彼の冬

第16話

彼の冬


「サヤさん、具合悪い?」


 我ながら情けないことだけど、あまり気のつく方ではない。他人のためになりたいという気持ちは強いのに、他人が困っていることに気づけない。

 それなのに、その時そう尋ねることができたのは、いつか一泡吹かせ――もとい、夏の借りを返したいと、ずっとサヤさんを観察していた努力が実った、と言っていいだろう。

 半年かかってやっと成果を出せた、とも言えるけど。


「……まあ、はい。ちょっと頭痛が」


 サヤさんは軽く頭に触れる。それから、ふと気がついたように顔を上げた。


「あ。病気だったらうつすかも知れませんね。すみません、大切な時期なのに……。夕食は祐希くんか誰かに頼んでおきます」

「そんなに気にしなくていいよ。夕食も僕がやろうか」

「それはいいです、本当に」


 サヤさんは逃げるように歩いていった。どうも料理に関する信用がない。

 翌朝、心配になって、いつもより早めに一階に下りたけれど、サヤさんはいなかった。スマートフォンで連絡を入れると、少しして返事が戻ってきた。

『おはよう。昨日、具合悪そうだったけど、今日はどう?』

『だめっぽいです……ごめんなさい。段ボールの中に買い置きがあるので』

 心配ではあったけれど、少しだけ、嬉しくも思った。無理をしがちなサヤさんが、素直に弱音を言ったことが。

 直接様子を見るために、救急箱やゼリー、飲み物などを持って部屋を訪ねた。


「すみません、助かりました。ありがとうございます……」


 一階に下りても来なかったことから察していたけれど、思っていた以上に苦しそうな顔つきだ。熱くらい出ていそうに見える。


「今日、学校休むよね?」

「はい。さすがに休みます……」


 顔を上げかけたサヤさんは、ふと眉を寄せて目をつむった。頭痛がするのだろう。気の毒に。

 サヤさんの具合が悪いと知ってから、考えていることがあった。


「僕、もう学校でそんなにやることないし、今日は一日プラントポットにいるよ。何かあったら連絡して」


 サヤさんは驚いた後、頭痛に耐えていた時よりもさらに深いシワを眉間に刻んだ。


「だめですよ! 行ってください」

「三年はもう、他の奴らも来てないよ、結構。推薦で決まってたり、学校の勉強じゃ遅かったりで」

「だからって……。うつってもいけませんし」

「祐希の方がいい?」

「小野寺先輩だからだめ、って訳ではないです。気持ちだけで結構ですから……」


 サヤさんはまた顔をしかめて、深く息をついた。

 具合が悪いくせに、よくこんな問答をしていられる。具合の悪さを隠さなくなっただけでも大きな変化ではあるけど、まだ足りないなぁと、ぼんやり思う。

 不審者の一件もそうだけど、もっと弱みを見せたらいいのに。


「とにかく寝てようか。部屋、入って大丈夫? ゼリーとか冷蔵庫に入れたいんだけど」

「だから、大丈夫ではないですけど……。大丈夫です……」


 いかにも渋々という顔ではあったけれど、とぼとぼと部屋の奥へ歩いていくサヤさんの後について、部屋に入った。

 ベッドに腰かけたサヤさんに体温計や頭痛薬を渡して、ゼリーはミニ冷蔵庫へ入れておく。少ししてベッドの方から体温計の音がした。


「八度五分……」

「そこそこだね。氷嚢も持って来るよ。あと、他に欲しいものある?」

「……軽く食べられる朝ご飯をお願いします。たぶん、冷蔵庫の横にある引き出しの中に、おかゆのレトルトがあるので」


 一階に下りると、笠原くんと祐希が朝食の準備をしていた。二人ともサヤさんの体調については察しがついている様子だった。


「結構熱が出ているから、誰か看ていた方がいいと思うんだけど。……僕が看ていい?」

「あ~……はいはい」

「……まあいっか。買ってきた方がいいものあったら、帰りまでに連絡して」


 二人とも色々と言いたげではあったけど、言われなかった。

 おかゆを温めて、再びサヤさんの部屋へ。もう抵抗は諦めたらしく、大人しくおかゆを食べた後に弱々しくお礼を言って、サヤさんはベッドに沈んでいった。

 頻繁に起こすのもかわいそうなので、部屋の鍵は開けたままにして、二時間ごとに様子を見ることにした。

 四人が登校した後、学校に二人分の休みの連絡を入れる。自分の連絡はともかく、サヤさんの連絡まで一緒に入れる訳にはいかなかったので、報告も兼ねて理事長に頼んだ。僕の場合は父親の件もあって、たまに電話をすると硬い声が返ってくることが多かったけれど、最近はどことなく対応が和らいでいる気がする。

 静かなプラントポットで、僕は時間を見つつ、勉強をする。

 結局のところ、進路に関してはまだ揉めている。地元の国立大学に行くのには異論はなかったけど、志望学部は変えさせられた。その先はまだ霧の中――父にしてみれば一本道なんだろうけど。

 いっそ落第してしまえば、父の思惑をそれることはできる。ただその時は、僕の志望も遠ざかる。

 児童福祉の勉強をしたかったんだけどな。

 政治家になってその分野に注力するのは一つの手段ではあるんだろうけど、父親の指示でなる、という状況に忌避感がある。父の狙いは後援会などの今までに培った人脈の引き継ぎ。彼らの助けを得て政治家になったら、僕は義理や貸し借りに絡め取られて、彼らの意向を無視することができなくなる。もし主張が対立したら、潰されるのは僕の方。――結局、ずっと父の傀儡にさせられる。

 あの人たちが欲しいのは「僕」ではなくて、由緒正しく形の良い器だ。思考や自我なんてものは、ない方がいいとすら思われているかも知れない。

 人脈が広がる程、「僕」の居場所はなくなっていく。

 二時間が経った。サヤさんは寝ていた。

 またしばらく勉強をして、時々冷却シートを取り替えて。

 お昼過ぎに、サヤさんの目が開いた。


「具合はどう?」

「だいぶ、良くなったと思います……。すみません、着替えていいですか、汗が……」

「あぁじゃあこれ、タオル。替えの服は、僕が触っていいのなら取るけど」

「お願いします。タンスの一番上に、ジャージが」

「これか。はい。じゃあ、出てるよ。ついでにご飯持って来ようか。またおかゆがいい?」

「ありがとうございます。先輩大好き」

「はいはい。元気出てきたみたいだね」


 弱々しくも笑顔が浮かぶ。ちょっと鬱陶しいけど、やっぱりサヤさんはこの方がいい。

 おかゆを食べたサヤさんは、ゼリーも欲しがった。食べ終わるまで床に座って待っていると、ふと言われる。


「今朝は大丈夫って言ったけど、小野寺先輩がいてくれて良かったです。小野寺先輩がいると思うだけで、安心して眠れました」

「またそういうことを……」

「本心ですよ?」


 いつもなら聞き流すけれど、何となく、聞きたくなった。


「君はどうしてそんなに僕を評価してるの?」


 思えば、夏休み頃からずっとそうだ。いつも冗談めかしてはいるけれど、ファンクラブとか好きだとか、他の四人にはあまりしない絡み方をしてくる。


「それはもちろん、尊敬しているから」

「だから、どうして尊敬しているのか、って聞いてるんだよ。正直、君に良いところを見せられた覚えがないんだけど、僕」


 それどころか、情けないところばかり見せている。

 元気がないだけなんだろうけど、サヤさんの笑みは、大人びているようにも見えた。


「今、見せてくださっているじゃないですか、良いところ」


 悩むことも照れることもなく、当然のように言うところに、強さを感じる。


「他にもたくさんありますけど……小野寺先輩は優しいだけじゃなくて、優しさをちゃんと実行に移すところがすごいと思います。敬司くんと祐希くんに家出先を用意したり、こうして看病してくれたり。私は精神論に寄りがちで、頑張れって声をかけるくらいしかできないことも多くて……でも、小野寺先輩は、具体的に、口だけじゃない形で助けてくれます。前に、先輩が勝手に自分のお金でプラントポットの家電を買ってて、私が怒ったことがあったじゃないですか」


 覚えてはいたけれど、何となく、素直に答えたくなかった。笠原くんの気持ちが少しだけ分かる気がする。


「あったかな」

「夏休みより前です。まあ、覚えてなくてもいいんですけど。……あの時は、先輩が自己犠牲をしているように見えて怒ってしまったんですが、でもあとであらためて考えた時、みんなのためにってモチベーションでお金を稼いで、恩に着せるでもなく、黙って使えるのって、めちゃくちゃすごいよなって思ったんです」


 そんなに良いことではないよ、って謙遜したい気持ちもわいたけど、言わなかった。

 まっすぐな尊敬を否定するのは、彼女に悪いような気がした。

 たぶん、それが自分自身を救済するための行いだったということは、サヤさんも承知の上で言っているのだろし。


「そりゃどうも……」

「優し過ぎて、あんまり甘えると根腐れ起こしそうで、たまに怖くなりますけど。……プラントポットだけに!」

「まだ熱ありそうだね。寝な」

「寝ておきます……」


 空になったゼリーの容器を受け取って、布団をかけてやる。


「まあでも、ありがとう。……嬉しかったよ」

「光栄です」

「その態度はやっぱり腑に落ちないけど」

「その遠慮のなさも好きです。何か……ぞくぞくします」

「風邪だよ」


 冷却シートの上からデコピンしておく。

 布団からひょっこり顔を出しながら、嬉しそうに笑っている。

 期待混じりの勝手な憶測だけれど「いてくれて良かった」とまた、伝えてくれているような気がする。

 「僕」が、ここに、いてくれて良かった、と。

 惜しいことをしたなぁと思った。

 もう何度も思っている。

 彼女と家庭を築けたら、幸せになれた気がする。

 ――家庭。プランポットだけに? はは、くそ、毒された。

 そういうくだらなさや、爆発や派手なアクションのような馬鹿馬鹿しいものを好むところ、弱いけれどそれでも誰かを元気づけようとする姿勢や、気を許した相手への素直さに、時々苛立つこともある。けれど、好ましさを感じることもある。恋人としても、たぶん愛することができただろう。

 ただ、僕は過った。

 その過ちがなければ、こういう関係にはならなかったかも知れないけれど、だからと言ってとても正当化はできない。罪悪感がどうとかではなく、僕には資格がない。


「サヤさん、みんな心配してるから。早く元気になってね」

「はーい」


 小学生みたいな返事に笑って、僕はサヤさんの部屋を出る。

 電気代の節約のために、廊下の暖房はない。寒さに身を縮めながら階段を下りる。

 十二月の始め。卒業まであと四か月を切った。

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