第14話

「そう焦らずとも分かっている。今から尋ねる」

「何か聞こえるんですか?」

「そうか。お前には清水の声が聞こえないのだな。七龍の声が聞こえるのは七龍が形代に選んだ人間と、その伴侶となる嫁御寮だけという話は本当らしい」

「今の風の音って、この龍が言葉を発した音だったんですか?」

「そうだ。この地を統べる青龍が、早くお前を紹介しろとせがんでいるんだ。伴侶の身代わりでやって来たお前のことを」

「青龍……さまは蛍流さんのことじゃないんですか? 青龍ってこの地を守る人の称号だと思っていましたが……?」

「そうだな。青龍の形代であるおれと、古よりこの地を守護する青龍は一心同体の間柄だから、その認識でも間違っていない。青龍はこの二藍山を中心として国中に展開されている水の龍脈に力を注いで人々の生活に潤いを与える役割を担い、おれは人と青龍を繋ぐ仲介役にして、龍脈に流れる青龍の力を調整する役を受け持っている。ここにいるのはおれを形代に選んだ青龍だ。名を清水という」

「清水さま、という名前なんですね」


 水を司る青龍だから清き水という意味を持つ「清水」という名前なのだろうが、もっと神聖で特別感のある難しい名前を想像していた分、親近感のある名前が意外に思えてしまう。

 すると、またきゅるきゅるという風の音が海音たちの近くで聞こえたかと思うと、蛍流が「特別に清水と呼ぶことを許可しよう、と言っている」と通訳をしてくれる。


「清水という名は、青龍に選ばれた時におれが名付けた。普通の名前で驚いたかもしれないが、元は青龍に選ばれるまで世話になった使用人の名前だ」

「そうだったんですね。その清水さまは私の何を知りたいのでしょうか?」

「名前、だそうだ。お前の本当の名前を。おれも知りたいと思っていたところだ」

「まだ名乗っていませんでしたね。暮雪海音と言います」

「字はどう書く?」

「海の音って書きますが……。私の名前、そんなに変ですか……?」

「いや、素敵な名だな。よく似合っている」


 変な名前だろうか、と思って首を傾げた直後に褒められたので、驚く間もなく面食らってしまう。礼を述べた方が良いのかと迷えば、蛍流も自分が言った意味に気付いたのか、薄っすらと染まった頬を隠すように、軽く咳払いをしてから説明してくれる。


「ここでは本名を名乗らないのが普通だからな。七龍に選ばれた者――七龍の形代とその伴侶は、人の理から外れた存在となる。七龍に選ばれた者と同じ寿命を生きて、特定の年齢に達した後は歳を取ることもない。俗世から離れた存在として、人の名を捨てて別の名を名乗る。例えるなら、出家した僧侶と同じだな」

「じゃあ蛍流さんも……?」

「おれの名は師匠……前任の青龍に名付けてもらった。伴侶は身に纏う七龍の神気と伴侶としての名、そして伴侶として相応しい曇りなき心魂を、伴侶に選んだ七龍に認められることで、正式に迎え入れられる。おれとおれの伴侶となる和華の場合は青龍だな」


 蛍流に呼ばれた青龍こと清水がじっと海音を見つめてきたので、無意識のうちに数歩後ろに下がってしまう。


「七龍の伴侶になれる者は七龍の神気に加えて、背中に龍の形をした痣を持つとされている。それがまことの伴侶の見分け方だと清水に教えられたな」

「やっぱり、私は青龍の伴侶になれないんですよね……。龍の形の痣が無いですし、青龍の神気も持って無いですし……」

「そうだな……」


 肩を落としていると、清水の身体がすうっと消えてしまう。海音が驚いて小さく声を漏らすと、蛍流は「自分の住処に戻っただけだ」と端的に教えてくれる。


「長々と話してしまったな。お前の分の朝餉も準備している。居間に用意するつもりでいたが、部屋に運んだ方が良ければ届けよう。どうする?」

「居間に行きます。蛍流さんの分は無いんですか?」

「おれはもう済ませた。この後、来客があるからな。政府から派遣された役人だ。最近雨が多くて農作物に被害が出ているから、その相談だろう」

「私もお手伝いを……」

「必要ない。来客が帰るまで部屋に待機してもらえると助かる。……誰にも見られたくないからな」


 屋敷に戻っていく蛍流が呟いた「誰にも見られたくない」という凍えそうな低い声が耳朶を打つ。やはり伴侶ではない、海音は必要ない存在なのだろう。

 この屋敷の女中として紹介する気も無いどころか、人目に触れることさえも憚るような蛍流の言葉がますます索漠とさせる。


(いったい、私は何のためにこの世界にやって来たんだろうね……)


 どうしてこの世界に来てしまったのか、この世界で自分が果たすべき役割さえ分からない。こんな足元さえ覚束ない今の状態でこの先どうなるのか。

 海音の未来には暗雲しか立ち込めていなかった。

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