第15話 嵐の夜の略奪①
第四章 嵐の夜の略奪
ラクサについたとき、目の前に高くそびえる城壁を目の前にして呆気に取られた。立派な石造りの城壁の端は遠すぎて全体を見渡せない。ラクサというのは想像以上に大きな街だった。
「すごいですね」
「イサドの首都だからね。きっと中に入ったらもっと驚くよ」
地面に下りて隣を歩くセナを見下ろして、カイルが悪戯っぽい顔をしながら城壁に向かう。
「わあ」
カイルの言った通り、街の中に足を踏み入れた瞬間思わず感嘆の声が漏れた。
城壁の近くは下町だろうが、それでも最初にカイルと出会った街よりもずっと大きい。家も商店も頑丈そうで、輝くような真珠色に塗られた建物が並び、色とりどりの布が日除けのために軒先にかけられている。
町の奥には空高くそびえる細い尖塔や、色鮮やかに塗られた丸屋根も見えた。その先のずっと奥に見えるのが州城なのか、遠目にも丘の上に高くそびえる城壁が目に入る。
「カイル様、あれが州城ですか」
「うん、そうだよ。ここからだと少し遠いけど、一日もあれば着きそうだね」
カイルも感心したように遠くに見える城壁を眺めていた。それから彼はちょうど通りかかった果物の露店の店主に何か話しかけ、桃を三つ買った。
「セナ、これ荷物に入れておいて。宿を見つけたら食べよう」
「はい!」
桃のいい香りがしてセナは破顔した。乾燥していない、みずみずしい果物は本当に久しぶりだ。焼いたチーズやハムも美味しかったが、やはり果物の甘さは忘れられない。ほくほくしながら自分の背嚢に桃をしまうと、カイルが頭を撫でてくれた。
「セナ、ここまで本当にありがとう。お店の人に聞いたら、精霊への謁見の儀式は三日後だって。間に合ったんだよ、俺達」
「本当ですか!」
セナは顔を上げて目を見開いた。
目を細めてセナを見下ろしているカイルの顔を見つめて、セナは込み上げる喜びと戸惑いを一度に感じた。
間に合ったんだ。よかった。
そう思う気持ちがあるのは確かなのに、それと同じくらいもうすぐお別れだと思うと胸が苦しくなる。セナがぱちぱちと瞬きして黙ると、カイルは僅かに首を傾げてから優しく微笑んだ。
「今日はゆっくり休もう。セナのおかげで無事にラクサまでたどり着いたんだ。やっぱりセナは俺の幸運だったね」
「そんなことは……」
ここまで歩いて来たのはカイルだし、自分は一緒について来るだけでほとんど何の役にも立たなかった。セナがちゃんとしたジンだったらもっと早くラクサに来られただろう。それを思うと手放しで喜べない。
戸惑った顔をしていると、カイルが笑って手を引いてくれた。
「行こう。セナと一緒にラクサの観光ができるなんて、俺は本当についてるな」
カイルと並んで歩き、大通りを進むと少し経って混み合っていた人混みは少し落ち着いてきた。すれ違う人の中に空を見上げる人がいるから、もしかしたらじきに雨が降るのかもしれない。
「夜には雨になりそうだな。早めに今日の宿を見つけよう」
空を見たカイルが少し眉を寄せてそう言ったとき、不意に目の前に十数人の集団が現れてセナ達の前に立ち塞がった。
「カイル!」
大声でカイルの名前を呼んだのは、一番前に立っていた小太りの男だった。艶のある上等そうな紫色の服を着た、黒い髪と茶色の目をした男性が、カイルを見て大袈裟に驚いていた。後ろにいる男達は使用人なのか、主人よりも粗末だが質のよさそうなシャツを着て、身体も大きく皆兵士のように鋭い目をしている。
「カイル! カイルじゃないか! なんだ。どうやってここまで来た? まさかシエナから歩いて来たのか?」
「……アサド兄さん、お元気そうですね」
わざとらしい大声を出す青年に、カイルはいつも通り柔和だが僅かに剣のある声で答えた。
「ああ。元気だとも。馬車の旅は少し不便だったが、それもいい思い出だよ。道中荷物が増えた分、シエナでは馬を買い足すこともできたからな。さて、おかしいな。お前は乗る場所がなかったからシエナの街に置いてきたはずなのに、俺を追いかけてきたのか?」
「……精霊に謁見しろというのが、父上の望みでしたから」
心なしか嫌そうな顔でアサドと呼んだ男性に返事をするカイルを、驚いて見つめた。
カイルはこの人のことを兄と呼んだ。
髪も目の色も違うが、本当に兄なのだろうか。話の流れから察すると、どうやらセナがカイルに初めて会ったシエナの街で、この人はカイルを置き去りにしたらしい。彼が一人で旅をしていたのは、それが理由だったのだ。
ピリついた空気を感じて怯むと、カイルはアサドという男性から視線を逸らさず、セナの腕を引いて自分の後ろに隠した。
「父上は別にお前に謁見に参加してほしいわけではないだろうよ。ただの体裁だ。俺が精霊に謁見できればそれでいいんだ。お前のためを思って砂漠の真ん中ではなくシエナの街に捨て置いたというのに、しぶとくついて来るなんて、お前は昔から根性だけは逞しいなぁ」
大袈裟にため息を吐いたアサドの言葉を聞いて、後ろに控えている護衛達が笑った。
それを見て嫌な気分になり、眉を潜めて顰め面になる。
「兄さんを追って来たわけじゃありませんよ。俺はのんびり砂漠を旅して来ただけです」
肩をすくめて嫌味を受け流したカイルに、苛立ちを顔に浮かべたアサドがふん、と鼻を鳴らす。
「やはり妾の腹から出てきた奴はしつこさが違うな。まさかお前、自分が精霊に選ばれるとでも思っているのか? 図々しい。卑しい性質は母親からしっかり遺伝しているらしい」
吐き捨てるような口調で言われた言葉に、カイルが拳を握った。言い返すことなく黙って手を握る彼の手の甲が筋張っている。それを見て、セナは憤ろしい気持ちになった。
どう考えてもおかしい。
妾というのが何かわからないが、カイルが侮辱されているということはわかる。
何も答えないカイルを見て嘲笑うアサドとその護衛達を見ていたら、もう我慢ができなかった。
「カイル様にひどいこと言わないでください」
初対面の人間は怖いということも忘れて、セナはカイルの後ろから一歩前に出て、文句を言った。
「セナ」
カイルが焦った声を出したが、彼が嗜める前にアサドの方が興味深そうな顔でセナを観察してくる。
「なんだ、カイル。お前召使いでも買ったのか。そんな金は渡していなかったはずだがな。まぁ、お前のことだから金など身体を使っていくらでも稼げるか」
またいやらしく笑ったアサドに、カイルは眉間に皺を寄せて鋭い眼差しを向けた。
「睨むなよ。お前の母親の得意技だろう。お前も芸達者でなによりだ。そんな貧弱で役に立たなそうな召使いでも夜の世話くらいはさせているのか」
アサドがそう言った瞬間、カイルの顔からす、と表情が消えた。
いつも柔和な彼が黙って表情を消すと、それだけで息を呑むような気迫を感じる。翡翠色の瞳が氷のように冷たく尖り、鋭い眼光がアサドを射抜いた。
初めて見る彼の冷酷な表情だった。
睨まれたアサドはたじろいで黙る。
カイルは唇の端だけ僅かに上げると、冷めきった視線を目の前の男に向けた。
「兄さん、いつも言っているでしょう。俺のことが気に入らないなら放っておけばいい。俺もあなたのことなど何とも思っていないのだから」
何の感情も篭もっていない淡々とした声がカイルの口から発せられる。
「これ以上俺の母や彼を侮辱するなら、俺はいつものように聞き流しませんよ。ここはヨラカンじゃない。そこにいる護衛はちゃんと強いですか? 見覚えのある顔も数人いますけど、記憶ではみんな俺より弱かったよな。主人が弱いんだから、護衛はちゃんとした者を雇わないと駄目じゃないですか」
嘲笑のようなトーンになったカイルのセリフを聞いて、アサドは額に縦筋を浮かべた。護衛達も今にも襲いかかってきそうな目つきだったが、アサドの舌打ちと「もういい」と吐き捨てられた言葉によって、張り詰めていた空気が僅かに緩む。
「こっちは精霊に献上する宝石や装飾具をあつらえるのに忙しいんだ。お前を構っている暇はない。どうせお前には精霊に贈る品物など用意できまい。場違いな装いで周りの貴公子達と比べられ、せいぜい笑われるといい」
ふん、と嘲笑ったアサドはそのまま足を踏み出した。セナ達の方にずんずん歩いてきて、セナはカイルに腕を引かれてアサドを避けた。すれ違い様にセナを見下ろしたアサドは小馬鹿にしたような顔で笑い、カイルに背を向けて歩き去っていく。
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