第9話 BボタンBボタンBボタンBボタンBボタンBボ
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
がらんどうの車内で、対面の車窓を眺める。以前は花々が投げ込まれていた車窓はピッタリと閉じ切って、代わりにそこには、青年の姿が映し出されていた。
耳を覆いたくなるような、粘着質で淫猥な水の音。既視感のある青年が、ただ泣き叫んでいた。
「助けて、だれか助けて」
「いやだ、いやだ。たすけてよ」
ただひたすらに、青年が犯されて、犯されて、犯されて、犯されて、犯されて。最後には、殺される。
何度も犯されて、殺されて。
最初は抵抗していた青年が、最後には虚ろな目でただ揺さぶられるだけになっていた。
胸糞が悪い。それなのに、身体中が痛くて、怠くて、指一本すら動かせない。椅子に縛りつけられたまま、悪趣味なポルノを、延々と見せつけられているような不快感だった。
「終点〜〜」
男の陰気なアナウンスが流れる。
上方のスピーカーを見て、車窓を見て。次に映し出された光景に、目を見開く。
先刻とは異なり、映し出された映像は静かな物だった。いくつもの管に繋がれた青年が、ベッドの上で寝息を立てている。
「──狩野?」
自分の口から出てきた言葉に、痛む頭を押さえて。
不意に、甲高い踏切の音が鳴り響く。
赤く点滅する視界に、目を見開く。鐘の音に、徐々に思考が冴えていくようで。
ああ、そうだ。狩野。狩野だ。
俺が、あいつの貞操と命を守らなければいけない。だって、約束したんだ、守るって言っちゃった。
「こんなところで船漕いでる場合じゃねぇ!」
勢いよく上体を起こしては、荒い息を吐く。
寝覚めは最悪だし、今の腹の痛みで全部思い出した。本当に、全く。俺は列車の中で寝こけて良いような状況ではないのだ。
……エンヴィは、狩野は?攻略はどうなった。
とにかく情報を集めようと、荒い呼吸のまま周囲を見回す。
木製の文机に、埃がこびりついた窓。薄汚れた色彩の、黄ばんだカーテン。
自室だった。
それでいて俺は、ふかふかのベッドに寝かされていた。
自体が飲み込めず、首を傾げて。
ガシャン、なんて破砕音に肩を揺らす。弾かれるようにそちらを向けば、入り扉の前に、険しい顔をした青年が立っていた。足元には水差しが転がっていて、今の音は、青年がそれを落とした音なのだとわかる。
「…………狩野」
そして、俺の胸には緊張感が走る。
最後に見た狩野の表情が、眼裏に過ったから。
「…………」
ゆら、と。
狩野が、どこか覚束ない足取りで一歩踏み出した。見開かれた金色の瞳が、つるりと光って。
「圭一!」
「痛ァ!」
ダンプカーが横から突っ込んできたような衝撃に、腹部に激痛が走る。痛みに悶絶する俺の上体に追い縋って、狩野が泣いていた。
「よ、良かった、良かったよぉ!全然起きないから、死んじゃうんじゃないかって……」
「…………」
「圭一が死んじゃったらと思ったら、おれ、おれぇ」
ベッド脇に膝をつき、ぐりぐりと腹のあたりに面を押し付けてくる狩野。
あまりにもいつも通りのヘタレっぷりに、狐に摘まれたような心地になる。
あの悍ましい記憶は、果たして夢か何かだったのではないか。
そんな願望じみた想像を、腹の痛みが否定する。
狩野の頭を撫でながら、唾を嚥下する。
俺は、向き合わなければならない。
この類の違和感に見ぬふりをしてきたツケが、先日の惨劇に違いないのだから。
「狩野」
「無事で良かったよぉ!でもまだ傷が深いから、安静にしておこうね」
「狩野」
「安心して。授業のノートも取ってるし、ご飯も、着替えもお風呂もトイレも、おれが全部やってあげるから。圭一は療養に専念して──」
「狩野!」
叫ぶような俺の声に、怯んだように言葉が途切れる。ややおいてのっそりと擡げられた相貌は、やはり緩み切ったものだった。こちらを見上げる頬には、涙の跡ができていた。
「…………俺は、どれくらい寝てた」
「3日くらい」
「お前が治療してくれたのか?」
「うん。看病は専らおれが」
「……そうか。ありがとう」
ほころぶような笑みが、俺の「それで」という言葉に解けた。
「あの後、何があった」
「ああ」
少しだけ低くなった声音に、目を細める。伏せられた睫毛が、どこか深長な影を黄金の瞳に落としていた。
「『嫉妬』は今は療養中。おれにも怪我はないし、処罰も反省文だけ」
「反省文だけ?」
「うん。『嫉妬』は日頃から問題行動が多かったし──、今の生徒会長さんが上手く計らってくれて」
ぞわりと、足の指先からいやな冷気が這い上がってくるみたいだった。
騒動の被害に対する対処が緩すぎるのは、もちろんのこと。何よりも、そこで生徒会長が出てくるのが分からない。
現行生徒会長であり、『怠惰』の罪源者。モーガン・ル・フェイとは良くも悪くもフラットな男だ。こういった事態の裁定に、手ごころを加えるような真似はしない。
彼が動くとなれば、相応の利害関係がある場合だけだが──
「もう、良いじゃない」
そんな穏やかな声とともに、手を包み込まれる。
視線を落とせば、狩野が緩み切った微笑みを湛えてこちらを見あげていた。おれの手を握るその双眸には、溢れんばかりの慈愛が滲んでいて。
「終わったことなんだからさ。それより、これからのことを考えよう」
そんな言葉に、俺はぎこちなく頷くことしかできなかった。
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