第12話 砂漠の旅路③
カイルはすぐには答えずに一歩前に出て、セナを後ろに隠してから頷いた。
「ええ。彼は俺のジンです」
「そうかそうか。いや、ジンなんて久しぶりに見たな。それもこんなに小さなジンなんて」
そう言いながら商人の男性は興奮した様子で立ち上がり、セナの方に近づいてきた。
「そうか。ジンならば二人でも砂漠を越えられるな。納得したよ。きっとこんな子供でも不思議な術を使うんだろうね」
鼻息荒く近づいてくる商人を見てびくっと震えたら、カイルが商人の前に立ち塞がった。
「すいません。彼は怖がりなんです」
「ああ、そうか。すまない、そうだろうな。この小ささでは」
口調は柔らかいがそれ以上近づくな、というカイルのぴりっとした声に、商人は近くまで来て立ち止まった。しかしカイルの警戒した声を聞いても、気にした素振りもなくしきりに頷いている。
「なんと珍しい。ジンなのにこんなに小さく、しかもこんなに可愛いなんて。いや、こんなに可愛いのにジンだなんて。ああ……素晴らしい。なんて羨ましい。お兄さん、いくらでも払う。そのジンをぜひ私に譲ってくれないか」
妙に恍惚とした顔でセナを見てくる商人の熱を帯びた目が怖くて身を縮めていたが、突然譲ってくれと言い出した声に仰天してカイルの背中にしがみついた。
「無理です」
きっぱりと即答したカイルに安心してほっと息を吐く。カイルの後ろを覗き込んだ商人の男性はまだギラついた目でセナを見つめていた。
「そこをなんとか、どうだね。お兄さんがどこに向かうか知らないが、一緒にラクサまで行って、そこで一生遊べるような大金を用意しよう。このジンなら買い手は山のように現れる。厳つい大男ではない小さな可愛いジンなんて、本当に珍しい。愛玩するにはもってこいだろう。精霊も可愛いものはいるが、あれらは形が人間とは違うからな。可愛がるには色々と不都合がある。そこへきてジンならば、身体は人間そっくりだろう。なんて素晴らしい。お兄さん、お願いだから私に譲ってくれ」
捲し立てるように懇願する商人の勢いに面食らいながら、居心地の悪い気分になった。愛玩されるとはどういう意味なのだろう。人が飼う犬や猫のようにペットとして飼われるということなんだろうか。
なんだか怖い。
普通のジンならば立派な体躯だし、人には扱えない魔法も使えるから例え人間に仕えても自分の意思で逃げたり拒絶したりできるだろう。でもセナは魔法が使えないし、腕力もない。もしランプを取られてしまったら自力で逃げ出せないかもしれない。鳥籠のような檻に入れられてしまえば、自分にはなす術がない。
そう想像したら震えるような恐怖が身体の奥から湧き上がってきて、カイルの背中に顔を伏せてぎゅっとしがみついた。
セナの怯えが伝わったのか、カイルの身体にぐっと力が入る。
「お断りします」
怒りの篭もった低い声だった。
思わずセナは顔を上げてカイルの後頭部を見上げた。
「この子は俺のジンです。誰にも渡したりしない。金で売り買いできるなんて思わないでください」
明らかな憤りが表れた低い声が発せられると、その場の空気はピンと張り詰めた。激昂することはなく静かな口調だったが、聞く者にはそれが怒りだとはっきり伝わる声音だった。
息を飲んだ商人の横から、大柄なリトが割り込んでくる。
「ほら、彼もこう言っていますから。アンバー様ももういいじゃないですか。早くラクサに向かわないと、貴族への商談が間に合いませんよ。今ラクサでは精霊様に献上するために、皆こぞって宝石を買い集めているんでしょう」
わざと明るい調子を出したリトの声で、商人ははっと我に返ると「ああ、そうだな」と呟いた。彼はセナの方を惜しむような目で見てから、カイルに軽く頭を下げる。
「無理を言ってすまなかったね。珍しいものを見つけてつい興奮してしまった。お兄さん、その気になったらいつでも声をかけてほしい。私はアンバーという。ラクサにも小さな商会を持っているからね」
「……」
黙ったまま答えないカイルに商人は少し眉を寄せたが、何か思い出したような顔でリトを見上げた。
「彼に食糧をお渡ししなさい。お代はいらないから。ああ、それともラクサまで一緒に乗って行くかい? その方がお兄さんも楽だろう」
リトを馬車の方へ走らせてから、商人はいいことを思いついたという顔でセナ達に提案した。カイルはそれを聞いてすぐに首を横に振る。
「いえ、俺達はゆっくり歩いていきます。急ぎませんから。食糧の代金も払わせていただきます」
そう言ったカイルを見上げた。
馬車に乗って行った方が、絶対に楽だろう。それにラクサまで安全に早く行ける。商人の男性は怖いが、すぐに断ってしまっていいのだろうか。
そう思って顔を出してカイルを見上げると、彼は油断なく商人を見すえながらセナの手を握りしめ、セナを背中に押しやってもう一度後ろに隠した。
「そうか。一緒に行けたらそれだけでも楽しいと思ったのだが、怖がられているようだし、仕方がないな。本当に、あまりに可愛いから傍で見ているだけでもいいのだが」
商人は残念そうに呟きながらまた首を伸ばしてセナの顔を見てくる。ちらりと目が合ったその瞳にはやはり奇妙な熱が浮かんでいるように見えた。得体の知れない恐怖を覚え、またカイルの背中に顔を埋める。
「ああ、隠れてしまったね。本当に怖がりなんだな。それもまたなんとも可愛いらしい。ああ、別れるのが惜しいな」
「ほら、アンバー様もう行きますよ。皆準備ができましたから」
馬車の方から食糧を取ってきたリトが商人を促す声が聞こえた。
何度もため息を吐きながら商人が去っていく足音を聞いて、その音が小さくなった後でようやく顔を上げた。
カイルの背中からそうっと顔を出すと、リトがため息を吐きながらカイルに食糧の入った袋を手渡していた。
「全く困ったもんだ。煩わせてすまなかったな。休憩に誘ってしまってむしろ悪かった」
「いえ、あの人の気を逸らしてくれて助かりました。ありがとうございます」
「いいんだ。こちらこそ助けてくれてありがとう。いやぁ、よく知らない商会に雇われるもんじゃないな。人数が足りないと言ってもこれ以上人は雇わないと強行させるケチのくせに、何が一生遊んで暮らせる金なんだか。君達は一緒に行かなくて正解だよ」
肩をすくめて愚痴をこぼしたリトに、カイルは苦笑して頷いた。
「ラクサで待ち伏せされないことを祈ります。本当にあなた達がいてくれてよかった。この子を渡せと無理強いされていたら困ったことになっていたかもしれません」
彼がそう言うと、リトは真面目な顔でカイルに囁いた。
「あのおっさん、ちょっと危ないからラクサでも気をつけろ。馬車に積んでる商品も、出どころが怪しい宝飾品ばかりだ。俺たちも金に困っていたから即金で雇われただけで、ラクサに着いたら早々に退散して次の依頼を探すつもりでいる」
「その方がいいでしょうね。お気をつけて」
「ああ、君達もな」
カイルが食糧の代金を手渡すとリトは少し渋った。
「タダではもらえません。後から何か言われるのは嫌です」
と、カイルがきっぱり言ったので、リトは納得してお金を受け取った。
カイルの背中からそっと様子をうかがっているセナを見て、リトは眉尻を下げて軽く手を振った。
「君も怖がらせてごめんな。俺達はもう行くから、旅を楽しんで」
「……ありがとうございます」
リトは厳つい顔つきをしているが、セナを見下ろした顔は目元に皺が寄って優しそうに見えた。少し安心して小さな声でそう言うと、彼は驚いたように瞬きして、それからにっこりと笑った。
リトが走って馬車の方に去っていくのを見送ってから、ようやく溜め込んでいた息を吐いて身体の緊張を解いた。
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