第7話 取り残された火蜥蜴③

『また来たのか? 性懲りも無く……』


 バチバチと火花が勢いよく舞い上がったのを見て、慌てて声を上げた。


「あの! ちょっと待って!」


 そう叫んで思い切ってすうっと飛び、暖炉に近づく。

 飛んできたセナに仰天したのか、その影は一瞬赤くなって燃えた。しかしすぐにその炎は萎んで見えなくなる。

 暖炉の中を覗いてみると、そこにいたのは一抱えほどの黒いトカゲだった。結構大きい。サラマンダーとしても大型に分類されるだろう立派な体躯の火トカゲだった。

 そのトカゲはセナの顔を見上げ、目蓋を閉じて瞬きするとオレンジ色の目の中にある縦長の黒い瞳孔を大きく開いた。


『何かと思えば、ジンの小僧か。これまた珍しく小さいな。何をしに来た』

「あ、はい。あの、ジンです」


 胡乱に話しかけられて少し吃った。

 魔神の世界にも精霊はいるが、人間界にいる精霊と話すのはこれが初めてだ。魔神の世界では精霊達からも遠巻きにされていたので、小さいと指摘されて緊張した。


「あなたはここに住んでいるサラマンダーさんで間違いないですか?」

『いかにも、儂はこの鍛冶場の炉を守る精霊だ』

「あの、最近、火事を起こしたり通りかかった馬車を燃やしたりしていませんか? 周りに住む人達が困っているみたいなんです」


 事情を聞こうと尋ねてみると、サラマンダーはオレンジ色の目に怒りを浮かべ、背中の黒い細鱗を波立たせた。


『人間が儂から魔結石を盗んだのだ。あやつが儂のために暖炉にくべていた石を盗んだ不届き者を探すために、怪しい者を見つけたら火を吐いていただけだ』

「魔結石? ここにあったんですか?」

『そうだ。ここに住んでいた男が儂のために用意した石だ。あやつは何処にいる。ここ最近暖炉に薪をくべていない。炉の火種も消えてしまった。このままでは儂はここに留まれない。出て行かざるを得なくなるというのに、奴は何をしている』


 そう説明しながら、サラマンダーの声はだんだん元気がなくなってきた。

 トカゲの身体は黒くしっとりしてしまって熱気がない。暖炉の中には残り僅かな炭と燃えかすのような薪しかなく、サラマンダーが宿るには心もとないように見えた。先ほどは怒りの勢いで激しい炎を噴き出していたが、もうしがみつく炭も少ないのか、不安そうな声でセナに聞いてくる。

 サラマンダーの話を聞いて、どうしようと思った。


(お爺さんが亡くなったことを知らないんだ。)


 この鍛冶場を守っていた老人が盗賊に襲われて亡くなったことを、このサラマンダーはどうやら知らないらしい。老人が暖炉の中に薪を入れてくれないことに戸惑っている。


『儂の魔結石が盗まれたのに、あやつは何故来ない。儂が作業場の炉で寝ている間に誰かがこの暖炉から盗みよったのだ。早くやつを連れてきて、取り戻すように言え』


 セナを見上げてくる縦長の大きな眼を見つめて、躊躇いながらも口を開いた。


「あの……サラマンダーさん。実は、ここの鍛冶場にいたお爺さんは、亡くなったそうなんです」


 サラマンダーは瞬きした。


『…………なに?』


 じっとセナを見つめるオレンジの眼に驚きが浮かぶ。全身の黒い鱗が波立って震えた。


『死んだ……? あやつが?』


 丸く膨らんだ黒い瞳を見下ろして、セナは眉尻を下げた。


「はい。数日前にこの近くで盗賊に襲われて亡くなったらしくて……」

『……』


 サラマンダーはしばらく無言になった。

 セナをじっと見上げたトカゲは不意に頭を上げ、焦げて真っ黒になった部屋の中を見回した。そこで初めて部屋の中の惨状に気づいたという顔をして、暖炉の中の灰と小さな炭を見回す。長い尾がぶらりと灰を掻いて所在無げに揺れた。


『どうりでこの部屋に戻ってこないと思った。……また壁を焼いたなと怒るだろうと思っていたのに……そうか、やつは……死んだか』


 そう呟くように言ったサラマンダーは黒い鱗をしおしおと縮めて俯いた。

 何と声をかければいいのかわからず、言葉を失ってしまった。こういうとき、どうやって慰めればいいのかセナにはわからない。人間は寿命があるし、病気や怪我で死んでしまうこともあると知識では知っている。ジンも怪我や事故で死んでしまうことはあるが、今までセナの周りで知り合いが死んでしまうような事件は起きなかった。

 きっと悲しいのだろうと思うけれど、どうやってその気持ちに寄り添ったらいいのかわからない。

 ただ黙って見守っていることしかできず、サラマンダーが暖炉の中で肩を落としているのを心配して見つめていると、トカゲの身体はますます黒くなり、どんどん縮んでいった。


「大丈夫?」


 思わずそう声をかけると、サラマンダーは沈んだ様子で目蓋を閉じた。


『しばらく熱い炎に焼かれていない。そろそろ儂の力も限界のようだ。あやつももう戻って来ないのならば、儂ももう眠るか……』


 火種がほとんどない中、度々業火を吐き出していたせいで精霊の力が弱まっているらしい。もしかしてこのまま消滅するつもりなんだろうか。

 心配になって、トカゲの前に人差し指を差し出した。


「あの、僕は魔法が使えなくて上手く力を分けられるかわからないですけど、少しなら魔力を流せるかもしれません」


 サラマンダーは頭を持ち上げてセナを見た。


「人間には優しい人がきっとたくさんいます。僕が初めて出会った方もとてもいい人ですよ。あの、だから、サラマンダーさんもきっとまた安心して住める場所を見つけられると思います」


 そう言うと、火トカゲは黒い瞳をゆらゆらと揺らした。


『…………そうだろうか』


 火の精霊は呟きながらそっと伸び上がって、セナの指に自分の頭をつけた。

 パチッと小さな火花が爆ぜて、セナの中からすっと何かが抜け出ていった感覚があった。自分の中には魔力がほとんどないと思っていたが、そうでもなかったらしい。サラマンダーの身体は一瞬カッと明るく燃え上がった。黒かったトカゲの細鱗は頭の先から赤く染まり、尾の端までみるみるうちに鮮やかな緋色に変わる。


『……ほお。お主なかなか良い心臓を持っているではないか』

「そうですか? でも僕、身体も小さいし魔法も使えなくて出来損ないのジンなんです」


 それを聞いてぱちりと瞬きしたトカゲは軽く首を傾げた。


『見たところ、お主はおそらく』


 サラマンダーの言葉の途中で、セナは急にぐんと身体を後ろに引かれるような感覚を覚えた。


「え? あれ?」


 もしかして、ランプに呼ばれている?

 突然セナがぐらりと後ろに揺れたのを見たサラマンダーはオレンジ色の目を丸くしたが、彼に何か言う前にセナの身体はサラマンダーよりもぎゅっと小さく丸まって、あっという間にもと来た方へ飛んでいった。

 勢いよく建物の外に飛び出して、陽の光を感じる前にシュポンとランプの中に収まる。


「セナ、出てきて!」


 すぐに呼び出されて驚く間もなくランプを持ったカイルの前に現れた。

 彼と目が合った途端、厳しい表情になったカイルに腕を引き寄せられた。


「何があった? 中に誰かいたのか? 怪我は?」

「え……? 大丈夫です」


 矢継ぎ早に問いかけてくるカイルをきょとんと見上げ、カイルの険しい視線を追って自分の身体を見下ろした。


「え? わぁ!」


 そのとき初めて自分の服が燃えてなくなっていることに気がついた。もともと履いていたズボンは元のままだが、カイルにもらった白いシャツは燃えて跡形もなく消えている。サンダルも皮が真っ黒に焦げて煤けていた。


「なくなってる! どうしよう!」


 セナは愕然として叫び、自分の身体をもう一度見回した。身体自体は何ともないが、何度見ても着ていた白いシャツは燃えかすすら残っていない。あれだけの火炎を浴びたから当然といえば当然かもしれないが、それでも最初にそこに思い至らなかった自分は愚かだった。

 さっき少し焦げてしまったから気をつけようと思っていたのに、なんで服を脱いで中に入らなかったんだろう。脱いでから建物に入るべきだったんだ。


「ごめんなさいカイル様! カイル様の服を燃やしてしまいました」


 勢いよく頭を下げて謝った。情けなくて涙が出そうだった。ジンは泣かないけど、涙が出るなら多分泣いていた。

 初めてもらった服を燃やしてしまった。さっき買ってもらったばかりのサンダルも焦げてしまった。あんなに嬉しかったのに、注意して大事にすることができなかった。

 悲しくて、情けなくて、唇をぎゅっと噛み締めた。


「ごめんなさい。サンダルも、さっき買っていただいたのに僕……」


 頭を下げたまま震える声で謝罪すると、目の前に立っていたカイルがセナの背中に腕を回してきた。そのままぎゅっと強く抱きしめられて、目を見開く。

 誰かに抱きしめられるなんて初めてだった。剥き出しの上半身にカイルの体温が伝わってきて暖かい。広い胸に顔が埋まり、鼻先に触れたカイルの服からは微かに海の匂いがした。

 カイルはセナの頭の上に軽く顎をつけ、長い息を吐いた。


「よかった。中で誰かに会って怖い目にあったわけじゃないんだね?」

「あ、はい。いたのはサラマンダーさんです」

「そうか。どこも怪我してないね?」

「はい。僕は大丈夫です。でも服が……」

「服なんかどうでもいいよ。セナが無事なら」


 カイルの深く安堵したような声を聞いて、なぜか胸が苦しくなった。

 カイルは自分を心配してくれる。服を駄目にしてしまったことを怒らない。怒られないから、胸がぎゅっとした。


「カイル様、一人で中に入ってごめんなさい」

「無事だったならいいんだ。戻ってきたらセナがいないから、誰かに連れ去られたのかと思った」

「すみません。僕、カイル様が戻ってくるまでに建物を調べて、少しでもお役に立とうと思ったんです」

「うん。ありがとう」


 カイルは背中を撫でてくれる。彼の手のひらは汗で少し湿っていた。

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