本編の続き

九月 文化祭

第1話

side:笠原光


 サヤちゃんにその話をしたことに、他意はなかった。

 ちょうど屋台の前で出くわしたので一緒に昼飯を食べていて、クラスの演し物のために彼女は幽霊の扮装をしていて、文化祭で俺も少し浮かれていて、彼女との共通項である住処に「怪談」があった。それだけ。


「そう言えばサヤちゃん、プラントポットに入居者が居つかなかった理由って、知ってる?」

「……光さん。学校でその名前は」


 サヤちゃんは口の端についているソースに気づかないで、シリアスに眉をひそめた。

 全く、夏休み中に問題が解決してからと言うもの、サヤちゃんはすっかり気が抜けている。本人としては以前と変わらずにしっかりしているつもりなんだろうけど、所々に甘えが見えるようになった。

 何なら、プラントポットの住人が誰もその甘えを指摘しないから、日々悪化していっている。

 そう言う俺も指摘しない。ソースをつけたまま、生徒のみならず地域の人間も行き交う校内をねり歩き、恥をかけばいいと思います。


「それを言い出したら、特に接点のない三年のチャラついた先輩と二年の編入生が、文化祭で仲良く一緒に飯食ってる時点で、危うい綱渡りでしょ〜」

「それは……まあ、そうですが。何なら、今も光さんを好きな人たちから、視線を感じますが……」

「大体、盗み聞きしたって分かりゃしねぇよ〜。俺とサヤちゃんが一つ屋根の下に――」

「その言葉は聞かれたらアウトでしょ。全ての答えでしょ」

「で、知ってる?」

「知りません」

「あそこに入居者がいなかった理由、実はね、怪談があったかららしいよ~」


 知っているとも知らないともつかない顔で、サヤちゃんはたこ焼きを食べる。俺は特に構わずに話す。


「あの建物がアパートとして経営されていた頃。当時入居していた太田さんは、残業を終えて、深夜にアパートに帰ってきました。早く眠りたいと思いながら二階への階段を上っていくと、廊下の奥に、女が立っていました。奥の部屋の住人だろうかと太田さんは思いましたが、女はただ扉に向かって立っているだけで、動く様子がありません。太田さんは不気味に感じながらも、自分の部屋の扉を開けました。その後、しばらく耳をそばだてていましたが、扉を開ける音や階段を下りていく音は聞こえませんでした……。そんな感じだったかな? あと、外から何か重いものが落ちる音がしたのに、外を見ても何もないとか、排水溝に自分のものではない髪の毛が大量にあったとか」

「本当に怪談なのか微妙な雰囲気ですね。正体が現実の人間だとしてもおかしくないような」

「それは俺のセレクトのせい。もっと怪談っぽい話もあったよ、確か……忘れたけど。で、改装してシェアハウスにしたのは、その噂をなくすためだったんだってさ~。ただ残念なことに、シェアハウスにした後も、特に変なことはなかったのに不思議と人は居つかなかった。だから、実はあの建物か土地かが呪われてるんじゃないか、って、最終的にはそういう締めにするのがお約束らしいね」

「どこのお約束ですか……。全体的に曖昧だし。又聞きの又聞きの又聞き、みたいな質感」


 曖昧なのは仕方がない。怪談蒐集をしていた訳じゃない。プラントポットを乗っ取る際に偶然に耳にした話を、嫌いな女との昼飯で、退屈しのぎに話しただけだ。

 そうは思っていても、こう呆れた顔をされると、突っかかりたくなる。


「まあ、俺が聞いた話は実際、又聞きなんだけど。でもさ~、俺らはこの怪談の当事者だって言えるんじゃない? 結局、あと半年で出ていくことになったんだから」


 この夏休み。本来のプラントポットの所有者である理事長と、プラントポットを不法占拠をしていた俺たちの間で起こっていた争いは、サヤちゃん――檜原清佳という因子が加わったことによる騒動の末に、決着がついた。その結果、俺たちが得たのは、来年三月まではプラントポットに住んでいいという許しだった。

 三月までは住んでいいということは、裏を返せば、三月までしか住めないということだ。俺たちは結局、一年もたたずにプラントポットを出ていく。


「怪談と言うには、出来事が生々しかったと言いますか……。現実の大変さの方が印象強くて、あまりぞっとしませんね」


 怪談話と現状の符号にも、サヤちゃんは軽く首をかたむけるだけだった。

 話し甲斐のない、面白くない女。

 何で俺の友達兼ビジネスパートナーくんは、こんな女が好きなのかねぇ。


「真実はさておき。数年後、俺らの存在がプラントポットに伝わる噂の、新たな一ページに刻まれてたりしたら、ちょっと面白いよね~」

「ないでしょ。梓さんの許可を得たとは言え、外聞的に、私たちの存在は秘匿されるでしょうし。刻まれませんよ、何にも」

「いやいや、噂って言うのはそもそも、歴史には刻まれない余話なんだから。秘匿されるのなら余計、誇張されて語られる可能性は高いよ? 将来、六人の幽霊が出ることになってるかもよ~?」

「六人じゃ、最初にいた幽霊が省かれてるじゃないですか」

「揚げ足取るなよ。幽霊信じてないくせに」

「光さんの揚げ足を取るためなら、幽霊を信じるくらいのことはします」

「何の熱意?」

「実際、幽霊の存在自体を一切信じていない訳ではありません。さすがにその程度の怪談だと、怖がりようがないというだけで……」


 内心を隠すように、サヤちゃんの目が伏せられる。


「いたらいいな、とは思いますよ」


 でもまあ、全く隠せていない。今年の三月から今まで濃い付き合いをしてきたのでさすがに、彼女の思考は何となく分かる。

 亡くなった両親のことを考えているのだろう。


「プラントポットの怪談についても、まあ……縁起が悪い、くらいのことは思いますかね。梓さんには、寮にする前にちゃんとお祓いした方がいいって、言っておきます。きちんと対処をしたという実績があれば、噂も自然と、収まっていくかもしれませんし」

「え~怪談の一つになってみたかったんだけどな~。そう言えば、寮になった後にこの呪いが発動したら、どういう結果になんのかね。寮を出るってのは、理由がなければ難しそうだけど……部員が次々に故障して、野球部自体がなくなる、とか?」

「ハハ。そんなことになったら、梓さん、いよいよ参っちゃいそう」


 サヤちゃんの顔に、かすかに意地の悪い笑みが浮かんだ。

 夏休みまでの「いい子」なサヤちゃんは、しなかった顔だ。両親が亡くなってからずっと背負っていた過剰な罪悪感を捨て、伯母と向き合うようになったからできるようになった、「悪い子」の顔。

 俺は、サヤちゃんは嫌いだけど、「悪い子」は嫌いじゃない。


「……サヤちゃん、口の端にソースついてるよ~」

「えっ、何と。ありがとうございます」


 ちょっとした親切をしてやった後、俺は話題を切り替えた。今日は文化祭。俺にとっては高校最後の文化祭だ。ふわふわとした怪談話なんか、退屈しのぎ以上のものにはならない――はずだった。

 まさか、この話が、後々プラントポットで起きる事件に影響を与えることになるとは、この時は思ってもみなかった。

 まあ、事件って言っても、害のない事件ではあったんだけど。

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