第14話 逆転だね
「大丈夫だよ、絶対に負けない。神谷さんは信じて出来ることを一生懸命やってくれればそれでいい、混合ダブルスとはお互いの信頼関係だから。いつも左手と一緒に戦ってくれているこのリストバンド、つけてくれるかな?これで信頼関係は絶対だ! 確かに顧問と高見澤さんのペアは強敵だけれど、信頼関係のないペアの脆さを高見澤さんに教えてあげるから大丈夫! それにもし負けちゃったとしても君を背負って走れるのなら嬉しいよ」
最後の一言が柚子葉ちゃんの言った『女の子を勘違いさせてしまう一言』だなんてこの時は考えもできず、彼女を安心させるのと試合に勝つためにはどうすべきかを厳しい表情で必死で考えている間、神谷さんは真っ赤になって俯いていたと後に顧問から聞いた。主審とライン審判は高校バドミントン部の先輩にお願いする流れになり、コートを半分ずつ使ってお互いにアップを行う。
毎日一生懸命練習してきた彼女は、スタミナもついて随分上達してきたと思う。しかし相手が顧問と高見澤さんとなると、まともにやり合ったのでは正直勝ち目はない。ポイントは『神谷さんを如何に疲れさせないか』と『高見澤さんを如何に疲れさせてミスを誘うか』である。顧問はバケモノみたいなレベルなので自分でもどうしていいのかわからないが、ダブルスである以上神谷さんを狙ってくるのは自明の理、それを自身がどうカバーするのかが試合を決める……となれば、トップアンドバックで神谷さんにはネット前に張り付いてもらい、ネット際を狙わせないようにするのが得策だ。
試合開始に際してネットを挟んで互いに握手をする。
神谷 「よろしくお願いします! 」
上杉 「顧問、手加減無しでお願いします」
高見澤 「校庭十周楽しみね」
顧問 「久々に暴れるぜえー」
全くもってスポーツマンシップに則ってない挨拶に、主審を務める先輩も苦笑いしながら試合開始の合図。
「ラブオールプレイ! 」
最初のサーブ権はこちらで僕がサーバー、それを受けるのはニヤニヤと嬉しそうな顧問だ。ミリ単位でも浮けば叩き返されるのは見えているが、後方へのオーバーサーブは神谷さんを前に行かせるトップアンドバックが出来上がる前にスマッシュを打たれる可能性が高い。何としてでも顧問にはシャトルを上げてもらわなければならない。ショートサーブをシャトルがネットに触るか触らないかの高さで打った。
「リューセー、ビビりすぎだ。ショートだぜ? 」
バドミントンのサーブには入れなければならない範囲があり、短かすぎてもアウトだし、大きすぎてもアウトなのだ。叩き返される事を恐れてシャトルの高さばかり気にした結果、距離が短いという致命的な一点を献上してしまった。
「サービスオーバー、ワン・ラブ」
今度は顧問のサーブを迎え撃つ。目線はこちらの足元ギリギリ、ラケットにシャトルが触れたのと同時に前に出ようとする体を辛うじて反射神経が止めた。放たれたサーブは早く低い弾道でエンドラインギリギリを狙ったロングサーブ。思いっきり体を弓なりに反らして高く遠いハイクリアを返して相手コートを見ると、ラケットを構えずダランとさせた高見澤さんがシャトルを見送っている。
「ホームランアウト―! 」
出遅れたばかりか力の制御も出来ていない、神谷さんをサポートしなきゃいけないのに足を引っ張って二点も先制されている。悔しさと情けなさで奥歯を噛みしめていると、優しく温かい手がラケットを握る手を包む。
「上杉君、大丈夫だよ。私たちペアーだから! 」
神谷さんはニッコリ微笑み、ラケットを高めに前傾姿勢で構える。
「トゥー・ラブ」
次は高見澤さんのサーブ。彼女の放ったショートサーブを神谷さんがハイクリアで返すと、顧問からの強烈なスマッシュ。これを高見澤さんの方にクリアで上げると、『待ってました』とばかりに神谷さんを狙ってスマッシュ体勢。ここで神谷さんの背中をポンと軽く押してネット前ギリギリまで行かせると、スマッシュの態勢に入っているのに前に出てこられたことに驚きながらもそのまま打つ。彼女を前に行かせた以上、必然的にこれは僕が受けることになるのだが、バランスを崩しながら打ったスマッシュの逆側を狙うのはさほど難しくない。低めのドライブで利き手反対方向、ラインギリギリに返した。
「あれはリューセーが上手かった、気持ち入れ替えていくぞ! 」
「サービスオーバー、ワン・トゥー」
今度は神谷さんのサーブ、慎重に打ったシャトルはほんの少し浮いてしまった!これを先方が見逃すはずも無く、ネット前で叩かれる……が、これは想定内。目と体の向きから反応してハイクリアを上げる。そして現在の形は神谷さんが前で自分が後ろのトップアンドバック、理想の守備体型が出来上がった。これだけネット前に張り付かれていてはさすがの顧問も前に落とすことはせず、ハイクリアで返してきたところを高見澤さんの胸元目掛けてスマッシュ。別に変な下心から狙ったのではなく、胸元が一番受けにくいのだ。ラケットが捉えるのよりも早く、シャトルは彼女のユニフォームに触れた。
「トゥーオール」
再び神谷さんのサーブ、今度は速めのロングサーブで相手の態勢を崩し、クリアを上げさせたところを高見澤さんの前にドロップショット。不意を突かれながらも何とか前に出てきてネットをシャトルが越えるも、神谷さんは迷いなく前に突っ込んでシャトルを彼女の足元に叩き落とし、振り向いてニッコリ微笑んだ。これには本人以外の全員が驚きを隠せなかったのは事実。あまりにも迷いの無い動きで、しかもその動きはキレイで、シャトルの頭を斜め下に擦るように素早く美しいプッシュだった。
「神谷さんすごいじゃん! どうやって覚えたの? 」
「高見澤さんからね、最初の内は早い動きになれる為にずっとこの練習をさせてもらっていたの。それがうまくいって良かった! これで逆点だね」
この『これで逆点だね』の一言が、どれだけ安心感と冷静さを取り戻させてくれただろう。
「スリー・トゥー」
今度は高さも距離もドンピシャリのショートサービス、ネット前に上げれば神谷さんが叩くので後方にクリアで上げるしかない状態だが、そこには僕が彼女をロックオンしている。
「ヒロコ、ラケットが低い! もっと上げろ」
顧問の声に反応するより早く、シャトルは彼女の耳元を、髪をかすめるように飛んで行って床に落ちた。
「何やってんだ! ダブルスなんだから狙われるのわかってるだろ! 」
顧問の厳しいゲキに
「ナニコレ、ちっとも楽しくないじゃない! 」
そう言って高見澤さんは自分のラケットをポイとコートに置いて我々に背中を向け、体育館出口に向かって歩き出すも、顧問にユニフォームを乱暴につかまれて止められる。
「どういうつもりだよ、オマエ。あれだけ偉そうな口叩いておきながら、自分が狙われたら面白くないだと? ふざけるのもたいがいにしろ! 」
「だってそうじゃないですか! 男子の上杉君が私ばっかり集中砲火してきて、こんなのプレイでも何でもない、単なるイジメじゃない! 私が女に生まれたばっかりに天才には敵いませんでした、それだけのことでしょ! 」
顧問に胸ぐらを掴まれたまま言い返した彼女の目には悔し涙がいっぱいに溜まっており、持って行き場のない気持ちが痛いほどわかった。顧問は彼女から手を放し、ネット越しに我々に向かって口を開く。
「リューセー、神谷。すまないがこの試合、一旦中止させてもらっていいかな? 私は今からコイツの勘違いに対して指導をしなければならない、その間二人は少し休憩していてくれ」
この言葉の意味を瞬時に理解して体育館倉庫に走り、二人でモップを持ってきて使用していたコートを大急ぎできれいに掃除した。
「なあ、ヒロコ。シングルスが上手いとか女だからとか関係ねぇってことを教えてやるよ。私は現役を退いて何年も経つ同じ女だ、オマエの理屈が合っているとしたなら、私にシングルスで負けるわけねーよなぁ? だって相手は女だし、オマエが得意とするシングルスだもんなぁ? 試合してやるからコートに入れ」
元全日本選手とはいえ、現在は教員。現役から遠く離れているのは確かだし、シングルスを彼女と行うだけの体力があるとは思えない。どう考えたって顧問の方が不利なのに、不敵な笑みを浮かべながら高見澤さんを挑発している。手に持ったタオルを床に叩きつけてラケットを拾い上げて試合が始まり……終わってみればラブゲーム、つまり高見澤さんは顧問から一点も獲れなかったということだ。そして試合時間はものの十数分、あまりにも一方的で猛獣が全力で兎を狩るが如く、残酷な試合は幕を閉じた。
試合を見ての率直な感想……顧問の相手が高見澤さんではなく僕であったとしても、ラブゲームだったかもしれない。針の穴を通すかのような正確無比なショット、バックハンドで楽々とエンドラインまで持っていく力強くしなやかなラケット裁き、そして弾丸のようなスマッシュ。何より、無駄な動きが全くないのだ。ロングだろうがショートだろうがサーブは全てお見通し、どこに打っても完璧に返って来るというよりも、顧問が打ちやすい位置に来るように打たされているという感じだ。偉そうに言うのもお門違いだとは思うが、全日本経験者というのはここまでレベルが違うものかと思い知らされた。
「ヒーロコ! 技術云々よりも圧倒的に練習不足にスタミナ不足! グラウンド二十周走ってこい」
ゼーゼーと肩で息をしている彼女に放たれた的確で強烈な顧問からの指導に、彼女はペコリと頭を下げてフラフラと歩いて行く。
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