第34話

「痣もそうですが、和華が伴侶なら当然青龍であるおれは和華が持つ青龍の神気を感じ取れるようになります。ですが、未だに自分と清水以外の青龍の神気を感じ取れません。これはおれがどうかしているのか。それとも……」

「和華ちゃんが青龍さまの伴侶を騙っているかだね。どちらにしても、和華ちゃんについてはもう少し情報を当たってみることにするよ。そうそう灰簾家には、今度こそ和華ちゃんを伴侶として青龍さまの元に越させるように、引き続き交渉を続けるから」


 ほとんど反射のように「ありがとうございます……」と答えたものの、海音がここに来た直後と違って、今では和華よりも海音のことが気になってばかりいる。

 和華に輿入れを申し出てからしばらくは、自分と番うことになる伴侶に対する期待で胸を膨らませていた。

 黒い噂を聞いてしまったものの、和華がどんな娘で、何が好きで、ここでこれからどう過ごしたいか。そして一番は夫婦として上手くやっていけるのかどうか。聞きたいことは山ほどあった。

 これから久遠に近い年月を共に過ごす相手に不自由な思いはさせず、たとえどのような女性だったとしても、伴侶にだけには永遠とわなる愛を誓おうと心に決めていた。

 だからこそあの輿入れの日に山道で泣いている海音を見つけて声を掛けた時は、理想通りの伴侶に浮き立った。

 白い頬を流れる涙も、艶のある黒髪も、抱擁力のある柔らかな声さえも。長らく夢を見ていた伴侶の理想像に、本当は肩を抱き寄せるだけではなく、いっそのこと抱き締めてしまいたいとさえ思ってしまった。事前に雲嵐から聞いた黒い噂は全て嘘だったのではないかと疑いもした。

 それでも確かめなければならないと背中を見せてもらえば、龍の形をした痣はどこにも存在せず、ただ傷一つ無い白い柔肌が広がっていただけ。本人を問い詰めれば、あっさりと和華の身代わりだと白状されてしまう。

 あの時の落胆と驚愕、そして動揺があまりにも大きく、手元が滑って喉に傷まで付けてしまった。そんな蛍流に怒り、恐怖するどころか、血を流しながらもただ懇願する姿にますます罪悪感が募った。

 どうにか悔やむ気持ちを落ち着けて、謝罪の言葉と応急処置の用意をして再び部屋を尋ねれば、本人は目尻に涙を残して窓辺で眠っている始末。首と足首に手当を施して、残寒で冷えた身体を布団に寝かせれば、思い出すのは初めて会った山道で掛けた自分の言葉。

 

『初めて来た不慣れな土地で、一人取り残されて心細かっただろう。ここからはもう大丈夫だ。おれが屋敷まで連れて行くからな』

 

 この言葉で流した海音の涙は、嘘偽りのない心からの涙だと気付かされる。

 この世界に来て、元の世界に帰る方法もなく、一人取り残されてしまった少女の涕泣。誰かに掛けて欲しくても、家族や友人もいないこの世界では誰からも掛けられなかったであろう言葉。それを自分は言ってしまい、そして気付かされた。

 自分もかつて同じ言葉を師匠に掛けられて安心したように、海音も自分の言葉に安心したのだと――。

 師匠の言葉で自分がこの世界に居ることが間違いではないと思えたように、海音もこの言葉でようやくここに居る意味を見つけたのかもしれない。途方に暮れていた海音にとって、この伴侶の身代わりになることが唯一の居場所を得る方法だったのだと思い至ったのだった。

 そんな海音を伴侶じゃないという理由だけで、ここから追い出すことは到底出来なかった。もし和華と入れ違いに山から出てもらうにしても、次の居場所の用意をしてやらなければならない。吹けば飛んでしまうような今の状態の海音を外に放り出したら、行き倒れか人買いに攫われて遊郭に売られてしまうのが目に見えている。どちらにしても、そんな海音の話を聞くのは耐えられそうにない。


(いや、それだけじゃない。海音があまりにも似ているのだ。あの日出会ったに……)


 掌に視線を落とせば、十年前に自分の運命を変えたとも言うべき少女と繋いだ手の温もりを思い出す。もう顔を思い出せないが、ただ縋るように蛍流の手を握りしめていた名も知らぬ少女。進む道は分かれてしまったが、あの時に交わしたの通りに、今は笑っているだろうか。

 また会いたいと思っても、もう叶わない。生きる世界が隔たれてしまった。青龍に選ばれたという、それだけで……。


(おれのことや約束を忘れてしまっても良い。ただもう咽び泣くような悲しい目に合わなければそれで良いと……そう思っていたのだがな)

 

 やはり心のどこかでまた会いたいと思ってしまう。自分のことを覚えていてくれれば良いが、仮に会えたとしても蛍流があの時の少年だと気付かないだろう。あれから蛍流はすっかり様変わりしてしまった。見た目や声だけでは無い。あの日繋いだ掌でさえ、こんなにも大きく皮の厚い手に……。

 沈痛な気持ちになっていると、とうとうポツポツと雨が降り始めた。やはり自分は未熟者だ。青龍の務めも満足に果たせないどころか、女性一人笑顔にさせられずにいる。

 

「こうなると、噂が裏目に出てしまったことを後悔するしかありませんね」

「でもその噂を流して欲しいと頼んだのは、蛍流ちゃん、君でしょ」


 人嫌い、冷酷無慈悲、冷涼者。その噂を青の地の民に流して、誰も二藍山に来ないように仕向けたのは他ならぬ蛍流自身だ。師匠が青龍の役割を担っていた時とは違って、どうしても気軽にこの山に来て欲しくない事情が蛍流にはあった。

 そこで人を遠ざけるような噂を流すように、雲嵐と蛍流との連絡役を担う役人たちに願い出た。その結果、伴侶を自称する和華にも逃げられて、代わりに来たのが海音だった。

 この選択が正しかったのか分からない。頼りになる師匠がいない以上、この青の地と青龍に関する全ては蛍流自身が判断して決めなければならない。

 今は自分が青龍なのだから。


 ◆◆◆

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