第二章 薫 第9話
夕羽が勤めていた「ビヨンドデザイン」は、四ツ谷にあった。夕羽と親しかったのは相川という女性で、仕事上のメンターでもあったらしい。麻日に探してもらった連絡先に掛けてみると、昼休みならすぐに調整できそうとのことだった。
四ツ谷駅からほど近い喫茶店を指定してきた。「ここなら、会社の人間が来ることも少ないから」と言われる。真子にも連絡したが、今回は薫だけで会うことにした。
少し早めに指定された店に行った薫は、なるほど、と思った。先日の麻日が教えてくれたカフェもレトロ喫茶店だったが、こちらもかなりレトロで雰囲気のある、昔ながらの定食を出す洋食喫茶店だ。ここは、ビヨンドデザインから少し遠いだけでなく、若者が気軽に入れる感じではない。薫はこういうお店も好きだ。少し早めの昼ごはんを済ませて来た薫だったが、メニューを見ているとお腹が空きそうだな、と思う。
先にホットコーヒーを頼んで待っていると、二十代後半くらいの女性が入店した。明るい色に染めたショートボブに小柄な外見が、麻日に聞いていたものと一致する。薫が立ち上がって頭を下げると、すぐに気がついて近寄ってきた。
「初めまして。お電話した多知花薫です」
「初めまして。
互いに軽く挨拶を済ませて、相川はナポリタンとコーヒーのセットを頼んだ。
「すみません、お昼時に」
「いいのよ、指定したのはこちらだから。目の前で食べてるけどごめんなさい。お昼はいいの?」
「はい。軽く食べてきました。でも、ここは料理が美味しそうですね」
薫がそう言うと、
「ガッツリ食べたいときはここのカツカレーがおすすめよ」
そう、いたずらっぽく笑った。感じのよい、可愛らしい女性だ。
いくらも経たず、運ばれてきたナポリタンを、相川は「いただきます」と言うと豪快に口に入れる。
「それで、安西ちゃんについてっていうのは?」
と促した。
薫は、警察から夕羽の訃報を聞いたこと、夕羽の実家に行き、相川の連絡先を教えてもらったことをかいつまんで話す。薫宛の手紙については、不気味な部分を除いて、何らかのストーカー被害に遭っていたかもしれないことを伝えた。
「夕羽さんの近況は、会社の方に聞く方がいいと思って、不躾ながらご連絡しました。何か、最近の夕羽さんに気になる点や変なところはなかったでしょうか?」
薫が話す短時間で、相川は瞬く間にナポリタンを平らげた。そして思い出すようにしながら、ナプキンで口を拭うとコーヒーを飲む。
「……んー。変だというなら、去年の夏くらいからずっと変だったわね」
「それは、もしかしたら引っ越してからということでしょうか?」
「うん、そう! 交通の便がいいところに引っ越しした、って報告があったの。でも、それからいくらも経たないうちに、頭痛がするって。それだけじゃなくて、何だか顔色も悪くなってきたから、薬を飲んでるか聞いたのを覚えているわ。でも、薬があまり効かないって話してた」
この辺りは、麻日の話と一致する。
「あとは何か……夢見が悪い、みたいなことを言っていたかなあ」
「夢見が悪い?」
「顔色が悪いだけじゃなくて……、その、作業中に寝落ちしそうになってたことがあったの。安西ちゃん、結構真面目なタイプだし、入社して三年くらい経ってたけどそういう彼女を見たことがなかったからちょっと驚いて。部屋が変わったせいかもしれないけれど、夢見が悪いって言ってた。でも、どんな悪夢かは、目が覚めると思い出せないって」
夕羽が亡くなっているのであまり悪い話はしたくないようで、言い淀みながら話す。でも、薫にとっては貴重な話だった。夕羽はどんな悪夢を見ていたのだろうか。
「傍から見てると、すごく体調悪そうな時もあったし、病院を勧めたこともあったわ。彼女って抱え込むタイプだったから心配はしていたんだけど……。でもまさか、思いついて急に亡くなるほど追い詰められていたとは思えないんだけどな。お守り買ってから、ちょっと落ち着いたって話してたし」
そう呟いて、コーヒーをすすった。薫は驚いて顔を上げた。
「お守り?」
「そう。二カ月か三カ月くらい前だったかな? 『ここらへんで、神社とかないですか?』って訊かれたの。『引っ越してからツイてない気がするから、お守りが欲しい』って言ってた。だから、すぐそこの
薫は慌てて、スマホで地図アプリを立ち上げた。四ツ谷を検索すると、確かに出てくる。それを相川にも見せて確かめた。
「そうそう。ここ、若い人にも人気よね。アニメの舞台になったから」
「ここで買ったお守りを、暫く身に着けていたんですか?」
「そうみたい。『気の持ちようかもしれないけど、だいぶ落ち着いた』ってお礼を言われたわ。十一月か十二月、事故の一か月前くらいだったかな? だから、警察にもそれは言ったんだけど」
ということは、刑事に聞けばお守りを持っていたことがわかるかもしれない。または、部屋やバッグに残っている可能性もある。
お守りを身に着けていて、事故直前は落ち着いていた。これは、麻日も知らなかったのだろう。そして、少なくとも部屋に帰っていない期間は、お守りを持つことで少し落ち着いて過ごせていたのかもしれない。
「でも、ストーカー被害とかはわからないなあ。私の友達でも、元カレに付きまとわれた子がいたから、何となくどういう状況かわかるんだけど。……何か、そういう感じじゃなかったのよね。それより、とにかく疲れてて、病人みたいだった」
「そうですか……。でも、お話はすごく貴重でした」
薫がスマホを見ると、もうすぐお昼休みが終わりそうだった。相川も腕時計をちらりと見ると、サッと身支度を整えて伝票を持とうとする。慌てて薫は、
「こちらからお願いしたので、私がお支払いします」
「そう? ごめんなさいね、大した話もしてないけど。ありがとう」
「いえ、来ていただいてありがとうございました」
薫はこのまま少し残るつもりだった。相川を見送ろうと薫も席を立つと、「そういえば」と相川が呟いた。
「本当に事故の直前くらいに、子供を怖がっていたことがあった」
「え?」
「唐突に思い出してごめんなさいね。あまり関係ないと思うんだけど」
会社で、白い服を着た少女が目撃されたことがあった。入室セキュリティーがあるはずなのに、四階のオフィスに迷い込んだ子供がいたらしい。その子供の話をしている時に、
「安西ちゃん、本気で怖がって青ざめていたの。そんなに怖がる? ってくらいなんだか怯えていたのが変だった」
相川は立ったまま窓の外に視線を送りながら、少しぼおっとした表情を見せた。
「何でだろう? でも確かに、うちのフロアに女の子が迷い込むなんておかしいんだけど。その時の安西ちゃんの怖がり方、変だったな……」
そんな相川の様子を見ていた薫も、なぜか頬の辺りの産毛が逆立ったのがわかった。
ふいに相川は瞬き、我に返ると「じゃあ、行くわ。また何か必要なら連絡して」と言い残し、慌ただしく店を出ていった。薫は後ろ姿にお辞儀する。
けれど、最後に聞いた話がまだ胸の中でざわめいていた。
(夕羽の周辺で現れた少女。もしかしたら、これはヒントかもしれない)
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