第4話ー商人と男の子と、女の子と


 ある日、私は王都の東部にある市場を、調査することにした。

 それは、王都の優良商会として、よりニーズに応えた供給をしなければいけないからだ。

 とは言っても、技術的な面での真似事はしない。

 なぜならそれは、一朝一夕に成し得ることではないからだ。

 もちろん、物資的な面でも正当な契約に則り取引する。

 これは、私のモットーであり、私の商会のモットーでもある。

 人がこれを聞けば、綺麗事だ、と笑うかも知れない。

 ──いや、笑うだろう。

 確かに、権力を振るい、圧を掛け、自分達だけが儲かることもできるだろう。

 しかし、それをする商人が、信頼されるだろうか?

 ──否、信頼されない。

 商人は信頼関係があるからこそ、ツテができ、お得意様ができ、利用して下さった方々の笑顔が溢れ、やり甲斐にも繋がる。

 特に利用して下さったお客様の、あの満足そうな顔が、商人をやっていて良かったと思える証でもあるのだ。

 だから、誠実でなくてはならない。

 

 市場調査をしていると、一つの露店を見つけた。

 その露店には、スクスクと育った光沢のある瑞々しいラズベリーが、商品として並ばれていたのだ。

 ラズベリーとは、育てるのがとても難儀で、成長してはあちこちに蔦を生やし、他の作物にも影響を与える。

 だからこそ、ここまで育ったものを見るのは、商品としてはかなり珍しいのだ。

 私は店前で顎に手を当て、ラズベリーをまじまじと、深く見つめる。

 見れば見るほど、ラズベリーの良さに驚かされた。

 二十過ぎとは言えど、私も男の子だ。

 好奇心に抗えるはずもなく、ここは一つ、買って食べることにした。

 お金を払い、ラズベリーが数個入っているカゴを受け取っては、早速口にする。

 ラズベリーの甘さと、それに負けない程の酸味が混ざり合っていて、紅茶が欲しくなる程に、とても美味だった。

 この美味しさは、商会で加工をしたり、ブランドで付加価値をつければ、より世間に広まるのではないか?

 そうすれば、この感動も共有できるのでは?

 と、考えた私は、採取地を尋ねた。

 もちろん、情報も商品の内なのだから、求められた対価を払うのは、当たり前のことだ。

 だが、対価は要求されなかった。

 怖いほどにすんなりと、自分の島で収穫したのだ、と教えてくれた。

 いや、本当に怖かった。

 商人にとって情報とは、命に等しいもの。

 それをすんなりと、しかも無償でとは、何かあるのではないか?と、不躾ながらも勘ぐってしまった。

 おそらく、この時の私は難しい顔をしていたのだろう。

 ラズベリー屋のお兄さんはそれを察したのか、島の話をしてきた。

 島には森があり、そこで狩りをして生活していること。

 島には同じ日に生まれた二人の子どもがいて、その内の一人は島の大人より賢くて、本が好きなこと。

 だから、島に留まるには惜しいということ。

 もう一人の方は、太陽みたいに明るくて、周りも照らしてしまうほどだということ。

 つまりは、その男女二人に、世界を見せてほしいということだった。

 ラズベリーは幅広く扱われ、あれほどの品質であれば、かなりの儲けが出ると予想できる。

 ならば、それに対価を払うのが、筋というものだ。

 だから私は、ラズベリー屋のお兄さんの優しさに、心から感謝し、そして了承した。

「分かりました。では、また後日」

 と、私が了承したときの彼の顔は、和やかさに満ち満ちていて、私と同じ商人とは思えない程に、眩しく思えた。

 

 強い日差しに世界が照らされ、涼しい風が潮の匂いを運ぶ季節になった頃、私は島へと赴いた。

 大陸から島へは、船で数十分のところで、遠目から見ても、自然に溢れている場所だと分かった。

 波で船が揺れるたびに、辺りには潮風がチラつく。

 私はこの、心地の良い揺れと嗅ぎ慣れた潮風が、言葉にはできないが、好きだった。

 島に近づくと、遠目にこの船を見た島の住民達が、手を振って出迎えてくれていた。

 私は、それが心の底から嬉しかった。

 誰しも、拒絶されるより、受け入れて貰いたいものだ。

 だからこそ、受け入れてくれることが伝わってきて、本当に嬉しかった。

 

 島に着くと、村の大人数人が前に出て来て、私達を歓迎してくれた。

 その中には、この前王都の市場で出会った、ラズベリー屋のお兄さんもいて、私はホッとするような、懐かしい気持ちになった。

 歓迎されたからには、こちらも礼を尽くさなければならない。

 胸に手を当て、腰を落とし、頭を三十度下げ挨拶をする。

 村の大人達は、その優雅な立ち振る舞いに驚きつつも、最敬礼で返してくれた。

 頭を上げた村人と目が合うと、ラズベリー屋のお兄さんに改めて挨拶をし、ラズベリーの売買取引や、例の子どもの話を聞いた。

 その間周りの人等は、大雨に吹かれ無数の木々が掠れ合う様な、そんな、騒がしい音を発していた。

 その音には、余所者に対する好奇心や、少々の不安を孕んでいる空気感があった。

 

 ラズベリーの売買取引は上々で、まだ正式な契約を交わしてはいないものの、継続的な取引も可能となった。

 例の二人の子どもことについては、世間話感覚で色々と聞いた。

 

 男の子は文字の読み書き、算術、生物、地理、商業等を独学で覚えたこと。

 小説などの物語をよく読み、そちらの方にも長けているということ。

 昔は比較的体力が少なくて、身体が弱かったけれど、最近は体力がついてきて、健康体そのものであること。

 本人は気づいていないけれど、心の中では世界を見てみたいと思っていること。

 

 女の子の方は、学力こそないけれど、男の子とは運命共同体で、互いの支えになること。

 コミュニケーション能力が高く、比較的、誰でも仲良くなれること。

 

 そして二人は、無意識的に、互いが互いに、特別な感情を抱いている、ということ。

 だからできれば、二人共面倒を見てほしいということ。

「この島の大事な宝を、どうか宜しくお願い致します」

 と、話し合いの末に、ラズベリー屋のお兄さん諸共、島の住人達が、頭を下げながら私に頼んだ。

 

 この話を通して、私は男の子に対する、興味を抱いた。

 読み書きをできるだけでなく、各方面に優れていて、しかもそれを、独学で修めている。

 それが本当なのだとしたら、世界中を探しても、ここまでの逸材は限られているだろう。

 二人の話を聞いている時の私は、表面上平然を取り繕っていても、内面ではどうしようもなくワクワクしていた。

 

 二人の話が終わる頃、雑木林の様に乱れる人々の中から、二人の男女が顔を出していた。

 その男女は私に興味があるらしく、二人合わせて周りをキョロキョロしては、近くの大人と話し出した。

 ラズベリー屋のお兄さんと話している時に、近くで補足をしたり、相槌を打っていた村の老人が、詳しい話は座りながらしましょう、と大方そんな話をしてきた時に、男の子と村の大人の話が聞こえてきたのだ。

 その内容を聞いた私は、驚きを隠しきれずに、子ども達の方へと視線が向いた。

 先程まで話を聞いていなかった十二歳の男の子が、大人との少ない会話の中から要点を合わせ、自分から補足するという異常さを、持ち合わせていたのだ。

 話の要点を合わせ予想し、自分なりの補足や解釈をすることは、別に難しいことではない。

 だが、しかし。

 それはあくまで、要点ごとに経験則があり、たかが十二歳が簡単とは言え、商業のことで口を出すのは、異常と言うほか無いのだ。

 

 彼のことであれこれ頭を働かせていると、彼の方から笑い声が聞こえてきた。

 その声は、無邪気で、元気があって、楽し気で、子どもであることを分からせてくれる、そんな声だった。

 その声を聞いた私は、男心が刺激され、心の一部に好奇心を孕む。

 その好奇心とは、男の子と直接話をしたいと言うものであり、それ以外の何ものでもない。

 だから私は、仲間に合図を出し、私の代わりに、対等な契約することを命じてから、男の子の方へと、歩み出したのだ。

 堂々と、背筋を伸ばして、一歩一歩、ゆっくりと歩く。

 

 彼との距離が少しずつ縮んでいくと、彼自身が私に近づいて来た。

 一歩、また一歩。

 彼と私の距離は、ある一定の距離で留まる。

 それに対して、私だけでなく、後ろで控えている仲間までもが驚愕した。

 それもそのはずだ。

 本で知識を身に付けているとは言え、十二歳の子どもが初めての実践で、踏み込んだ剣先がわずかに届かない位置で、留まったのだから。

 どんなに育ちが良くとも、ここまで警戒して、剣先一寸たりとも届かない位置で留まれる子どもは、一体どれだけいるだろうか。

 驚愕を超えて、もはや感動さえ覚えるほどだ。

 

 立ち止まってから、一二秒ほど経っただろうか。

 これ以上は、彼に遅れをとってはいけないのだ、と直感的なもので、闘争心を燃やした。

 しかし、たった一秒だ。

 たった一秒の差で、彼に遅れをとった。

 大商会の代表として、島の小さな子どもに負けたのだ。

 彼が優秀だという話は聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。

 侮っていた。

 そんな私を、私自身が愚かだと思った。

 それもそのはずだ。

 たった一秒速く先手を打たれたそれが、貴族の挨拶だったのだ。

 剣先が一寸たりとも当たらない間合いを取ることは、別に、出来ない芸当じゃない。

 まぐれの可能性だってある。

 でも、その挨拶だけは覆すことのできない真実であり、彼の学の高さを示しているのだ。

 この挨拶も、私の仲間だって出来なくはない。

 しかしそれは、私が教えているからだ。

 それに、仲間の場合は、もっとぎこちないだろう。

 それを初めての実践で、しかも、完璧に近い形にして見せられるのは、まさに、鳩が豆鉄砲を食らった様な心情であった。

 相手の礼には、こちらも、最大の礼を返さなければならないのだ、と思った。

 彼のそれは、限りなく完璧に近い。

 だが、それは完璧ではない。

 だから、私が完璧を魅せる。

 彼と私の差、それは経験の差だ。

 手の位置や礼の角度は完璧だが、足の方がほんの少しだけオボついていた。

 そのほんの少しは、見る人が見ればすぐに分かる。

 だから、完璧ではないといけないのだ。

 

 私が彼に完璧を心の中で求めてしまったのは、彼に可能性を感じたからだろう。

 彼が私の商会に来ることがあれば、商会内に凄まじい風を吹かせ、新たな可能性という名の、種を蒔いてくれる。

 そんな気がしたのだ。

 

 それからは、彼と彼の彼女さんと、小さな島の全般を少し散歩した。

 散歩している最中は、彼に様々なことを聞いた。

 ──ラズベリーのこと。

 ──二人のこと。

 ──未来のこと。

 ──小さな声でこっそりと、君は彼女のことをどう思っているのか?とか。

「かけがえのない宝物です」

 私の質問に、真っ直ぐな顔で男の子は答えた。

 男の子の答えに、聞いた私の方が耳が赤くなる程に恥ずかしくなったし、羨ましいとも思った。

 

 女の子との会話は、全部男の子との思い出ばかりで。

 私を間に挟みながら惚気るのは勘弁してくれと、歳不相応に照れてしまったが、結構楽しかった。

 

 互いが互いの話をするときの表情と言ったら、絵に書い様に満面の笑みで。

 これで、まだ男女の関係じゃないのだから驚きだ。

 そもそも私自身が、恋だの何だのと腑抜けている暇がなかったのだから、耐性が低くて然るべきである。

 

 しかし、私は悪い大人かもしれない。

 男の子に私の経験談を語ることで、他所の世界に興味を持たせて、商会に引き込んだのだから。

 しかも、それだけではない。

 女の子と別れ、男の子と二人っきりになると、彼が私にしてきた頼みごと、「女の子も一緒に連れて行く」に、とある条件を出したのだ。

 それは、一緒に連れて行くのを、三年後の朝まで女の子に秘密という、性格の悪い条件だった。

 そんな性格の悪い条件を出すことで、より香ばしい青春の味付けを出来るのだ。

 そして、そんな男女二人の行方を私が楽しむ。

 と、いった、大人にあるまじき、下品さを発揮したのだから。

 

 女の子のところに戻った時の、彼の顔はぎこちなく。

 そこから、女の子に対する好感や、好感からくる罪悪感が、見え隠れしていた。

 そして、そんな男の子を眺めてる私は、心の底からドキドキしていた。

「こんな気持ちは初めてだ……」

 この時の気持ちはラズベリーよりも甘酸っぱくて、知らなかった新たな感情に、私は高揚感を抱いていた。

 

 それからのことは、特に語る必要もないだろう。

 部下から情報を集めて整理し、状況確認をする。

 荷運びをし、島の住人と挨拶を交わしてから、大陸の方へと帰路へと着いた。

 

 水平線の彼方には日が沈み、海は闇を孕み始める。

 潮風に髪を揺られながら、胸一杯に吸った空気には、肺を威圧するような、そんな冷気が纏われていた。

 私は、普通なら気にも留めない様な日常の一部に、まるで誰かの人生を示唆している様な、そんな、悪い気がしてならなかった。


 あの島の男女二人に、幸せな未来が、あらんことを。

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