第13話 逃げる

 どんなサーブにも対応できるようにちゃんとラケットを構えていればキッチリ返せなくとも当てるくらいはできるものを、構えの段階からラケットが下がっていたので反応できないであろう顔面を狙ったのだ。



「キャッ! 」



 声とともにおでこに当たったシャトルはポトリと床に落ち、彼女も尻もちをついた。野球のデッドボールに比べたらたかだか水鳥の軽い羽根がコツンとあたった程度、しかもスマッシュではなくサーブなのだから痛みなんて感じる程でもない。



「クォラア、ヒロコー! ラケット下がってるから狙われるんだろうが! グラウンド一周ダッシュして顔洗ってこい! 」



 厳しいゲキに彼女は体育館から飛び出していった。



「で、リューセー。ヒロコはどうよ? 」



 少し考えて、ラケットを小脇に挟み口を開く。



「彼女が男性を嫌っているのは何となく感じていましたが、偉そうに言う割には礼儀もなってないですし、少し失礼な人ですね」



 素直なこの言葉に



「あっはっはっは! 確かにそうだな。戻ってきてちゃんとしなかったら試合ストップさせて、混合ダブルスのパートナーも考え直すわ」



 大笑いしながら言った。



「時間止めちゃってスイマセンデシタ! 」



 帰ってきた彼女の表情や態度は別人で、もの凄くキリッとした表情。自分が転んだ部分の床を迅速にタオルで拭き、落ちているシャトルをきれいに整えて僕の手のひらに置くように優しくポンと打ってきた。



「舐めてたのはコッチでした、すいません。よろしくお願いします! 」



(さすが女子ナンバーワンの実力者、本気になればしっかりしているじゃないか)



 ラケットを高めに構えた前傾姿勢で、どんな軌道にも対応できるようにゆっくりと息を吐きながら少し腰を落としている。次のサーブはネットギリギリを通って前のラインの上くらいに落ちるショートサーブ。少しでも浮いてしまうとさっきの自分みたいに叩き返されるのだが、練習しまくった甲斐あってドンピシャリの高さと距離で飛んでいく。これに対しての彼女の反応はさっきとはまるで別人、柔らかく腰を落として後方エンドライン近くまで打ち上げたかと思うと、コートの中心で何が来ても対応できるように準備万端。右利きの自分にとって左後ろに飛ばされたシャトルをバックハンドで返すこともできるのだが、できればフォアハンドで返した方が正確なショットをしやすいと判断し、体を弓ぞりに反らして彼女の右後方に高い弾道でハイクリアを返す。彼女の右後方に打ち返したのは彼女が左利き、即ちラケットを持つ手と反対側になるサウスポーだからだ。


 軽やかにトントンとステップを踏み、体のバネを使って放たれたシャトルは利き腕とは反対後方へのロングスマッシュ。咄嗟に反応してバックハンドでラケットに当てるも、甘いところに上がってしまった。



(これはマズイ! )



 何とかネットに正対した自分に対して、彼女は完全な状態からスマッシュを放つべくネット前でラケットを高く上げている。そして強烈な一撃が右脇腹あたりに飛んで来るも、少し体を捻じってラケットに当て返す。



「早く決まりなさいよ!」



 そう言わんばかりの表情で五本続けて放たれたスマッシュを返し、六本目。少し力んだスマッシュはこちら側に来ることなく、ネットに引っ掛かって彼女の側にポトリと落ちた。



「ヒロコ、馬鹿正直に打たされやがって! 何でフェイント使わなかった? 走ってこい! 」



 ラケットを置いて走りに行った彼女を見送りながら



「リューセー、どうだ? 」



 再び顧問に訊かれる。



「個人の実力はわかりましたが、ダブルスを組んでみた時にどうでしょうか? 彼女サウスポーですし、サイドバイサイドになった際にお見合いするか、ラケットがぶつかるか……という心配がありますね。現状ではお見合いよりもラケットが破損しそうですね」



 ちょっと専門的に書いたが、僕と彼女が前後ではなく左右に並んだ状態の攻撃態勢で、互いのラケットが内側になる時。


 即ち右利きの自分が左側でサウスポーの高見澤さんが右側になった状態で二人の真ん中を狙われた時に、互いが譲り合ってしまってお見合いのように見過ごしてしまうか、互いにシャトルを打ちにいってラケットがぶつかってしまうか……と考えた時に、通常パワーで勝る男子に譲る流れになるのだが、彼女は譲らないだろうという考えだ。



「ふむ、アイツ気が強いから充分考えられるな。よし! 実戦形式でコートに二人入って、私がこちらから打ってみるか。念のためにラケットは授業用の物を使って、何を打たれてもそちらはハイクリアでこちらに返す。タイミングを見て二人の真ん中にスマッシュ打つからリューセーは打ち返す、その時アイツがどう出るかでわかるだろう」



 こうしてランニングから帰って来た彼女を少し休憩させ、顧問との打ち合わせ通りにラケットを授業用の壊れてもいい物に持ち替えさせて、我々は混合ダブルス実戦形式でコートに入る。ルールを伝えて一人反対コートに居る顧問には打ちやすいシャトルを上げる形式で縦横無尽にしばらく振り回され、ついにやってきたここぞというタイミング。僕が左側で彼女が右側、お互いの真ん中に顧問からのスマッシュは『ガッシャン』という音と共に案の定ラケットはぶつかり合って壊れてしまった。想定内とはいえ何とか打開策を考えなければ、本番の試合でラケットが何本あっても足りないばかりか失点まみれになってしまう。顧問がネットをくぐってこちら側のコートに歩み寄ろうとした時



「出しゃばるんじゃないわよ! 今のは私が打つべきところでしょ? 」



 厳しい表情で詰め寄る彼女。その間に顧問が入る。



「ヒロコ、違う。あそこはパワーも正確さも兼ね揃えたリューセーに打たせて、自分は次にどう動くべきか冷静に判断すべき場面だ。お前がどこに打とうとリューセーは返ってくるシャトルに反応できると思うが、それが出来ない場合もあるんだよ」



 その言葉に一層ヒートアップした彼女はヒステリックに喰ってかかる。



「私の方が力不足だって言いたいんですか?私が打って私が反応できない状態なんて考え付かないんですけど! あの時だって……」



「落ち着け、混合ダブルスはコート内に二人が居る競技形態だ。言い換えればシングルスほど自由に動けない、相手に任さなければならない判断が重要になってくる。さっきのシャトルをお前が打ったとして、あの距離で即座にお前の体の正面にスマッシュが返ってきたらどう反応するつもりだ? リューセーが返して彼の正面にスマッシュを打たれても、リューセーは返せるしヒロコがその後をフォローすることもできる。例えお前が正面のスマッシュを返せたとしても、狙って返せるのか? 甘いところに返すだけでは無駄に相方を疲れさせて共倒れになるだけだ。要するにだ、ヒロコのプレースタイルはシングルスで混合ダブルスには向いていないってのがわかったってことだ」



 顧問の言葉にしばらく黙ったままギリギリと下を向き、顔を上げた彼女は授業用ラケットをポイと放り投げた。



「私はシングルスで頑張りますから。混合ダブルスなんて茶番は天才上杉君と誰か他の人が組んで出場したらどうですかー? 」



 周囲が静まり返る中、彼女を睨みつけながらうっすら涙を浮かべた神谷さんが口を開いた。



「逃げるんですか? 彼は天才なんかじゃないです! 誰よりも練習して誰よりも一生懸命掃除して、みんなが『おわったおわった』とサッサと着替えに行っている間にも、コートにモップを掛けて……そんな上杉君とコンビを組めるチャンスを貰いながら、あなたは逃げるんですか? 」



 ラケットを放り出し背を向けて歩きかけた高見澤さんの足が止まる。



「そっかー、ヤキモチ? あんたバレンタインの時にチョコレート渡してたもんねー。でも自分の実力じゃあ彼と組めないから、そっかそっか。でもね、私だってそんな中途半端な気持ちで頑張るなんて言ってるわけじゃないのよ。実力で劣ってるくせに感情論で偉そうな口を叩かないで欲しいわね! 」



 こんなに頭に来たのは柚子葉ちゃんが雑巾を投げつけられた時以来だ。



「試合やらせてください、神谷さんとダブルス組みます。高見澤さんは誰と組んでもらっても構いません。自分は何を言われても構いませんが、これからバドミントンをもっと好きになろうとする彼女がここまで言われて黙っているわけにはいきません。二十一点マッチ一セット、お願いします! 」



 腕組みをしてこれらのやり取りを見ていた顧問がニヤリと笑う。



「アオハルだねぇ。嫌いじゃないよー、そういうの。誰と組んでも構わないと言ったね? よし、ヒロコとは私が組もう。それでも構わないっていうのかい? 」



「はい、構いません。女子部員の中で高見澤さんが群を抜いてプレイスキルが高いことは間違いありませんし、混合ダブルスで上位を狙うなら自分のペアは彼女だということもわかります。ですからこちらが勝ったら『高見澤さんには混合ダブルス用の練習をしてもらう』という約束を、今この場でして頂けませんか? 」



「私はそれで構わないが、それじゃあヒロコが納得しないだろう。リューセーが負けた時はどうするつもりなんだい? ここまで言われちゃあそれ相応の覚悟を見せない限りこの子も納得しないぜ、きっと。なあヒロコ? 」



「そうですねー、上杉君には神谷さんをおんぶして校庭十周走ってもらおうかしら。私に喰ってかかった結果、大好きな彼に自分の体重背負ってもらって十周走ってもらう……最高じゃない、乙女心もズタズタね! 想像するだけで笑いが止まらないわ!」



 これを聞いて小刻みにカタカタと震える神谷さんに歩み寄り、そっと手を握って静かに話しかける。

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