第18話 嵐の夜の略奪④

「カイル様はあなたの家に生まれただけです。カイル様のお母さんだってあなたのお父さんに好かれて家に連れてこられただけ。最低なのは、奥さんがいるのに他の女の人と子供を作ったお父さんなんじゃないですか?」

「煩い! 黙れガキ!」


 セナの言葉を聞いて激昂したアサドは、テーブルにあったカップをセナに向かって投げた。天井にいるセナには届かず、白いカップは壁に当たって甲高い音を響かせて割れる。


「飼い主に似てムカつくジンだな! おい、アンバー! さっさと金をよこせ。俺は帰る」

「はいはい、ただいま現金を準備させておりますから、もう少々お待ちを」


 セナとアサドのやり取りを見ていた商人は、鷹揚に頷いた。


「金があれば精霊に献上する宝石と豪華なドレスが買えるんだ。生まれたての精霊なんてそれを見せれば簡単に言うことを聞く。三日後の謁見まで時間がないんだから早くしろ」


 商人は「そうですね」と頷きながらまた浮かんでいるセナをじっと眺めた。


「口は少し悪いけどそれもいいね。調教のしがいがある」


 そう言ってねっとりした視線を向けられてぞっとした。

 雨に濡れるのを厭わずガラスを破って外に逃れようとも思ったが、ランプを所有されている限りセナは逃げられない。なんとかしてランプを取り戻さなければならない。

 どうしようと焦っていたら、商人の男が手に持っていたランプを観察し始めた。


「魔神はランプを擦ったら出てくるというのが昔からの言い伝えだが、私は昔、この目でジンを見たことがある。媒体を持つ者の言葉でランプに縛ることができるのだったな」


 セナの表情がはっと硬くなったのを見上げ、商人はにっこりと笑った。


「このランプのジン、ランプの中に入りなさい」


 嫌、と言う前に強い力でランプに引き寄せられた。部屋の天井からシュポンと音を立ててランプの中に戻される。


 どうしよう。


 ランプの使い方を知られてしまっている。


 暗闇の中で、焦って外に出ようともがいた。楽しそうに笑う商人の声がランプの外から聞こえてくる。


「これはいい。ランプに呼び戻せば逃げられなくて済むなんて、なんて便利な道具なんだ」


 なんとかランプから出ようと、身体の中の魔力を高めようとしたが上手くいかない。ランプにかけられた魔法が解ければ外に出られるのに、セナの炎の心臓はから回るだけで、ランプの中に張られた術を壊すことはできなかった。


「さあ出ておいで。私の可愛いジン」


 また引っ張られる感覚がして、今度は必死に抵抗した。呼び出されるのが嫌でランプの中に留まろうとしたが、抗いきれずに外に飛び出してしまう。

 目の前に商人の男が立っている。またすぐに飛び上がろうとしたが、その前に腕を掴まれた。


「離して!」


 ジンは飛べるが、その分軽い。腕を掴まれて引き倒されたら抵抗できなかった。

 長椅子に押し倒されて、商人がセナの上に乗り上げてくる。押さえ込まれて体重をかけられたら、もうセナの力では逃げ出せない。


「嫌! 離して!」


 大声で叫ぶと「よしよし、いい子だね」と商人が猫撫で声で囁きながらセナの頭や肩を撫でてきた。

 得体の知れない人間に無遠慮に身体を撫で回されて、身の毛がよだつ。


 気持ち悪い。


 身体がぶるぶる震えた。


「ああ震えて可哀想に。それになんて可愛いんだろう。怯えた顔も可愛いなんて、本当に君は素晴らしい」


 恍惚とした男がセナの顔を上から舐めるように見つめてくる。


「おい、ここで始める気か」

「ちょっとくらい味見してもいいでしょう。こんなに可愛いのですから。じっくり味わうのはあなたがお帰りになった後にしますよ」


 呆れたようなアサドの声に商人はセナから視線を逸らさずに答える。「勝手にしろ」と呟くアサドが欠伸をして、興味がなさそうに椅子の背もたれに頭を乗せた。


「君は前の主人にどこまで許していたのかな? 慣れているならそれはそれで都合がいいが、初めてならいっそう嬉しいな」


 そう言われて、男の手に胸を鷲掴まれた。


「ひっ」


 仰天して、自分に覆いかぶさってくる商人の顔を凝視した。目尻がたるみ皺の寄った顔が興奮で汗ばんでいる。ギラギラと光る黒い目が孕む熱の意味に、そこで唐突に気づいた。


(もしかして、この人、僕を……?)


 魔神の世界にも色事はあるし、何事にもオープンな気質のジンに囲まれていたセナは、恋人同士が愛を確かめる手段として肌を重ねるのも知識としては知っている。ジンには性差があまり関係ないし、人間の世界でもそういうことは起こりうるのだ、となんとなくわかっていたが、自分には一生縁のないことだと思っていた。

 それにジンとしての魅力が全くない自分に肉欲を抱く者が現れようなどとは、これまで思ったこともなかった。


「やめて、嫌!」


 そう叫んで両手を突っぱねる。

 具体的に何をされるのかはわからないが、そんなことをこの男とするのは絶対に嫌だった。

 暴れて腕を振り回すと、馬乗りになった商人に手首を掴まれた。長椅子の座面に腕を押しつけられて抵抗を封じられる。


「元気がいいのは可愛いけど、暴力はダメだよ。後でお仕置きだね」


 楽しげにそう言われてセナは完全に身動きができなくなった。今までこんなふうに身体の動きを封じられた経験がない。飛べないし、逃げられない。


 怖い。


 波のような恐怖が押し寄せてきた。ぶるぶる震えながら目を見開くと、商人はにやけた顔で「口を吸われるのは初めて?」と聞きながらセナに顔を近づけてくる。


「嫌!!」


 キスくらいは知っている。ジン同士がしているのも見たことがある。でもセナはしたことがないし、知らない人間に無理矢理されるなんて恐ろしかった。


「カイル様!」


 自分でも思わないうちに悲痛な声が漏れた。


 叫んでから、その通りだと思った。


(カイル様とじゃなきゃいや!)


「カイル様! カイル様!」


 必死で名前を呼ぶセナを見下ろして、商人はいたいけな生き物をいたぶるような顔をした。


「ああ可愛い。前の主人はそんなに具合がよかったのかい? 大丈夫だよ、私もこういうことは上手いからね」

「嫌!! カイル様!」


 顔を近づけてくる男から懸命に首を振って逃れようとした。震えてすくんでいる身体を押さえ込まれて、抱きつくくらいの近さで密着される。


「ひっ」


 細い悲鳴が漏れて、目の前に透明な水の膜が張った。

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