君と交わした、あの約束を。

藤堂美夜

序章 かごの中の鳥

「佳月坊ちゃま、大旦那様がお呼びです」

「あぁ。すぐ行く」


 幼い頃から、夜に祖父のもとへ行くのが日課だった。

 感情を殺して、何も感じていない笑顔の仮面をつけて。

 そして、毎夜、毎夜、僕の体は穢れていく。

 歳を重ねるごとに、祖父の行為はエスカレートしている。

 十八歳になった今夜は、一体何をさせられるのだろう。

 いや、考えても仕方のないことだ。どうせ逃げられない。

 両親は僕に関心がないし、誰も西園寺グループ会長の祖父には逆らえないのだから。


 広い屋敷の中で、僕はゆっくりとした足取りで祖父の部屋へ向かう。

 長い廊下には、ぽつぽつと小さな灯りがあるだけで、薄暗い。

 ふと窓に目を向けると、月明かりもない真っ暗な夜空が見えた。

 分厚い雲のせいで、月の光が隠されているのだ。

 ちらちらと小さな星が瞬く様は、頼りなくて、今の僕の心を表しているようだった。

 真っ暗闇の中を不安そうに漂っている。

 誰も、行く先を示してくれない。

 手を伸ばしても、光には手が届かない。

 けれど、過去にたった一人だけ、僕を救おうとした馬鹿な奴がいた。


『佳月、俺がお前をここから絶対に救い出してやるからな!』


 幼い頃から傍にいた、使用人の息子――真夜しんや

 将来的には、僕の従者になるはずだった。

 祖父との夜の秘密を知られるまでは。

 彼はあろうことか祖父に盾突き、僕を救おうとして、あっけなく屋敷を追い出された。

 僕も、もうこれ以上彼が傍にいることに耐えられなくて、酷い言葉をぶつけた。


『君の顔なんてもう二度と見たくない。今すぐ消えてくれ』


 あの時のことを思い出すだけで、胸が苦しくなる。

 本心だけど、本心じゃなかった。

 真夜の前でだけ、僕は僕でいられた。

 心を偽る仮面を外して、自然体でいられた。

 だからこそ、穢れた僕のことを知られたことがショックで、軽蔑される前に、嫌われる前に、僕から真夜を突き放した。


(駄目だ。忘れるって決めたのに……)


 あれからもう三年も経つのに、いまだに忘れられない。

 きっと、真夜は酷いことを言った僕のことなんて忘れて、どこかで幸せに暮らしているのだろう。

 僕だけが、ずっと“ここ”にいる。

 祖父がつくった鳥かごの中で、ずっと、自分を殺して生きている。


 コンコン。

 祖父の部屋の扉をノックするが、返事がない。

 それはいつものことなので、僕はそのままドアノブに手をかけた。


「お祖父様、佳月が参りまし、た……っ!?」


 部屋に入った瞬間、突然強い力で抱きしめられて、僕はパニックになる。

 筋肉は厚く、身長も高い。若い男の体。

 今、僕を抱きしめているのは、祖父ではない。

 それだけは分かる。だって、祖父に覚える嫌悪感が、まったくないから。

 けれど、だからって許されるわけではない。

 僕は強く抵抗した。相手はビクともしなかったけれど。


「は、なせっ! お前は誰だ!?」


「やっぱり、佳月は酷いな。俺を忘れた?」


 そう言って、男は腕を緩めた。

 雲に隠れていた月が、少しずつ現れて、男の姿を照らし出す。

 男の顔を見上げて、僕は息をのむ。


「……そん、な……嘘、なんで」


「約束しただろ? 俺がお前をここから絶対に救い出すって」


 目の前にいたのは、三年前、この西園寺家から追放されたはずの真夜だった。

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2024年9月29日 12:00
2024年9月30日 12:00
2024年10月1日 12:00

君と交わした、あの約束を。 藤堂美夜 @todomiya38

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