。


「ごちそうさま。

美味しかった」


最初のうちこそ渋られたが、最近は根負けしたのか文句を言わず食卓に着いてくれる。

食事中はいつも無言だが、食べ終わったあとは手をあわせてそう言って、食器を下げてくれた。


「今日も完食、と」


料理の残っていないお皿を見て、にんまりと笑う。

宣利さんは必ず、残さず全部食べてくれた。

きっとそれなりに美味しいと思ってくれているんだと私は思っているんだけれど、どうだろう?

でも、社交辞令だったとしても、私を気遣ってくれている気がする。

それに思ったことをはっきり言う彼のことだ、マズかったり嫌だったりしたらそう言うはずだ。


「明日はなんにしようかなー?」


この頃は毎日、夕食を作るのが楽しくなっていた。


「今日は接待かなー」


毎日夕食を作っているが、たまに無駄になる日がある。

宣利さんの予定を確認しているわけではないので仕方ない。


「これはもう、いらないなー」


十時を回って帰ってこないときは諦めてひとりで食べるようにしていた。

彼の分はあとでラップしてしまって、明日のお昼に回す予定だ。


ごはんを食べていたら玄関が開く気配がした。

宣利さんが帰ってきたようだ。


「あっ、おかえりなさい」


いつもは直接部屋へ行くのに、彼がダイニングに顔を出して驚いた。


「今頃食べているのか」


「そう、ですね」


さらに珍しく質問をされた。

明日は雨なんだろうか。


「これは僕の分?」


「はい……」


彼がテーブルの上に並ぶ食事を見下ろす。

しかしレンズの奥の目からはなにを考えているのか読み取れない。


「……はぁーっ」


大きなため息をついたかと思ったら、ノットを何度か揺らしてネクタイを緩め、彼は椅子に座った。

そのまま、箸を取って食べ始める。


「えっと……」


「作ったのなら食べないともったいないだろ」


それはそうだけれど、食べて帰ったのなら無理して食べる必要はない。

それに作ったのは私の勝手だ。


「もしかして今までも、僕の帰りが遅い日も作ってたのか」


「……はい」


「うん、わかった」


それっきり彼は黙って料理を食べている。

てっきり、怒られるのだとばかり思っていた。

それとも呆れ果ててなにも言えない?

いや、もしかしたらただの事実確認という可能性も捨てきれない。

なにしろ宣利さんはいつも真顔だから、なにを考えているのかわからないのだ。


「ごちそうさま」


今日も食べ終わり、丁寧に彼が手をあわせる。

しかしいつもと違ったのは、食器を避けて携帯を手にした点だ。


「君の携帯、貸して」


「はぁ……?」


なにをしようというのかわからないが、渋々自分の携帯を渡す。

どのみち、ロックがかかっている。


「ロック、解除して」


「えっと……」


受け取った携帯を彼が戻してくる。

さすがにそれはたじろいだ。

私の素行調査でもしようというんだろうか。


「早く」


「……はい」


レンズの奥から睨まれ、仕方なくロックを解除して渡した。

別に見られてやましいものなんて……電子書籍のBLとTLのコレクションくらいしかない。


「アカウント登録して」


今度、戻ってきた携帯の画面にはスケジュール管理アプリが表示されていた。

もしかして、これをインストールしていたんだろうか。

宣利さんがなにを考えているのかさっぱりわからないまま、アカウントを作った。


「できたら、貸して」


「はい……?」


再び携帯を彼に渡す。

画面にしばらく指を走らせたあと、彼はまた私に携帯を返してくれた。


「僕のスケジュールを共有してある。

これで確認すればいい」


椅子から立ち上がり、宣利さんはテキパキと自分の食器を下げていく。

確認したそのアプリには確かに、倉森宣利さんとスケジュールが共有されていると表示されていた。


「あ、あの」


「じゃあ」


私を無視し、数歩歩いたところで彼が振り返る。


「今日も美味しかった」


「えっ、あっ、お粗末様でした」


戸惑っているうちに彼はリビングを出ていった。


「えっと……」


じっと、携帯の画面を見つめる。

これは今日みたいな日、このアプリで確認して食事を用意して待たずに食べればいいということですか……?


「なんだ」


気づいた途端、おかしくなってくる。

もしかしたら本当は、私の顔を見たくないほどこの結婚が嫌だったんじゃないかと思っていた。

けれどこうやってちゃんと気遣ってくれている。

少しずつ歩み寄っていけば、彼もこうやって返してくれるかもしれない。

そうすればそのうち、打ち解けられるかも。

でも、そこまで時間があるのかはわからないけれど。




それからは宣利さんのスケジュールを確認しながら食事の用意をするようになった。


「かえった」


「おかえりなさい」


この頃は帰ってきたら声をかけてくれる。

ちなみに出ていくときは私の部屋をノックだ。

これだけでも今までに比べたら大きな変化で、嬉しくなってしまう。


「明日、実家に行かなくていい。

僕から連絡を入れておいた」


「えっと……」


別に共有する義務もなかったが、一応連絡のつもりでスケジュールアプリに宣利さんの実家へ行く旨、入れておいた。

でも、行かなくていいって?

彼の姉である典子さんに呼びつけ……お招きされたんだけれど。


「本当にいいんですか」


そろりと上目遣いで彼をうかがう。


「僕がいいと言っているんだから、行かなくていい。

それだけだ」


「はぁ……」


それで話は終わりとばかりに宣利さんはお味噌汁を啜った。

行かないでいいのは少し……とても助かる。

典子さんは私がお金目当てでこの家に嫁いできたと決めつけていて、私をよく思っていなかった。

確かに父が経営している会社の立て直しを条件に結婚を決めたので、お金目当てと言われても否定はできない。

そんな具合なのであまり顔をあわせたくなかったのだ。

それに。


『宣利はあなたに好き勝手させているようだけど、私はそうはいかないわ。

倉森の嫁としてしっかり躾けてあげる』


……なんて呼び出されて、行きたい人間がいるだろうか。


……もしかしてまた、気遣ってくれたのかな。


もくもくと箸を運ぶ彼をちらりと見る。

宣利さんは自己完結しているからか、とにかく言葉が足りない。

でも、なんとなく私を凄く気遣ってくれている感じがする。

もしかして私と同じように、私がこの結婚は凄く嫌で、自分の顔を見るのも不快なんじゃとか思って部屋に閉じ籠もっているんじゃないかとか考えてしまう。

まあ、彼の場合それよりも、部屋で仕事やなんかいろいろするほうが好きって可能性が高いけれど。

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