第33話 いつか愛になったら

「そういえば、お前、ふざけるなよ。こんな厄介な腕輪はいらないから外せ。私に何の説明もなく、しかも番になる前に勝手に嵌めただろう。倫理的にどうなんだそれは」


 拳銃をホルダーに収めながら睨む。

 左手首を差し出すと、リアンの腕に嵌まった腕輪を見て機嫌良さそうに口角を上げたヴァルハルトが腕輪の表面をすっと撫でた。


「まあまあ。あのときにはもう、俺はあんたがいつか番うのは俺って決めてたんだから、番になるのが早いか遅いかの違いだったって。俺あんたの番になるって竜がもし現れたら殺そうって思ってたし」

「……さらっと恐ろしいことを言うな」


 リアンの左手を取ってちゅ、と腕輪に唇を落とすヴァルハルトを引いた目で見据えた。

 アドルが以前言っていたことがようやくわかる。精力旺盛で奔放な海竜が番を得ると落ち着く評されていたのは、つまりそれだけ番に執着するということか。海軍大将の朽ち葉船長への言動を思い出してもおそらくそうなのだろうと察せられる。

 自分は早まったのではないかと思わないでもないが、ヴァルハルトを見ていると気持ちが緩むのも確かで、一向に腕輪を外す素振りを見せない男を見ても何故か強く怒りきれない。今日は陰の日の影響もあって余計にダメだった。

 なんだかもう既に何を言われてもふわふわした気持ちになってくる。

 自分の反応に首を傾げているリアンを見るヴァルハルトの青い瞳が徐々に猛禽類のように鋭くなっていた。海蛇に着いたら早々に襲われるんだろうと悟りながら、しかしそうは言ってももう自分の中の竜は番に擦り寄って甘えたそうにしているので、今日は仕方がないと自分に言い訳して諦めた。

 


 ◆



「少しは加減というものを覚えろ、お前は」


 力尽きてベッドに突っ伏したリアンの剥き出しの背中を番の男が撫でてくる。掠れた声で文句を言うと、今日も好き放題食らい尽くしたヴァルハルトは機嫌よくリアンの背中に唇を落とした。


「普段クールでカッコいいあんたも好きだけど、陰の日に弱々しくなるあんたは最高にかわいい」


 そうふざけたことをぬかしてくる男をじとっと横目で見ながらため息を吐いた。

 すでに日は落ちている。

 陰の日の影響でいつになく素直なリアンを興奮気味に抱き潰したヴァルハルトは、事後に水を飲ませたり身体を拭いたりと甲斐甲斐しく世話を焼いてくる。


 ほんのちょっと会えればいいと殊勝な顔で言っていた男は本当にお前か、と言いたくなるほどの執着心とわがままぶりを発揮しているヴァルハルトのせいで、リアンは毎回精根尽き果てるまでむさぼられている。


 確かに毎晩抱きしめて一緒に寝たいとは言っただろう。でも意味が違う。

 仕事が立て込まなかった日はなるべくリアンが夜海蛇に飛んでくることにしているが、ほぼ毎回ベッドに引き摺り込まれている。毎朝目が覚めると腰が痛くて文句を言うリアンに奴はどこふく風なので、必ず喧嘩になる。

 今晩は絶対に会わないと思って空に飛び立つのに、夜になると海蛇に下り立ってしまう自分はどうかしている。

 けれども夜飛んできたリアンを見つけてほっとしたような顔で笑うヴァルハルトを見ると、来てよかったと安心してしまうのだ。毎回そのループだ。永遠に。

 でもこれが永遠に続くならそれでもいいかと思い始めていることは、口が裂けてもヴァルハルトには言えない。


 海蛇の中にあるヴァルハルトの部屋はやはり客船の一等船室並みに豪華で設備が整っている。

 足に力が入らないリアンを抱えて部屋の風呂に入り、シーツを取り替えた寝台に寝かせてからヴァルハルトは食べるものを取りに一時部屋から出て行った。空腹ではあるが疲労で寝てしまいそうになり、意識がぼんやりした視界の中にちらりと何かが動いて視線を動かした。

 ベッドが置かれた壁際とは反対側にあるテラスに続く窓の手前に、小振の水槽がある。その中にはいつかの幻獣がパタパタと泳いでいて、夜なのに元気よく水の中を動き回っていた。

 水槽の中にいるのは一匹ではない。もう一匹別のヒポタラサと、何と二匹の子供が一匹泳いでいる。この前密輸されたヒポタラサは無事保護されたはいいものの、引き取り手が見つからずにヴァルハルトが預かって飼っているらしい。同じ理由で以前から預かっていたヒポタラサと会わせたらすぐに番になってしまい、気づいたら子供が生まれていた、ととんでもないことをさらっと言っていた。

 空中でも飛べる幻獣たちは、泳ぐのに飽きると水槽から出てきて好き勝手にその辺りをパタパタ飛んでいる。この前のヒポタラサはリアンのことを覚えているのか、懐いてきて指に吸い付いてくるので密かに可愛いと思っている。


 寝そべりながら水槽の中で泳ぐヒポタラサをじっと眺めていると、頭の中に飛竜の子供のことがふと思い出された。

 祖父も叔父もいない今、飛竜の血を残そうと躍起になる人間はいなくなったが、それでも頭の中には時々そのことが過ぎる。何百年と続いてきた飛竜の血を自分が絶やしてしまうのは先祖に対して申し訳ないとは思う。


 ぼんやりとして切ないような気持ちになっていると、部屋の扉が開いてヴァルハルトが戻ってきた。


「肉とリンゴ持ってきた。あんたリンゴ好きだったよな」

「ああ」


 何故その取り合わせなのか疑問は感じたが頷くと、ヴァルハルトはシーツをまくってリアンを抱き起こし、その辺にあった自分のシャツを着せてくるのでされるがままに任せた。

 まだ陰の日の影響でふわふわしながら寝台の上にぼんやり座り込んでいるリアンを見て、軽く唸った海竜が後ろから抱き込んできてぎゅっと抱きしめてくる。リアンが見ていたものを目で追ったのか、後頭部に鼻筋を擦り付けながらヴァルハルトが言った。


「やっぱり子どもほしいのか? 作るか?」


 さらっと言われて眉間に皺を寄せた。


「は……? 私は男だ」

「そんなのわかってる。雌より確率は低いけど竜同士なら雄でも孕めるだろ。あんたが腹に卵核を作る薬を飲めば」


 思考が停止した。

 今この男は何と言った。


 ――雄でも孕む……?


 目を見開いて硬直した後、恐る恐るヴァルハルトを振り向くと、リアンを見下ろしている竜はそれが冗談でも何でもないという顔をしていたので更に驚愕した。


「……本当に冗談じゃないのか」


 リアンの掠れた声を聞いて眉を上げた男は「ああ」と納得したように頷いた。


「もしかしてお堅い飛竜にはもう伝わってないのか、この方法。確かに自然の摂理からはちょっと外れてるけどな。孕むのが絶対って訳でもないし。でも何度か試せば多分できるんじゃないか。地竜だってそれで雄同士で子ども増やしてる奴らがいるだろう。うちの海竜と番った奴とか」


 そう言われて、随分前に王宮でアドルと話したことを思い出した。海竜と番った地竜がいるのは知っていたが、まさかその中に雄同士のカップルがいるとは知らなかった。


「結局海軍に帰ったという竜のことか。まさか子どもを作るだけ作っておいて海に帰ったのか」

「おい、その目なんか誤解してるだろう。確かにあいつは海軍に帰ってきたが、隙あらば番のところに通って抱き潰して帰ってきてるぞ。子育てに参加できないから番の住む街まで港を広げてくれってお袋に泣きついてぶっ飛ばされてたが」

「は……?」


 思っていた話と違う。

 ぽかんとしているリアンを少し呆れた目で見下ろしたヴァルハルトは、顔だけで振り返っていたリアンの唇にちゅ、と触れるだけのキスをした。


「海竜は気性が荒くて精力が強い分、番ができたら一途でまっすぐなんだ。まあ、海竜だろうが飛竜だろうが竜なら誰だってそうだろう」


 どうやら自分は海竜のことをだいぶ曲解していたのだと再確認した。なんというか、その事実を知ったら知ったで番への執着心が強すぎる危ない奴らという認識に変わっただけで、結果は同じだというような気がするが、それでも以前よりは心の持ちようは違う。


「子どもがどうのっていうのはまだ先でいいだろ。俺もあんたも竜印強いんだから、当分死ぬことねぇよ」


 そう言ってヴァルハルトが一口大に切ったリンゴを一つ、リアンの口に持ってくるのでまだ半ば放心したまま素直に口を開いてリンゴを咀嚼した。


 子供ができるのか。

 自分で産めば。


 まさかそんなアンサーが出現するとは思ってもみなかったから狼狽してしまうが、ヒポタラサを見ながら切なくなっていたさっきまでの感傷は今は消えてなくなっていた。


「そうか……つくづく私たちは血と体裁に拘りすぎていたのだな」


 リンゴを飲み込んでそう呟くと、自分は焼いた肉の串焼きを齧っていたヴァルハルトは呆れたような顔をしながら笑った。


「あんたら飛竜はさ、真面目すぎんだよ。なんでわざわざ愛か血か、なんて極論に持ってこうとすんだろうな。真剣に悩みすぎ。どっちも選べばいいだけの話だろ。どっちも手に入るように頑張ればいい」


 あっさりとそう言い切った男の言葉に小さく頷いた。

 確かに、今まで自分はどちらかを犠牲にしなければならないと思っていた。二つとも手に入れるための方法を探すという発想はなかったように思う。

 朽ち葉が祖父に言っていたことを思い出す。

 己の本心に従えば、飛竜は絶えることはない。

 本当にそうなのかもしれない。少なくとも、リアンはまだその希望を手放さなくていい。


 ヴァルハルトを眺めながら一人でじんわりしていたら、荒々しく串焼きを食いちぎっていた海竜はリアンの視線に気づいて「食うか?」と持っていた串を差し出してきた。

 首を横に振ると、眉間に皺を寄せて肉の皿を押しつけてくる。


「肉を食え肉を。あんたそんなんだから体力ないんじゃねぇの」

「お前と比べるな。軍人としては何も問題ない」


 普段は肉も好きだし食べる量も決して少なくない。今は身体の疲労が強すぎて食欲がないだけだ。


 ため息を吐きながらそう言ったらヴァルハルトは何か言いたげな顔をしていたが、リアンの顔に疲れが出ているのに気づいたのか、リンゴを食べさせながら手早く自分の食事を済ませた。

 部屋の灯りを消してベッドに横になると、すぐ腰に腕が回ってきて引き寄せられる。後ろから抱え込まれるような体勢は寝づらいが、今日は陰の日なので抵抗しないでおいた。自分の中の竜が番にくっついて寝たいと言っている気がする。


 新月で暗い空からは、月明かりも差し込まない。

 真っ暗な部屋の中でヴァルハルトに抱きしめられながら横臥していると何とも言えない満たされた気持ちになって眠たくなる。

 この男と同じ寝台に寝そべってそんな気持ちを抱くことになるなんて、初めて抱かれたあの夜には考えもしなかったとぼんやり思いながら、海竜のことを嫌悪していた頃の自分を懐かしく思い返した。

 

 この男のことは気に入らなかった。

 粗暴で、喧嘩っ早くて、自分勝手で、軍人のくせに協調性もない荒くれ者。

 それでも兵卒には何故か人気があるこの竜のことを自分は受け入れられなかった。その理由が今ならわかる。


「……私は、お前が羨ましかっただけなのかもしれない。誰にも膝を折らないと言い、己だけを信じるお前の自由な姿が」


 眠たい頭で思ったことが無意識に口に出てぽつりと呟くと、リアンを抱えていたヴァルハルトがふ、と笑う気配があり、後頭部に鼻筋をすり寄せてうなじに口付けてきた。


「あんたは自由だよ。あんたほど孤高で強くて、それでいて優雅に空を舞う竜を俺は知らない。俺が膝を折るのはあんたにだけだ。あんたが望むなら、俺はあんたに跪いて愛を囁いてやる」


 後ろから男の低い声が耳元で聞こえた。

 じわっと耳の辺りが熱くなった気がしたが、部屋が真っ暗でよかったと思う。これなら赤面していることに気づかれないで済む。


「……お前、結構恥ずかしい奴だったんだな」


 動揺を誤魔化そうとしてそう呟くと、ヴァルハルトが喉の奥で笑う声がして、そのあと愉快そうに囁いてきた。


「だから言っただろう。海竜は番に対しては一途で従順なんだよ」

「……覚えておく」


 本当に従順になろうとする気持ちがあるならば、ベッドの中で止めろと言ったら一度で終わるはずなんだが。

 そう思ったが、口に出すとじゃあもう一度やり直すと言い出しかねないからやめておく。


 それにもしこの男の聞き分けが急によくなったら薄気味悪いし、多分リアンはどう接したらいいのかわからなくなるだろう。自分も穏やかで人好きのする話し方なんてできないし、会話も上手くない。

 よく考えたらリアンが自分の感情をちゃんと表に出せるのはヴァルハルトと言い合いをしているときくらいだ。


 まともに番い合うなら、実は言うことを聞かないくらいが自分にはちょうどいいのかもしれない。


 そう気づいて、そんな結論に帰着したことを馬鹿みたいだなと思いながら、リアンは目を閉じた。


 なんだ。

 案外上手くやっていけそうじゃないか。


 そう思って安心したことは、この男には絶対に言わない。


 微睡みながら、もしかしたらホーフブルクの飛竜の断絶は回避できるのかもしれないな、と思う。まだそんな勇気は持てないし、とてもじゃないが自分が産むなんて想像もできないが。


 でも、もしかしたら、いつか。


 生まれてきてくれるのかもしれない。


 今自分の中で育っているこの気持ちが、愛になったときに。

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