第14話 砂漠の旅路⑤
◆◆◆
その日もマルゴはセナの肩に乗りながら『セナ、次の飯はなんだ』と尋ねてきた。
このトカゲは、思ったよりも人間界の食べ物に慣れている。鍛冶場の主人から食べ残しや肉のかけらなどを暖炉に投げ込んでもらい食べていたらしい。
「カイル様、マルゴさんが次のご飯は何かって聞いています」
歩いているカイルの傍で浮かびながらそう言うと、彼はそれを聞いて噴き出した。
「もう? さっき食べたばっかりだけど。マルゴはお爺さんだって聞いてたのに食いしん坊だなぁ」
『なに、失敬な。概して精霊というのは人間の飯が好きなものなのだ』
「そうなんですね、僕も好きです」
人間界の精霊は人の食べ物を好んでいるらしい。確かにとても美味しいから、セナは納得して頷いた。するとサラマンダーは胡乱な目つきで肩の上からセナを見上げてくる。
『お主はそんなに食べていいのか? ジンのくせに……』
「じゃあ昼飯は何がいいかな」
『ハムだ』
マルゴが何か言いかけたが、カイルの言葉を聞いたらすぐさま首を横に向けて反応した。セナも頷いてカイルに期待の眼差しを送る。
「ハムがいいそうです。僕もハムとチーズ、食べたいです」
商人からもらった食糧の中には、携帯食と水の他には干したハムと、チーズという食べ物が入っていた。そのままでも美味しいが、硬い携帯食のパンに少しだけ水をかけてふやかしてからハムとチーズを乗せて焼いたら、嘘みたいに美味しかった。
輝くセナの顔を見て、カイルは小さく笑うと翡翠色の瞳を細めた。
「いいよ。セナもマルゴもハムとチーズが気に入ったみたいでよかったよ。あの商人も少しはいいことをしてくれた」
「チーズのパン、美味しいです」
「ハムもチーズももっと種類がたくさんあるから、ラクサに着いたら色々試してみよう」
そう言ったとき、頭の上にぽつんと水が落ちてきた。
はっとして上を向くといつの間にか灰色の雲の下に入っていて、雨が降り始めた。
「セナ、戻れ」
カイルがすぐにランプを取り出してセナをしまう。シュポンとランプの中に入ったセナは、ほっと一安心した。外からは早くもざあざあと雨が降る音が聞こえてくる。
「マルゴも荷物の下に入って」
カイルの声が聞こえて、ドサっと背嚢を地面に置く音がした。マルゴがごそごそと荷物の奥に潜り込んでいく音が聞こえる。
「俺にとっては涼しくてよくても、セナ達にとっては天敵なんだもんなぁ。雨が降るとセナと話せないのは少し寂しいね」
申し訳ないと思いながら、セナは雨の音を聞いてランプの中で身を縮めていた。
雨は嫌いである。嫌いというより、怖い。
本能的に身体がすくんでしまう。乾燥した砂漠は好きだけど、海にはとても入れる気がしない。今にして思えば、人間界に落とされたときは周りが海だったせいもあって、セナはランプの中で深く眠っていたのだろう。
サラマンダーのマルゴも火の精霊だから当然水は苦手だ。数日前に初めて雨が降ったとき、初めての雨に最初セナは感動した。空から水が落ちてくるなんて、なんて綺麗なんだろうと思っていたのに、そのうち力が抜けて地面にへたり込んでしまった。
カイルは驚いて、身体を震わせているセナに何かあったのかと狼狽えていたが、さっさとセナの服の中に避難していたマルゴに指摘されてセナも気がついた。考えれば当然だが、火のジンは、雨にはめっぽう弱かった。魔法が使えれば自分が濡れないように炎で身を守るのだろうが、セナには無理だからランプの中に避難するしかない。
カイルは「大雨が来る前に知っておいてよかったよ」と言ってくれたが、雨のときはお喋りができなくなってしまうのはセナも寂しかった。
雨が過ぎて、セナがランプの外に出るともう夜だった。カイルは大きな岩場の陰に座って雨を凌いでいて、屋根のように迫り出した岩の下の乾いた地面の上で焚き火をしていた。
『おお~いいのぉ』
背嚢から出てきたマルゴがあっという間に火の中に突進していき、気持ちよさそうに焚き火の中で丸くなった。セナもカイルの隣に座ってできるだけ焚き火に近寄り身を縮める。近づきすぎるとまた服が燃えてしまうと気づいて、セナは迷わず上の服を脱いだ。
「ちょっとセナ……」
「これ、濡れないように持っててください」
カイルが面食らったような声を出したが、セナは慌てていたので服が焦げないうちにそれをカイルに手渡した。それからサンダルも脱いでマルゴがいる火の中に足を突っ込んだ。
「はあ……気持ちいい……」
『いいのお……』
「もう、服まで脱いじゃって。なんか二人のところだけお風呂の中みたいに見えるなぁ。セナが可愛いからいいけど……」
セナの服を受け取ったカイルの苦笑する声が聞こえたが、身体が暖かくなってほわほわしていたので彼が呟く言葉を聞き流した。
「なんか薄暗い中だと余計に目のやり場に困る」
カイルは小さく呟いて、焚き火ではなく岩の外の夜空に視線を向けていた。
足があったまってしばらくマルゴと呆けていたが、そのうちカイルの方に顔を向けた。焚き火の近くをセナ達に譲って、彼は毛布を膝にかけて岩場にもたれながら空を見ている。つられてセナも夜空を見上げると、暗い空には星がいっぱいに瞬いていた。あれが星というものなのだということは初日にカイルに教わった。何度目にしても小さな宝石がきらきらと輝くような夜空の光景に、セナは感動する。
「雨上がりだからでしょうか。いつもよりも星が綺麗に見える気がします」
「うん、空気の中の埃や塵が雨で下に落ちるからね。雨の後は特に綺麗さが際立つのかも」
セナの声に、カイルが夜空を見上げたまま頷いて説明してくれた。
「そうなんですか。すごいですね、星があんなにたくさん」
「俺もセナに言われるまでは星空なんてそんなに気にしたこともなかったよ。でも、綺麗だな。こんなふうに夜の砂漠で星空を見上げるなんて、数週間前には思いもしなかった」
ふ、と微笑んで星を見つめるカイルの横顔を眺めていると、なんだか胸の奥を掴まれたような気持ちになった。
彼の表情は穏やかで、少し緩んだ形のいい口元に目が惹きつけられる。夜の暗がりで見る横顔はいつにも増して綺麗に見え、焚き火に照らされた翡翠色の瞳は夜空の星のように輝いていた。
見惚れてしまい、カイルが急にこちらを向いたのでどきりとした。セナがじっと見つめていたことに気づいたカイルは瞬きして、それから柔らかく微笑む。
「さ、夜ご飯にしよう。さっき言ってたハムとチーズでいいの?」
『よいぞ!』
「あ、はい! 僕も……あ、僕はパンに乗せて焼きたいです!」
カイルの声に火の中にいたマルゴが叫んで飛び上がった。パチっと炎が弾けて頭上に迫り出した岩の下にぶつかり、火花が跳ねる。マルゴに負けじと急いで返事をしたら、セナ達の勢いにカイルは噴き出して声を上げて笑った。
◆◆◆
『ところでお主達は、ラクサには何の用事で向かっておるのだ』
一緒に旅を始めてずいぶん経ってから、マルゴがそういえばという調子でセナ達の旅の目的を聞いてきた。カイルから少し離れて轍の先を偵察に来ていたときだったので、肩の上に乗ったサラマンダーにカイルの事情を簡単に説明する。
『ほお。ラクサの精霊殿か。確かにそろそろ代替わりの頃かの』
人間界に長く住んでいるからか、マルゴはラクサの精霊についても知っているらしい。逆にセナはこれから向かっている場所についてよく知らない。カイルとは人間界のことや食べ物の話をたくさんしたが、旅が終わったら彼とはお別れになってしまうと思うと寂しくて、今まであえて詳しく知ろうとしていなかった。
「あの、ラクサの精霊様ってどんな方なんでしょう。生まれたばかりって聞いたので、子供のような方ですか? それともマルゴさんのように動物に近い方なんでしょうか……」
『そうじゃな、ラクサを守護しておるのは水の上位精霊じゃ。女神のような美しい人の形をしておる。生まれたばかりということは、まだお若いかもしれないが、生まれたときにはセナと同じくらいの外見じゃろう』
マルゴの話を聞いて、頭の中にカイルを夜のお茶を誘っていたあの綺麗な女性を思い浮かべた。
女神様みたいに美しいということは、きっとあの人よりももっと綺麗で神聖な姿をしているのだろう。
そう思って、少しもやっとした。どう頑張ってもセナは女神みたいに美しい見た目にはなれない。あのときカイルはあの女性と笑顔で話していたし、お茶に誘われたときも嫌そうな顔はしていなかった。
もしかしたら彼はセナを傍に置いておくよりも、その水の精霊と契約した方が嬉しいかもしれない。そう思ったらなんだか胸に棘が刺さったようにちくちくした。
「カイル様ならきっと精霊様に選ばれて、立派な州伯になれるだろうな……」
初めに聞いたカイルの願いはラクサで精霊に対面することだった。きっと彼は州伯になりたいんだろう。カイルが選ばれることはセナにとっても誇らしくて喜ばしいことなのに、何故かそれを心から嬉しいと思えなかった。
彼の願いが叶ったら、ランプの魔法は解けて魔神の世界に戻ることになる。
カイルと別れるのは寂しい。ジンの世界にはセナを褒めてくれる魔神も、優しく頭を撫でてくれるような友人もいない。きっと自分は、すぐに寂しくなるだろう。
先のことを考えたら、なんとなく目の前が潤んだような気がした。ジンは涙なんて流さないのに鼻の奥がつんとする感覚がする。首を傾げたセナの顔を見て、マルゴが肩の上から呆れたような声を出した。
『食い過ぎじゃな。セナ、気をつけろ』
さっきご飯を食べ過ぎて苦しくなったと思われたらしい。セナは苦笑した。確かに最近少し食べ過ぎかもしれない。つまりこの胸の苦しさは、そのせいなんだろう。
「そうですね」
『ほどほどに、ということじゃな。儂には人間の秩序のことはよくわからぬが、あの若造は精霊殿への謁見に招かれるくらいなのだから、そこそこの生まれだったのだな』
「はい、多分そうだと思います」
サラマンダーの言葉に頷きながら、前方に異常がないことを確認して空の上を大きく旋回した。カイルの元に戻るために引き返しながら、このままいつまでも旅が終わらなければいいのに、という身勝手な思いが頭の片隅をちらりとよぎった。
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