ファースト天使

清水彗星

第1話 昨日よりの使者

子供の時の妄想は履けなくなった靴と一緒に捨ててしまっていた。

  成長していく私にはもう合わなかったから。




 五月、ゴールデンウイーク明け、太陽が夏に向けて準備運動をしているような澄清の下で、庭の若葉が己の黄緑をえらく主張しているような土曜日だった。

 家には今私一人しかいないので、静かに高校の課題でもやろうかなと石像のように重い腰を持ち上げた瞬間、インターホンの呼び鈴が静寂に亀裂を入れて私をドアへと誘った。

 「はーい」

最近宅急便を頼んだ記憶はないし、親もそんな素振りは見せていなかった。知り合いかな?なんて思いつつ小走りに廊下を進みドアを開けるとクリーム色に近い金髪のボブに白いワンピースを着た羽根と頭の輪っかを搭載した女の子。つまるところ

そこには天使が立っていた。




「やっほ〜!あなたがソウハちゃんだよね!ってかスタイル良いね~!身長170cmぐらいあんじゃない?」

もちろん知り合いではなかった。それだけじゃない、なぜ私の名を知っている。そもそもこの娘は誰だ。どうして天使のコスプレなんかしてるんだ。というか陽気な人だ。そうじゃない。

「違いますけど…人違いじゃないですか?」

咄嗟に噓をついた。


 いくら同性の美少女とはいえ正体不明のコスプレイヤーに名前を知られている事実は看過できない。初対面名前クイズが一発正解だったから言って気を許せるほど私と私のDNAに刻まれた日本人精神はオープンではないのだ。クローズドハートで身を守ってきたんだ私たちは。

当然こんなどっかの宗教画でみたような巨大な白翼と豆球程度の光を常に発している輪っかを頭上に浮かべている女の子は知り合いではなく、これから知り合うつもりすらゾウリムシの繊毛程もない。


「違くないよ〜昨日あなたのお母さんに会って聞いたもん。友達になったげてねぇっていって言われたもん」

「は?」は?

意味を理解するのにはコンマ秒では足りなかった。

私のお母さんに会った?昨日?何故友達に?

私の動揺を見ながら天使は不満そうな顔で言葉を続ける

「『は?』じゃないよぉ!昨日ソウハちゃん家にピンポン押したらお母さんが出てきて〜今うちの子高校行ってるからまた明日来てねって。というかその顔私が天使だってこと疑ってるでしょ!?」


情報量が多すぎる。昨日も私の家に来て、母親に会い私の名前を知り、友達になるように勧められた。しかも天使のコスプレイヤーが。

確かに私の母はちょ〜っと楽観的過ぎるところがあるが、見ず知らずの変装癖がありそうな娘の友好関係の中に入れようとしてくるほどでは無かったはずだ。そもそもコスプレイヤーじゃなくてもやめてもらいたい。てか昨日言ってよ。

「お母さんが帰ってきたら確認するんでまた明日来てもらっていいですか?明日日曜で学校ないですし。一旦天使かどうかも保留にさせてください。」


流石に私一人が抱えていい案件ではない。お母さんも何か知ってるらしいから今日帰ってきたら糾弾してみよう。ということで明日に持ち越すことを提案する。このかわいいだけの不審者からどんな反応が来るか少し怖くてちょっと目を細めながらリアクションを伺ってみる。


冷静になってよく見てみると、羽が背中に有り、光の輪が浮いてるのを見ると、ホントに人間では無いように思えてきた。コスプレだとしてもそこまで精巧な天使になろうと努力してるなら天使みたいなものなのかな。

「……そんなに私の顔見てどうしたの?チワワのクソでも付いてる?一応さっき拭いてきたはずなんだけど」

顔のきれいさと対極の衝撃発言。さっきしたあんたの顔への羨望を返してくれ。

「汚な!?え!?汚な!」

どんな生活してたらそんなことになるんだ。顔を足代わりにして歩くでもしないとそんな風にはならないでしょ。

「さっき地上観光がてらソウハちゃんの家向かって歩いてたらころんじゃってさ~。そこにちょうどチワワがしてるところに顔から突っ込んじゃったってわけ。やっぱ慣れないことするもんじゃないね」


 地上観光とやらはよく分からないがなんか可哀そうな事の顛末だった。しかしこちらにそんなことを悟らせない天使美少女の顔はやはりとにかく美人、大きい目、絹のような金色の髪、透き通った肌、というか本当に綺麗な肌だな…もしかしてノーメイク?使ってる化粧水とリンスだけ教えてもらってから帰ってもらうことにしよう。


「うーん...確かに急じゃ混乱しちゃうか!今日は帰るね!」

今日はと言わずに千代に八千代に来ないで欲しい。こんなところ通行人に見られたらうちのご近所からの評判が一変してしまう恐れがある。

「そうだ!忘れてた!ソウハにプレゼント!」

藪から棒に少女は言い出した。

「あっ...ありがとうございます」

嬉しいことを言ってくれているがどう見ても手ぶらにしか見えない。これで「私のと出会い」か言うなら手が出るぞ。怖いし出さないけど。

「それでプレゼントってどこに…」

私が言い切るのを待たず少女の頭上の輪がより強く光った。


「うおおおお!?なに!?眩しっ!」

驚きすぎて突然憲兵に見つかった山賊みたいな声をあげてしまった。

瞳孔が閉じきってない目を開けると少女が私に紙袋を差し出していた。

「今のなに!?手品!?」


虚無から物が出てくるなんてテレビの中のマジックショーでしか見たことがない。何度見ても種も仕掛けもわからず歯がゆい思いを幾度もしたものだ。輪っかが光り私がつむった目を開けるまでだいたい3秒。その間に音もなく今まで私の視界になかった紙袋を持ってきたという事実だけが存在している。そもそも何がトリガーで輪っかが光ったのかすら分かってないし。


驚きを隠せない私に向けて少女が微笑みながら言う

「手品じゃなくて魔法だよ~!英語にしたら一緒だけどね」

確かに私が信じ続けて生きてきた物理法則に反していた気がするが、私の目がくらんでいる間にどっかから高速で持ってきた可能性も捨てきれない。


少女はそんな私の懐疑の目を見てか

「ソウハちゃんまだ信じてないでしょ。そしたら~」

少女が喋っている最中、またもや、しかしさっきより薄く直視できる程度で天使の輪が光り始めた。


刹那、天使の輪は光の粒子のように分解されていき、少女の周りを金色のオーロラのようになって螺旋状に廻った。一般的な玄関に異常なまでの存在感を放つ少女。粒子のような光だけでは無い、少女の白いワンピースがホワイトブロンドの髪が、透き通るような肌が彼女を作っている全てのが私の心を引き込んでゆく。

ああ、確かに、彼女の姿は、まさしく、天使のようだった。

私は気付かぬうちにずっと天使を見ていたいと感じていた。

「どう?地味だけどきれいでしょ?」

そう言うと光の粒子は少女の頭の上で元の光輪の形に戻っていき、意識を向けるとすでにもとの姿に戻っていた。


「おお...は、はい」

うっとりしていた状態から呼び戻された私は思考を余儀なくされた。

魔法が使えるのだとしたら私のこの少女に向けての認識を改めなければいけなくなってしまう。確かにいくら何でもそのまんまの見た目をしているが、じゃあ簡単に信じるものでもなかっただろう。しかし、これ光景を見たらそうは言ってられない。

今では信じられないが、昔は信じたかったもの。そう、多分、もしかしたら彼女は本当の

「天使、って信じてくれた?」

天使は微笑みながら問いかけてくる。

「信じ...ま...す」

キャパシティを超えもはや正常に動かない私の脳の返事するだけで精一杯だ。


無論懐疑心がない訳では無かった。普通の人ではにないしろ、天使である証拠は輪っかと翼しかないしわけで、未来から来たアンドロイドとか地球侵略準備中のエイリアンとか謎の組織の人造人間とかが私を騙っている可能性だってあるわけだ。

  いや…やっぱそんな可能性ないかも…。なんだか頭が働かなくなってきた…。

とりあえず現生ホモサピエンスでないことの証拠を出されてしまったことに違いはない。私を構成する常識の束が今日で大きく変えられてしまった訳だ。まだちゃんと飲み込めてないけど。


  そんな思考整理中の私の顔を天使は面白がるような眼をしながら玄関前の地面に置いてあった紙袋を持ち上げ、幼女のように純粋な笑顔で私に勢いよく突きつけてきた。

「そんでもってさっきのこれ!光輪を分解するのなんてまた今度見せてあげるから!」

「あっそういえば」

忘れてた。さっきの天使の艶姿で紙袋は忘却の彼方に吹き飛ばされてしまった。とは言いつつ天使がくれるプレゼントとなると関心度も話が違ってくる。秋に2戸隣の田中さんが毎年その夏余ったそばを10束近く入れて渡してくれる紙袋にはなんのときめきもしないのに。とりあえず差し出された紙袋を受け取る。

「ありがとうございます。何入ってるんですか?」

天使は研究に行き詰った科学者のような悩んだ顔をしながら

「ホントはヤクルスの牙と迷ったんだけどこっちの方が美味しいかな~って」

焦らしてきやがる。何某の牙とやらにはなんの心もそそられないが天界ではメジャーなお土産だったのだろうか。しかし天界産の物の可能性が出てきて期待も自然に高まる。


そのあとも誰かに言い訳を続けている天使の独り言の言葉を聞き流しながら紙袋を開けると中に入っていたのは

「噓でしょ…」

あの有名な京都の名物お菓子だった。

「ヤクルト(?)の牙より美味しいだろうけど…」

呟いた私は前者を見たことも聞いたこともないわけだが。

仮にこの京菓子ほうが美味しかったとしてもだ。天界から来たであろう人から人間界の、しかも母国でめっちゃ有名なお土産もらうなんてことがあっていいのか。

「ヤクルトじゃなくてヤ・ク・ル・ス!体にピースしないから」

カルピスだろそれは。混ざってるじゃないか。てかヤクルスって何ですか。


こんなコントをしてる場合じゃない。何故に京都のお土産。というかどこで手に入れたのか、この天使の正体に比べればどうでもいいがそれでも疑問が尽きないっちゃ尽きない。私の表情に今の当惑とも落胆とも取れない感情が浮かび上がっていたのだろう。

「……嫌だった?」

そんな悲しそうな顔されると困る。

「嫌じゃないんですけど…」

友達からもらったら嬉しいだろうが天使からもらうとなるとそんなに嬉しいものでもない。もちろん嫌では無いが天使に八つ橋を渡されてすぐ感謝を伝えられる程の順応性も私には無い。あとで食べるけど。


「ごめんね…。日本で人気って聞いて買ってきたんだけど…。」

天使が申し訳なさそうな顔で謝罪してくる。違うんだそんな顔をさせたいわけじゃなかったんだ。最低だ私は。人(じゃなさそうだけど)から貰うものに勝手に期待して勝手に失望して挙句の果てに相手を黙らせるなんて。いやでもしかし天使から貰うお土産が天界からの産物だと思うことは道理ではないだろうか。道理とはいかないまでも情状酌量の余地はあるはずだ。天使がいるなら神もいるもいるはず。許してください神様。


今日で存在を信じ始めた神への弁明はこれぐらいにして、目の前の相手に取り繕わなければならない。

「全然嫌ってことはないんですけど!なんで京都のお土産なのかな~って疑問におもちゃったりしただけです!天使さんがいたところのものなんじゃないかっていう予想が外れただけです!!!」

鏡はないが自分のぎこちない笑顔が目に浮かぶ。女の子なんだから噓笑いぐらい練習しておけばよかった。


「だって人間にあげるなら人間が好きなものをあげたほうがいいじゃんって考えたのよ…犬が猫に物を渡すならジャーキーじゃなくて魚のほうが相手のこと思ってそうでしょう?」

ごもっともだ。まさか善意とおもいやり200%の正論を食らわせられるとは思ってなかった。天使というだけあって優しい生き物なのかもしれない。人間世界に染まって闇落ちしないためにも下界にあんまり来ないでほしい。

「とりあえずソウハちゃんに渡しておくね。一応家族の分まで買っておいたから分けて食べてね」


天使の気遣いが私の罪悪感を加速させる。明日来た時にはポテトチップスなるものを教えてあげよう。この人類史上最強に美味しいお菓子を教えてあげることが今私にできる最大の償いだ。

軽く湿度を保った風が金色の髪を靡かせている。

「ってなわけで帰ります!プレゼントのことはごめんね!もうちょっと人間のこと勉強してくるね!」

気づけば笑顔を取り戻していた天使が帰宅宣言を開口した。

「ちょ!まっ!...」

「バイバイ!」

急な別れの挨拶に対する私の停止要請を天使は受け付けない。白くて細い、健康的でいながら今にも折れそうな腕と手を振りながら屈託のなさそうな笑顔で私を見つめているのが見える。その時、天使の身体淡く光り、粒子のように溶けだし始めた。逆再生された砂時計のように空気に溶け込んで消えていくのを私は声も発せず見ていることしかできなかった。

「マジの天使じゃん…」

取り残された私の思考が認識したのは視界に映る紙袋の中の八つ橋が、明らかに誰かの食べかけであるということだけだった。


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