第5話 放課後お嬢様部

 さて、それから俺たちは『嫉妬』ことエンヴィの攻略に向けて本格的に動き始めた。

 エンヴィは、特徴的な紫色の髪と瞳に知られる少数民族の末裔だった。そのために、彼は世間から迫害を受け続けた。

 当たり前に人間としての尊厳が保証され、当たり前に他者と関わり、愛し愛されることのできる人々。目と髪の色が多数派というだけで、当たり前の幸福をのうのうと享受している、大多数の人々。

 エンヴィは彼らを怒りの対象にするでもなく、ただただ、羨んだ。

 自分も彼らと同じものを手に入れられたのなら、きっと幸せになれるのだと夢想した。

 故に世界の全てが、彼の嫉妬の対象だった。

 それは、魔導士としての資質を認められ、この学園に招かれた後でも変わらない。

 優れた魔導士として、迫害の対象ではなくなり羨望の対象となった後でも、羨んだ彼らと、本当の意味で一緒になれることはなかったからである。

 そして、似たような境遇に身を置く主人公を、彼は初めて『羨望の対象』ではなく対等なものとして認識するようになる。


 この背景を踏まえて、まず徹底して『容姿に関しての言及を避ける』必要がある。

 容姿に言及したが最後、据わりきった目で「きみの目の方が綺麗だと思うけどな」と詰め寄られ、「いいな、いいなぁ。黒髪に金色の目。うらやましい、うらやましいなぁ」と眼球とかえぐり取られる。


「へえ、僕のことを知ってくれているの」

『ずっと、綺麗な髪と瞳だと思っていました』

『美しい先輩がいると評判です』

『優れた魔導士がいると評判です』

 隈の濃い濁った眼に見つめられ、「『優れた魔導士がいると……』」冷や汗を垂らす狩野。「3分の2が外れなのはなに?」と顏に書いてある。

 要らんプレッシャーを与えぬように伏せてはいたが、エンヴィルートはバッドエンドが最多である。3分の2がドボンは序の口で、3分の3が何かしら引っかかる、リカバリー前提のケースすらある。


「髪は染められるけれど、目の色は隠せない。変な色でしょう」

『そんなことはありませんよ。とても綺麗な色だと思います』

『変わった色だとは……思いますん……』

『髪染めてたんですね!』


 真っ青を通り越して、蒼白の相貌で「『思いますん……』」と答える狩野。当然ではあるが、ノイズと共に「やっぱりそう思ってたんだ……」と徐々にエンヴィの目の焦点が合わなくなってくる。

 この場合、大切なことは彼を救い上げようとするのではなく、同じ視線に立つこと。間違っても彼の嫉妬の対象となってはいけない。


『人と違う事は、誇るべき個性だと思います』

『俺も人と違う事で迫害を受けてきたので、辛さはわかります』

『見てこれ、お揃い』

 色彩メガネをかけて、「『お揃い』」と顏を上げる狩野。彼の眼は、紫色に変色していた。ショップで買える魔法パーティーグッズであった。

 目を丸くして、ややおいてエンヴィは力なく笑う。あまりの馬鹿馬鹿しさに、「馬鹿にしているのか」と怒る気力さえ奪われたようだった。

「『先輩もこれ、使ってみますか』」

とどめの一撃に、完全に破顔する。柳眉を下げて眼鏡をかける様は、幼い子供のようだった。



 そんなこんなで、比較的順調に攻略一歩手前までやってくる。

 ここまでやってきて分かった事。狩野幸人という男は、異様に物覚えが良い。俺が言ったことは忘れないし、詠唱や魔術刻印は一瞥しただけで完璧に覚えてしまう。のみならず、応用も効き、実行能力に優れている。

 生前はさぞ有能な男だったのだろうと思ってはいたが。

「……おまえ、エリートだったのかよ」

 呆然と声を上げた俺に、狩野はテラス席に突っ伏したまま相貌をもたげた。

「なんの話……?」

 と気怠げな視線をこちらに向けてくる。草臥れている姿も謎に色っぽいとは、さすがの美形だ。でもこいつ、美形じゃなかったらたぶん死んでまでこんな酷い目に遭う事はなかったんだろうな。哀れだ。

 俺の憐れみに気付くことなく、狩野は猫みたいに伸びをして「ねえ、だからなんの話をしてるのさ」と話しかけてくる。

 にゃあにゃあとかなりしつこいので、開いたままの手帳を一瞥して、俺は片眉を吊り上げた。

「今日解放されたステータス。おまえ、医者だったのか」

「正確にはレジデントだけど……じゃなくて、ねえ待ってよ、なんで圭一がそれ知ってるの」

「解放されたあなたのステータスは、全てこの手帳で閲覧できます……」

「初耳なんだけど、何なに怖い怖いこわい!その手帳なに?!」

 先刻の、天日干しされた布団みたいな風体からは想像もつかない俊敏さで、俺の手から手帳を奪い取る。眉間に皺を寄せてページを凝視する様を眺めながら、俺は優雅にカップを傾けて。うん、さすが予算の潤沢なお貴族学校。学生用カフェと言えど、おティーの味に一切の妥協がございませんことよ。

「ねえ、一面の白紙が広がってるんだけど」

「おデリシャス」

「圭一には何が見えてるの?」

 完全に異常者を見るような眼を向けられる。お心外だ。狩野がとうとう目を合わせてくれなくなったので、お嬢様マインドのまま手帳を取り返し、これまた優雅に咳払いした。

「取られた……」

「どう云う仕様かは知らんが、持ち主以外に手帳の中身は見られなくなってるらしい」

「肘を内側に入れながら……」

「例えば、ほら」と、肘を内側に入れたまま手帳を掲げると、狩野は首を傾げる。

「お前のプレイヤーレベル、ステータス、実績、進行状況。ひいてはテキストまで、全部書いてある」

「えっ、そんな……そこまで暴かれちゃったら、もう責任取ってもらうしかないじゃん……!」

「何の責任……?」

 眉を顰めつつ、手帳を見返す。プレイヤーレベルカンスト、討伐任務以外の称号はほぼコンプリート。改めて見ると、なかなかえげつないステータスをしている。

 本作主人公は設定上、魔導士としてのポテンシャルはチート級という事になっているので、これがあるべき姿と言われれば、まあそうなんだけれども。

 プレイヤーレベルに関しては、正直歯磨きしてるだけでも成長するくらいだし。

「お前が討伐さえできたら、報酬がっぽりでデラックスパフェも夢じゃないのにな……」

「それはごめん!でも殺生はちょっと!」

「医者だもんな…………」

 遠い目をして言えば、「それは関係ないじゃん!」と手をバタバタさせる。

 本人のメンタルがこれなので、一見ではゴリラだと見抜けない。穏かで、底抜けに優しいお人好し。何かを傷つけることに、致命的に向いていない。

「…………やっぱそのままでいいよ、狩野は」

俺は、こいつのこういった性質が、じつはそこまで嫌いじゃない。口が裂けても、本人に伝えるつもりはないが。

だって心身ともに魔導士として成熟してしまったやつらは、何処か非人間的で、歪だ。

「?」 

不思議そうにこちらを見て来る狩野。妙にむずがゆくなって、逃げるようにティーカップへと視線を落とす。ゆらゆら揺れる水面に反射した男の口元は、だらしなく綻んでいた。

「それにしても」

 そんな言葉に、再び顔を上げる。狩野は、口をムズムズさせながらチラチラ此方を見ていた。謎にしゃらくさくて、少しだけイラついた。

「なんだかそれ、圭一に攻略されてるみたいで恥ずかしいね……」

「おっ、奇遇じゃん。なに、次移動教室?」

「聞いてよぉ!」

 ガッタンガッタンと椅子を揺らしながら、狩野が叫んだ。普段からやけにキラキラした目をしてやがるが、涙目になると眩しさが増す。

 通りがかりのモヤシみたいな男子生徒に手を振りながら仰け反って、「おい」と胡乱な目を狩野に向けた。

「急に大声出すなよ。俺はいまマブと話すのに忙しいんだ」

「NPCじゃん!」

「なんだNPCとは失礼な。人のマブに向かって」

「事実じゃん!『うん』と『グラトニーはクソ野郎』以外、彼が喋ってるとこ見た事ないよ、おれ」

「話しかけるだけで落ち着くんだよ。生前のマブがモデルなもんで」

 言えば、まん丸に目を見開いたまま口を閉じる。そのままストンと腰を下ろす挙動は、ちょっと面白い。すっかり静かになってしまった狩野を一瞥して、紅茶を啜って。

「……圭一は、」

 ポツと落とされた言葉に、視線を正面の青年へと戻した。

「そのモデルの人と、一番仲がよかった?」

「どうだろう。でも、幼馴染だからか、趣味は全然違ったけどつるんでたな」

「やっぱり、趣味が合う人と友達になることが多かったの」

「まあ、うん。お前みたいなタイプとは、全然縁なかったし。リアルではもっぱら、オタク仲間と教室の隅でグフグフ言ってた。ネットでは……ゲーム作りでお世話になった人とはアカウント変えても交流続いてたな」

「…………」

「それこそ隠しネタとか入れたら、真っ先に言及してくれてチョー盛り上がってさ。あ、これ二作目なんだけど、一作目の悪役をメインキャラで再登場させたりしてんの。気に入ってたからさ。気づいてくれてめちゃくちゃ嬉し──……てか、急にどうしたの」

 つい思い出話に花を咲かせてしまったが、そもそも狩野は何だって急にこんな質問責めを。狩野は依然どこか不機嫌そうだが、今は少しだけ違う感情が滲んでいるようにも見えて。

 何というか、こう…………『しょぼくれている』?

「…………おれだって、どうぶつの森とかしてたし」

「そ、そうか……」

「鬼滅の刃とか、フリーレンとか読むし」

「し、知ってる………というか、まじで大丈夫か。本格的におかしいぞ、今のおまえ」

 声音が控えめになってしまったのは、狩野の悲壮感が本当にすごかったからである。俯きがちの相貌に、こちらを上目遣いで伺ってくるその仕草。元々たれ気味の瞳には、今は不安一色に染まっているようだった。

ショモショモと落ち込むくろねこの動画を、訳もなく思い出しては胸がキュッと痛む。

 どうにか元気を取り戻してほしい物だが、こういうとき何を言っていいのか分からない。意図せず汚い綾波レイみたいになってしまった。

「シュ、シュークリームいる?」

 自分のカスみてえな対人スキルが、本当に憎い。

「いる」

「そっか……」

「……おれ、圭一のこと全然知らないんだって思って」

「…………」

「おればっか素っ裸みたいで、嫌だ。圭一のこと、もっと知りたい」

…………そんなことを言われても。

などと、この状態の人間に投げかけられるほど、俺は人間捨ててない。作りものの空を見て、茶渋のこびりついたティーカップを見て。

「……俺のこと大好きな奴みたいになってるけど」

 結果、咄嗟に茶化すことを選んでしまったが、内容の痛々しさに後悔が押し寄せる。

 それでいて、こいつはこいつで、どうして何も言わない。突っ込んでくれないと大火傷なのだが。内心ビクつきながら相貌を上げて。

「────はぁ?」

 口から素っ頓狂な声が転がり出た。狩野の反応が、全く予想外のものだったから。

 平生は血管が透けるほどに白い肌が、今は真っ赤に染まっている。陽光を閉じ込めたみたいな琥珀色の双眸は、涙に潤んだままゆらゆら揺れて。

 俺の視線に気付いて、弾かれるみたいに手の甲で口元を隠す。その所作に、俺もまた胸のあたりがむず痒くなってくる。

「か、かの、」

「…………そっか」

「なにが⁈」

 何に納得したんだ、いま。一人で自己完結しないでくれ。

 怯えながら仰け反れば、真っ白な椅子が大げさに音を立てる。同時にこちらを捉えた双眸には、ちょっと怖いくらいに純粋な光が宿っているようだった。

「…………おれ、恵まれてたんだ」

「……?」

「ここに来るまで、ずっとそれを理解してなかった」

 話の筋は見えないが、ここで茶々をいれるべきでないことだけはわかる。大人しく顎を引けば、秀眉が困ったように寄せられた。

 切なげなようで、どこか自嘲的。

 そんな笑みに、眉を顰める。

「……自分のケーキ代すら稼げない。前線に立てば、足が竦んでろくに動けない。弱くて、臆病で、卑怯で。何もできない、足手纏いのグズ」

「おい……」

「それが、おれなの。本当のおれ」

「そんなことない」

 咄嗟に言葉を遮ると、狩野は少しだけ驚いた表情をして、「優しいんだね」と眦を下げる。

 俺の言葉を世辞か何かだと受け取っているのだと分かった。あまりのもどかしさに、無性に地団駄を踏みたくなった。

 だって、狩野のような状況に放り込まれたら、誰だってそうなる。理不尽に襲われ、差別され。味方が一人もいない環境で、ただ奪われ続ける日々が延々と続く。そんなの、頭がおかしくなるに決まっている。

 男同士の絡みへの悦びが不便に勝る、俺のような変態が異常なのだ。

 むしろ狩野はこの世界でも十分優秀な類に入るだろうし、何より、俺がくるまで一人で生き延びたというだけで、賞賛に値するのだ。

 垣間見えた痛々しい内面に、「違う」だの「待て」だのしか出てこない自分の口が憎かった。

 口を開閉させるしかできない俺に、狩野は小さく首をかしげた。

「だから、ね」

「…………っ、」

「本当のおれを受け入れてくれたのは、圭一が初めてなの。元の世界でも、この世界でも」

 先刻までの、濡れた傷口を思わせるような悲壮感はない。

 こちらを移す瞳は、慈しみとも表現できるような安らぎを湛えていて。

「好きだよ、圭一」

 そんな言葉に、心臓が跳ねる。

 分かってはいる。これは親愛の類の「好き」であって、断じて『そういう』意味でのものではない。

 第一、好きだの何だの、今までにも、事あるごとに贈られてきた言葉だった。

 だが、その表情は、口調は──まるで、恋人に愛を囁くようなそれは、今までのそれとは決定的に違う気がした。

 痺れた指先の感触を、確かめるように掌を開閉する。

 妙に湿っぽくなってしまった空気感に、「じゃあ」と上擦った声を上げて。

 まんまるに見開かれた金眼に、無性に安心した。

「連絡先交換しとこう。真っ先に連絡するから」

「ぁえ……」

「ほら、そしたら現実に帰っても会えるだろ……」

 丸い目のまま固まっていた表情が、みるみるうちに解けていく。

 唇がわなわなと震え、瞳に輝きが増して。

「圭一―――――っ!」

 ガタン!とカフェテーブルを押し退けては巻き付いてきた剛力剛腕に、「ぐえ」とくぐもった悲鳴が漏れた。

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