第二章 薫 第8話

 互いの連絡先を交換し、三人は藤沢駅まで戻った。

「引き受けてくださり、ありがとうございます。お二人が来てくれると心強いです」

「まずは受験頑張って。また連絡するわ」

「はい。まずは合格しなくちゃですね」

 薫が励ますと麻日は照れくさそうに笑う。真子は喫茶店を大層気に入ったようで、今度はプライベートで来たいと言うと、麻日は微笑んだ。

「それはぜひ。ここは姉さんに教えてもらった場所なので、きっと姉も喜びます」

 これから自習室へ向かうという麻日と、改札前で別れた。


「……麻日君、いい子ですね」

 都内に戻る電車に乗り込み、真子がぽつりと呟いた。薫も「そうね」と頷く。

 麻日から語られる夕羽は、家族の中であっても殊更しっかりしていたことがわかる。だからこそ、気兼ねなく話し合える姉弟の繋がりは強かったのだろう。引っ越しがあと半年ずれていれば、夕羽も一人で抱え込んで追い詰められてしまうことはなかったかもしれない。

「麻日君の合格発表までひと月半くらいあるから、それまでにあのマンションについての情報を集めてみようか」

「そうですね」

 場所は中野区の南、新宿にも近い再開発地区である坂上周辺の新しいマンションのようだった。住所を地図で確認したところ、住宅街のど真ん中に位置している。周辺は昔からの居住区域で、道も狭くて入り組んだところにあり、かなり分かりづらい。


「雄嵩 にいにも相談してみよう。土地関係の調べものに強い友達がいるって言っていたから、情報が集まったら調べてもらってもいいかもしれない」

 薫は本当のお目付け役、雄嵩のことを思い浮かべる。雄嵩は薫の母の弟だが、母と歳が離れていたため、薫にとってはもう一人の兄のようなものだった。ちなみに薫には長兄のいつきもいて、母の下で旅館の経営を手伝っている。ゆくゆくは旅館を継ぐようだ。

「薫さん。多知花先生にお話しするなら、多分おばあ様にも話がいきますよ?」

「……まあ、それは仕方がないかな。呼び出しあったら行くしかないから」

 心底面倒臭そうに腕を組んで、薫は目をつぶった。


 薫は、祖母の此花このはなを思い浮かべる。祖母は一族を束ねていて、所謂、家刀自いえとじのような人であり、どうやら薫に神社を継がせるつもり。薫としては、ちょっと田舎にある神社の後継ぎを、どうして皆がそこまで気にするのかよくわからない。まあ、存続は大切ではあるが。現に今は薫の父も禰宜としているし、そのまま宮司になればいいと思っている。しかし、面と向かって祖母から言われたことはないが、周囲はそのつもりのようだ。薫の家では、代々女系で神社宮司を襲名しているからだ。もう、薫しか残っていない。将来を嘱望された姉はもういないのだ。

 かおりは、薫より二歳上の姉だった。薫が七歳の時、香が十歳になる直前に、子供なら誰でも罹るような流行り病で運悪く亡くなった。香は祖母の此花に一番近い能力を持っていて、幼少期から跡取りとして期待されていた。あまりに早すぎる姉の死は、家族だけでなく親戚一同にも衝撃を与えた。惣領娘が亡くなったことになるからだ。


 薫にとって、二歳上の姉は、何でも話せる友達のような、双子の姉妹のような存在だった。香は未熟児として生まれ、成長も少し遅かった。ところが後から生まれた薫は、健康優良児で成長も早く、すぐに背丈が追いついてしまった。

 大人しく、よく部屋で本を読んでいた香は、体の成長は遅かったが読み書きが早かった。薫の知らない文字の多い本をたくさん読んでいた。多分、此花からも早くから色々学んでいたはずだ。そんな香を、いつも無理やり外に誘って遊んでいたのは薫だ。

『薫、この道はあまりよくないから、あっちから行こう』

『今、後ろがちょっと寒いでしょう? 振り向いちゃダメだよ。真っ直ぐ前を向いて歩いて。手を繋ごうか』

 しかし、一歩外に出れば香は様々な怖いモノを見ていたようだった。薫を、言われないとわからない程度の気配しか感じられない恐ろしい何かから、いつも守ってくれていた香。

 香が死んでしまった日、薫は、傍らの温かい皮膜がはがれてしまったような、すきま風のような、を味わった。

「――私じゃあ、香の代わりにはならないのに」

 ぽつりと独り言ちる薫は、自分が呟いたことも意識していないようだった。傍らでそれを聞いた真子は、そっと薫の横顔を見つめた。


 電車内に夕陽が差し、急ごしらえで染めた黒い髪が透けて、元の鮮やかなブルーがうっすら見えた。白い肌が夕陽に照らされて少し明るいオレンジに染まっている。長いまつ毛と高い鼻筋に、シャープな顎のライン。

 薫は、同性の真子が見ても本当に美しいと思う。

(薫さんは、お家のことや周囲のことが鬱陶しく、香さんと比べられていると感じてるみたいだけれど、それでも皆、結構薫さんを大切に、尊重しているんですよ)

 家のこととなると少し拗ねて投げやりになってしまう薫に、真子は心の中で呟いた。

「……それじゃあ、日を改めて、中野のマンションと周辺を回ってみましょうか。いつにします?」

 真子は、口調をあえて明るくして薫に話しかける。薫も目を開けて、気持ちを切り替えたようだった。

「……そうだね。二月の平日昼間がいいかな。青梅街道沿いの事故があった辺りも見てみたいわね。あとは夕羽の会社の人にも連絡してみましょう」

 バッグから手帳を取り出して、二人でスケジュールを確認する。焼香に来た夕羽の会社の先輩の名前は聞き出してあった。あとは会ってくれるかどうかだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る