第28話 海に落とされた竜とその番
士官は一度も振り返ることなく無事に燕に着機して、すぐに状況を確認した。
グートランドの戦闘機は無事に全て撃墜された。
謀反人を捕縛したことがグートランドに通達され、これ以上の軍事行為を続ければ侵攻すると脅しをかけた結果、幸いにも開戦には至らなかった。
ひとまず緊急事態を脱し、燕の指揮系統を整理してからヴァルハルトと一緒に輸送機で王宮に向かった。リアンからも軍部と陛下に報告をしなければならない。祖父たちを任せていた朽ち葉船長のことも気になっていた。
飛行場に着いたら足の怪我のせいでヴァルハルトに抱き上げられそうになって猛烈に抵抗し、渋る男の肩に掴まってすがりながら滑走路から移動用の車に向かう途中で、朽ち葉がリアンを待っていた。
「リアン!」
車の前に立っていた朽ち葉が駆け寄ってくる。
「船長、無事でしたか」
「私は問題ない。リカルドは重傷で病院に運ばれたが、おそらく命は助かるだろう」
それを聞いてほっとした。
あのまま叔父と死に別れることになったら、心残りがありすぎる。
黒い色眼鏡を掛け直した朽ち葉が、リアンの顔を覗き込んできた。
「あのバカ達のことはどうでもいい。無茶をするなと言ったのに、海に落ちたと聞いた。機銃に撃たれたのか。大丈夫か」
「一発足に当たっただけです」
「そうか、よかった」
包帯を巻いているリアンの足を見下ろしてほっと息を吐いた船長が、ヴァルハルトにすがって立つリアンを見て目を細め、微笑んだ。
「よくやった。ありがとう、リアン」
「朽ち葉船長にも、祖父のことでご迷惑をかけました」
「いや、これはもともと私がやり残したことだった」
そう言って朽ち葉は眼鏡を外し、飛竜の黄色の瞳でリアンを見つめた。
「リアン、君は誰よりもグラディウスの名にふさわしい飛竜だ。私は海に落とされたとき、戻ることを諦めたが、君は諦めなかった。一族のしがらみに抗いながら、道を正すことを選んだ高潔な命が飛竜に生まれたことを誇りに思う。心からの感謝と敬意を君に捧げる。ありがとう」
「朽ち葉船長……」
思わぬ言葉に目の前の飛竜を見つめた。
暖かな信頼のこもった朽ち葉の黄眼が少し潤んでいる。穏やかな微笑みを浮かべるその顔を見ていたら、自分の胸の中からも何かがじわりと込み上げそうになって、リアンは唇を引き締めて小さく頷いた。
「私はもうウミガラスに帰るから、君たちはこれに乗って宮殿まで行くといい」
船長が後ろに止まっている車を指差したとき、荒々しいエンジン音を立てて車が一台飛行場に突っ込んできた。駐車していた車の横にけたたましいブレーキ音を響かせて止まり、運転席のドアが蹴り開けられるようにして開く。
「リーフ!!」
怒声のような大声が轟いた。
車から飛び下りてきた男を見て、朽ち葉船長が顔を顰める。
「なんだ、面倒なのが来たな」
目にも止まらぬ速さで駆け寄ってきたのは、海軍の大将だった。ヴァルハルトの祖父で、一度海蛇で会った寡黙な海竜が、凶悪な顔をして船長の肩をわし掴み、がくがく揺さぶる。
「お前ふざけるなよ!! 病み上がりのくせに何の相談もなく燕に乗り込むなんて俺の心臓を破壊する気か!? ヒースレイからお前が王宮にいると連絡を受けて危うくぽっくり逝くかと思ったんだぞ!!」
「……そこまで大声が出せるなら当分死にはしないだろう」
「行く前に言えよ! せめて!! なんで事後報告で死にそうにならなきゃいけねぇんだ!!」
すごい剣幕で朽ち葉船長を揺する大将と、嫌そうな顔をしつつもされるがままになっている船長を、リアンはぽかんと口を開けて見比べていた。
大将、普通に喋るじゃないかと思っていたとき、隣にいたヴァルハルトが何かに気づいた様子で口を挟んだ。
「おい爺さん……まさか、ずいぶん前に逃げられたあんたの番って」
その言葉を聞いてぴたりと動きを止めた大将は横目でリアン達を見てきた。ふん、と鼻を鳴らして口を開く。
「そうだ。こいつが生きてるなんて飛竜共に知られるわけにはいかなかったからな。泣く泣くウミガラスに乗せて生き別れたのだ」
「生き別れただなんて大袈裟にするな。お前週に一度は船に来てただろうが」
横から冷静な声で指摘されて大将は目を怒らせた。
「始めのうちだけだろう! 最近は行けていない。くそ、それもこれも大将なんて面倒な仕事を親父が早々に押しつけてきたからだ。自分は余生を番と過ごすなんて言い捨ててあっという間に隠居しやがって、俺ももう余生だっていうんだよ!! くそ!! ヴァルハルトさっさと階級上げて早く代われ!!」
「おい、孫が引いてるぞ。冷静になれ。普段の調子はどうした。お前海蛇では無口な大将で有名だそうじゃないか」
「喋ったらお前に会えない不満を洗いざらいぶちまけそうだから黙ってるんだ!!!!」
「お前うるさいな、相変わらず」
呆れた顔になる朽ち葉船長を苦々しく見下ろして、大将は苛立ちを込めた息を吐き出してから掬い上げるように船長の腰に腕を回した。「おい」と微かに抵抗した番の動きを封じるように抱きしめる。
「飛竜の子どもを拾ったなんて連絡を受けてから、嫌な予感がしてたんだ。まさか燕に乗り込んで一緒に空軍大将をシバきに行くなんてどうかしてるぞ」
「私が残してきてしまった禍根だからな。落とし前をつけてきただけだ」
あくまで冷静なトーンを崩さない朽ち葉の言葉にもう一度嘆息して、ヴァルハルトの祖父は船長の髪に顔を埋めた。
「……とにかく、無事で良かった」
「お前を残して逝くわけがないだろう」
「リーフぅ」
二人のやり取りを呆然と眺めながら、今自分達は何を見せられているのだろうと思い始めていたとき、隣から同じつぶやきが聞こえてきた。
「何が楽しくて爺さん同士のラブコメを見せられなきゃいけねぇんだよ。爺さん、もういいから番を連れてさっさと帰れよ」
ヴァルハルトがそう言うと、朽ち葉の頭から顔を上げた海軍大将がこれ見よがしに顔を顰めた。
「はん、言われるまでもないわ。ヴァルハルト、俺はしばらく海蛇に戻らないから中将に後は頼んだと伝えておけ」
「は? お袋に? 嫌にきまってんだろ。自分で言えよ」
「お前はまだ若いんだから少しは苦労を知れ。そこの子竜とよろしくやる前にせいぜい周りから邪魔されるといい。しばらくやんちゃできなくてちょうどいいだろう」
「ヴァルター、孫には優しくしろ。ヴァルハルトは昔のお前に比べたらよほど紳士じゃないか。昨日の夜なんてわざわざリアンを探しにきてキスだけして帰るんだぞ。最近の海竜の若者は違うな、と痺れたな」
「俺の前で他の竜を褒めるな!!」
激昂した大将に抱えられて、連れ去られる勢いで引きずられていく朽ち葉は「いちいち狭量なんだ、お前は!」と言い返して暴れていた。
「だいたいお前があんな厄介なものを嵌めるから私はリアンを抱きしめることもできないんだぞ! いい加減外せ!」
と叫ぶ隻腕の番をやすやすと抑え込み、大将は車に押し込めながらこちらをちらりと見た。
「俺は引退するからな」
そう捨て台詞を吐き、運転席に乗り込んでいく。
「おい爺さん!!」
怒鳴ったヴァルハルトを無視して大将が車を急発進させて去っていくのを見送り、いまだ呆気に取られていたリアンは小さく舌打ちした隣の男を見上げた。
「あれで大将って、ふざけてんのか。勝手すぎんだろ」
「お前が言うのか……? お前が?」
「なんでそんな食い気味で突っ込んでくんだよ」
眉を顰めて見下ろしてくるヴァルハルトを無言で見据える。
こいつの我が強いのが何故なのか納得した。周りにああいうのしかいなかったら、自然とそうなるのが摂理ということなんだろう。
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