第22話 飛竜の運命②
一時間ほど経ち、ウミガラスは本当に燕を捕捉した。幸いなことにまだ下は海で陸は見えていない。
「ポートテン。このまま真っすぐ行けば燕に行き合うだろう」
船長が操舵士に指示を飛ばしながら言った。
「わかりました。ありがとうございます。ここから先は、私一人でいきます。燕に気づかれないうちに早く引き返してください。本当にありがとうございました」
「待ちなさい」
リアンがお礼を言って船橋から出ようとすると、後ろから朽ち葉船長の声に呼び止められる。
振り返ると、黒い眼鏡の中からリアンを見つめている船長が顔を引き締めて立っていた。
「私も行こう」
そう言われて困惑した。
このまま行けば燕は見つかるだろうから、わざわざ危険を冒してまで船長に付き添ってもらう必要はない。第一リアンは飛んで行けるが、船長はどうやって来るというのか。まさかこの船には小型飛行機まで搭載しているのだろうか。
あり得ないことではないか、と思ったときガウスが叫んだ。
「船長来たぞ! 偵察機だ!」
「操舵、取り舵いっぱい」
すかさず船長が号令し、すぐに船が傾いた。リアンの目にも、遥か先の雲の隙間から空軍の偵察機が姿を現すのが見えた。あれには殺傷能力はあまりないが、すぐ後から戦闘機が来るだろう。そうなるとまずい。
揺れる船内で体勢を整えながら、リアンはやはりすぐにここから発たなくてはならないと判断した。
「朽ち葉船長、大丈夫ですから引き返してください。あれは私が引き付けて、そのまま燕に戻ります」
ここまで飛んでくる間に、昨夜確認した武器は揃えて持ち込んであった。擲弾発射器を肩に担いで、リアンは船橋の司令部から飛び出す。
「リアン!」
後ろから船長の声が聞こえたが、立ち止まらなかった。ここまで来てウミガラスが空軍の戦闘機に撃ち落とされるようなことになったら、リアンはトマ達に何と言って詫びればいいのかわからなくなる。
甲板に走り出て柵に飛び乗り、その勢いのまま背中から出した翼で羽ばたいた。上空の風は強烈だが、リアンは竜だから問題ない。
偵察機はウミガラスを捕捉した瞬間、機体を翻して雲の中に消えた。すぐに戦闘機が来るだろう。
その方向に飛びながら、ちらりと後ろを振り返る。リアンを追うことは諦めたのか、ウミガラスが旋回して高度を下げていた。
ゆっくりお礼も言えなかったが、本当に助かった。
リアン一人では、燕を見つけるのに時間がかかっただろう。船長達の好意に感謝して、無事に海に帰れるようにと一時スピードを緩めてその姿を見送った。
入れ替わるように、すぐに前方から耳鳴りのような甲高いエンジン音が聞こえる。
「来たな」
微かに見えたと思った戦闘機はみるみるうちに近づいてくる。二機が並走するような隊列で飛行していた。
ウミガラスが消えた方へ向かって走り抜けようとする戦闘機の前にリアンは浮かび上がった。擲弾発射器を構える。
パイロットがリアンを認識できるくらいまで近づいてから、照準を合わせて躊躇なく発射した。擲弾が戦闘機の片翼に着弾し、爆発音を立てて煙が上がる。バランスを崩した機体が海面に向かって墜落した。機体が燃焼する前に落下傘が飛び出してパイロットが脱出するのをしっかり確認してから視線を逸らした。
もう一機の戦闘機は、予想外の展開に慌てて旋回して機体を翻した。リアンの姿を認識したようで、スピードを緩めながらこちらに近づいてくる。
目標を追う途中で突然空中に上官が現れたら確かに困惑するであろうが、任務を途中で放棄するのは軍人としては正しくない。
そんな教育をした覚えはない、とパイロットを操縦席から引っこ抜いて説教しようかと思ったが、思いとどまった。ならばこいつも落としておくかと一瞬考えたが、戦闘機が二機とも墜落したら燕から次が送られてくる。それは面倒なので、情けをかけて手信号を送った。墜落した者を救助に向かえ、と指示すると、パイロットはすれ違い様にリアンに敬礼して高度を落とした。
戦闘機が二機ともいなくなり、リアンは翼をはためかせて燕に向かって飛んだ。
さっきのパイロットがリアンを発見したことを無線で報告したのか、それ以降戦闘機が送られてくることもなく、無事に燕に近づくことができる。
久しぶりに帰ってきた空中艦艇には、甲板の上に士官や兵士が集まっていて、リアンが戻ってきたのを見て驚きの声を上げていた。その姿を見るとやはり一般兵達はリアンが祖父に落とされたのだということは知らないらしい。
士官たちに軽く手を上げて、リアンは甲板ではなくグラディウス家の居住区のデッキに向かって滑空した。艦艇の後方にある居住区の屋上は一族専用の輸送機やヘリが停まるためのデッキがある。そこが一番司令部である艦橋に近かった。
恐らく、祖父は艦橋にいて、王都へ向かうまでの航路を自ら指示しているだろう。艦橋に向かうならデッキから行くのが最も速い。
リアンがデッキに下り立つと、飛竜が一人待っていた。
「生きていたか。リアン」
「叔父上」
静かな声を聞いて、リアンは擲弾発射器を肩に担いだまま立ち止まり、叔父の姿をじっと見つめた。
リアンを見ても喜ぶでも驚くでもないその叔父の顔を見て、察してしまった。
叔父は、祖父のしたことを知っている。
そして今祖父が手を出そうとしていることに異議を唱えていない、と。
「中将閣下、大将はどこに」
「リアン、残念だよ。お前には期待していたのに」
リアンの問いには答えずに、本当に無念そうな顔をしている叔父の表情を、リアンもやるせ無い思いで見つめた。
自分にとって、叔父は親代わりの存在だった。厳しかったが、その分大事にされているとも思っていた。
「叔父上、お祖父様は燕を使って何をしようとしているのですか」
そう聞くと、叔父はリアンを黙って見つめた。
「祝祭日の祝砲を打ち上げに行くなんて、建前でしょう。王宮を攻撃するなんて愚かな真似は、さすがにしないと願っていますが」
「燕で王宮を攻撃する? そんな馬鹿なことはしない。私たちはただ示すだけだ。グラディウスの威光を」
「威光?」
「……たまたま王都の近くを飛行していた燕が、グートランドのステルス機に気づき、ミサイルを迎撃して王宮の危機を救う。ただそれを演じに行くだけのことだ」
「ステルス機……? お待ちください。それはグートランドの戦闘機を領空に通すということですか。危険すぎます」
何故そんな危険なことをさも何でもないことのように口にできるのか理解できない。リアンが顔を強張らせると叔父はただ静かに首を横に振った。
「通すのではない。大陸のステルス機が有能だということだろう。それに大将は、仮にミサイルが王宮に着弾したところで、なんとも思わない」
「叔父上、待ってください。そんなことをして空軍の権威が高まるなんて、本当に思っているのですか。私にグラディウスの崇高な志を教えたのは叔父上です。今手を出そうとしていることは、ホーフブルクを守護していた飛竜の遺志を裏切る行為でしょう」
叔父の青白い顔をまっすぐに見つめて問いかけた。
こんな愚かで馬鹿げた真似を本気で押し通そうとしている祖父も叔父も、とても正気だとは信じられなかったが、言わずにはいられなかった。
竜としての高潔さと気高さを誇りにしていたはずのグラディウスの教えが、いつの間にか捻じ曲がってしまったことが悔しくて、切ないような、泣きたくなるような失意を噛み締めていた。
「こんなことをしても、飛竜は生まれません」
もう、決して生まれないだろう。
竜の命が、王国を守ろうとする純真な魂に宿るのであれば。
――飛竜は滅びる。
そう胸を裂かれるような思いで訴えると、叔父はどこかぼんやりした目でリアンを眺めて目を伏せた。
「そうだな……そうかもしれない。昔お前の父親も言っていた。血を残すために番うのでは飛竜は増えないと。そう一族に反発していた男には飛竜の子供が生まれるのだから、嫌になったものだ。私はお前の父親よりもよほどグラディウスのために尽くしたのに、いくら望んでも子供を得ることができなかった」
呟くように言った叔父は、目をすがめて空を見上げた。
「しかし、だからといって自由になるのはダメだ。飛竜は空にいて、一族と共にあるものだ。リアン、戻ってきなさい」
「リカルド叔父上、私は」
「自由になっても海竜とは番えないよ。奴らは飛べない。空で暮らす私達とは共に生きられない」
視線を戻した叔父が冷淡な瞳でリアンを見つめる。いつの間にか話の軸がすり替わっていたが、リアンはその刺すような眼差しを目を逸らさずに受け止めた。
そんなことはわかっている。
言われずとも、それはもう何度も頭の中で考えた。
しかし、リアンはそんなことを議論するために空に戻ってきたのではない。
叔父をまっすぐに見つめて口を開いた。
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