番外編 彼の嫉妬

第65話

 ある日、不破が組の事務所に戻ると、部下たちが緊張した面持ちで目配せしてきた。

 これはあいつだな。不破は事情を聞かずに大体察して、部下たちを安心させるようにうなずいた。

「二人にしてくれ。茶も淹れなくていい」

 不破が自室に入ると、来客用の椅子に座る男と目が合った。

 一見冷静そうでその奥に爆発しそうな苛立ちを秘めた目は、ここ一か月で何度目だろうか。

 不破はため息をついて、来客がローテーブルの上で行儀悪く組んでいる足を指さす。

「月岡、足。ここのテーブル安くねぇんだ。汚さないでくれ」

 不破は一応指摘して向かいの席にかける。

 月岡は足を下ろさないまま頬杖をついて、手元の灰皿に何本目かの煙草を押し付けた。

 不破が補佐を務める白鳥組は、龍守組の若頭である月岡には全く頭が上がらない。部下たちが恐々と月岡の来訪を受け入れるのはそのためだ。

 実際は、月岡は不破の友人として来ている。ただ周りにそう認めてもらうには、ここ一か月の間ここにやって来るこの友人の空気が荒みすぎている。

 今日はどこから訊こう。不破は一応考えたが、差し当たって良い案がなかったのでいつもの調子で言った。

「おーおー、しばらくぶりの煙草まで吸って。今度はどうした。お嬢さんが浮気でもしたか」

 不破が茶化すと、月岡は人を殺しそうな目で不破をにらんで言った。

「ふざけたことを。珈涼さんは常に清廉だ」

「そうだろうよ。お前が監視もガードも山ほどつけてるからな」

 月岡の手元の携帯を見れば、事細かに部下からの報告が流れ込んでいるのが見える。

 普段は如才なく仕事をこなす男だが、「お嬢さん」を囲い込んだこの一か月、その仕事ぶりが変質している。要所は外さないものの、仕事本体にさほど熱意を感じないのだ。

 たとえば今日、察するにこの男はまったく仕事をする気配がない。部下から上がって来る「お嬢さん」の情報に雨のように打たれて、その苛立ちを募らせていたのだろう。

 月岡は一息分だけ溜めて、不機嫌も露わにつぶやいた。

「……バイトを」

「ん?」

「珈涼さんにバイトを紹介したんだ」

 じりっと煙草を灰皿に押し付けて、月岡は吐き捨てるように続ける。

「紹介するんじゃなかった。男ばかり寄って来る。全員蜂の巣にしたい」

「……おう」

 不破は遠い目をして、気の無い相槌を打った。

 普段、この友人は組んだ足をテーブルに乗せて煙草を吸うような真似はしない。いつも背筋が伸びていて礼儀正しく、極道と知っていても女が寄って来るような凛とした風貌なのだ。

 不破はへらりと笑みを浮かべて提案する。

「お前も女の匂いでもつけて帰ってみたらどうだ? 嫉妬には嫉妬で……」

「もうやった。気分が悪くて吐き気がした。珈涼さんの匂いを吸い込んで、やっと平静に戻れた」

 ……お前はもうここ一か月くらい、全然平静じゃねぇけどな。

 不破はそう思いながら笑みをひきつらせて、ごまかすように頭をかく。

 しばらく二人で黙っていたが、やがて不破は口を開いた。

「月岡。俺のアドバイスってのはまちがってることもいっぱいあるんだが。……その、な?」

 不破が声をかけると、友人は荒みきっていながら問うような目を向けてくる。

 誰もが羨むような、それこそ嫉妬されるほどこの業界で出世してきた男なのに、彼は一人の少女のことでまったく手詰まりらしい。

 不破は果たして自分の助言がどれほどのものになるかはわからないまま、友人に精一杯の言葉を投げかける。

「お嬢さんみたいな怖がりな女の子には特に、怖がらせちまったらいけねぇと思うんだ」

「それは、わかってる」

 月岡は彼らしくもなく素直にうなずく。不破はそれに力を得て続けた。

「誠実さ、優しさ、労わり。そういうのでゆっくり包んで、時間をかけたらどうだ。お前にしちゃ、ずいぶん大事にしてる。長く一緒にいたいと思ってるんだろ?」

「……ああ」

「食事して、どっか出かけて、贈り物でもして。普通の恋人同士みたいなことしたらいいじゃねぇか」

 月岡は黙って何かを考えているようだった。不破は自分のアドバイスが伝わっているような気がして、上機嫌で言葉を切る。

「はは、まちがっても監禁したりするんじゃねぇぞ」

 その言葉が、まったく不破の意図するところとは逆に作用してしまったのを知るのは、だいぶ後のことで。

 あと二か月ほど後、月岡とお嬢さんは仲睦まじくお買い物をしていたので、不破は心からほっとしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る