第3話 泣き虫
登校して机の引き出しに教科書をしまおうとすると、なにかが引っ掛かる。
(なんだろう)
覗き込むと赤く四角い箱のようなものが。
(バ、バレンタインのチョコを貰ってしまった!)
こんなの初めての経験だからどうしていいのかわからずに、オドオドキョロキョロしていると静かに柚子葉ちゃんが後ろからやってきて、
「気持ちだけど、受け取ってね」
恥ずかしそうに言って自分の席に戻っていった。まわりのイモみたいな男子たちが
「今日バレンタインだよなー、チョコくれよー」
女子にみっともなくせがんでいるのを横目に、バッグの中に他の男子にバレないように赤い箱をコッソリとしまった。なんだかウキウキソワソワ嬉しくて、自分も今まで一部のモテる男子が女子達からチョコレートを貰うのを見ている側だったから
(自分の貰ったチョコレートがバッグに入っているという現実を、他の男子たちに自慢したい)
っていう気持ちをグッとこらえながら、気持ち晴れやかに授業を終えてクラブ活動に入る。
先生の推薦を受けて三月に市が主催する『バドミントン市民大会』に出場が決まっていたので、ここのところ高校生に混ぜてもらって練習をしており、ヘトヘトになって体育館の隅っこに座っていると
「上杉君、練習中ごめんなさい。ある程度できるようになってきたと思うんだけど、フォアハンドとバックハンドの握り替えが出来てない! って顧問に叱られちゃって。でも何を叱られているのかもわからないの……教えてくれませんか? 」
神谷さんに言われ、練習風景を思い出してみる。上達はしてきているもののラケットの振り方がどちらかといえばテニスに近い。体の動きが大きく次のモーションが遅いし、フォアとバックで握り替えをしていないから本格的な基礎打ちを行うには無駄が多すぎる。せっかく『バドミントンが楽しい』と思えるようになってくれたのに、あまり小難しいことを四の五の言ってイヤになってしまうのは本末転倒なので、実際にやって見せながら修正点を探していく。
「頭の後ろの方に飛んでいくシャトルは、基本的にフォアハンドで取ろう。バックハンドで相手が打ちやすくない場所に的確に打ち分けが出来ればいいけれど、これには手首の力や腕の振りも必要になるし、何より相手に背中を向けてしまうことになるから不利になるんだよね」
これを聞いてキョトンとしている神谷さん。まだそのレベルではないと判断して説明を変える。
「もっとわかりやすく話すね。バドミントンのコートって、バレーボールやバスケットに比べると小さいよね。でもシャトルっていうんだけどこの羽根ね、コイツのスピードときたら時速二〇〇キロは楽に超えてくるの。そんなものに追いついていこうと思ったら、神谷さんの動き方では『あっ』と思った時にはもう床に落ちちゃってる。バドミントンはこの羽根を床に落っことしちゃいけないスポーツだから、こんなに狭く見えるコートの四隅全部を動き回らなきゃいけないって考えると、テニスプレーヤーみたいな大ぶりな動きでは間に合わないっていえばわかりやすいかな? 」
真剣な顔でラケットを握りしめてウンウンと頷いている。
「それでね。(テニスに似てるじゃん)って僕も最初思ったんだけど大きく違う点が二つあって、一つ目はさっき言った床に羽根を落としてはいけない、もう一つはボールと違って羽根は垂直に落ちてくるってことなんだ」
「そんなに早く動く羽根なのに、垂直に落ちてくるってどういうことなのかな? 」
小首をかしげて不思議そうにしている。
「実際にやって見せるからコートの中に立って、これから打つ羽根を手で受け取ってみて。強く打たないから大丈夫だよ」
彼女をコートの真ん中に立たせ一本目は軽くドライブ気味に、ちょうど彼女の手のひらの上に置いて来るよう打つ。神谷さんにシャトルを届ける感じという表現が適切かもしれない。二本目はクリア気味に高い弾道で打ち上げ、高い所から手の上に落ちてくるような打ち方をする。こちらは落ちてくるシャトルを彼女が見上げて待っている感じだ。
「一本目に比べて二本目は真上から垂直に羽根が落ちてきたでしょう? これをコートのアウトかインかギリギリのところで見極めなきゃいけないんだ。一本目みたいに動いているものであれば迷ったら打ち返してしまえばいいけれど、二本目みたいに垂直に落ちてくるとなると、この細い線の内側なのか外側なのか、果たして線の上なのかなんてわからないよね? だから落下地点である、隅っこまで移動する必要があるってことなんだ」
「なるほど。ということは、一見狭く見えるコートの中の四隅を常に走り回って、更に二〇〇キロ近いスピードのシャトルにも反応しなくちゃいけないってことかしら? 」
「そうそう! 羽根じゃなくてちゃんとシャトルって言えたね、偉いよ。そうなるとこんな風にバタバタ動いていたのでは間に合わないのさ」
わざと大きな足音を立てながらラケットをブンブン振り回しつつ、バタバタと大袈裟にコート内を走り回って見せた。
「あはは! 上杉君の説明って、凄くわかりやすい! 体育の時間のバドミントン男子ってみんなそんな感じだもの」
お腹を押さえて笑いながら目尻の笑い涙を拭いている彼女の姿はやっぱりかわいらしく、手を止めて見ている先輩たちの視線を感じる。
「じゃあ今度はどんなシャトルの動きに反応しなきゃいけないか、実際に打って見せるからコートの外に出て見ててくれる? 」
そう言って彼女をコートの外に立たせ、顧問にシャトルを上げてもらう。ネットに一番近い右手前、反対側の左手前に落ちるドロップショット。次にネットから一番遠い右後ろと左後ろギリギリのハイクリア、同じく前後左右に打ち分けるドライブショットからのジャンピングスマッシュ。ここで終わりと思いきや、顧問の粋な計らいなのか意地悪なのかネットギリギリにポイと投げられたシャトルを腰を落とし、なるべく少ない歩幅で反対側のコートに返す。その瞬間に一番後ろまでハイクリアを打たれ、急いで体勢を立て直して右足で踏ん張り、体を弓ぞりにして返す。それを片手でヒョイと受け取ったタイミングで顧問が神谷さんに話しかける。
「見たか?これだけの運動量が必要な上に、正確なコントロールとスピードについて行かなくちゃいけない。返すのだって相手が打ちやすいところに返してしまったらとんでもないスマッシュや、こちらの目の動きなどから逆を突かれてヘトヘトにされてしまう。インターハイにはこんな連中ゴロゴロいるが、中学生とはいえリューセーだから今の咄嗟な動きに反応できたけれど、初心者じゃまだ無理だろうな。それにヤツといえども返す場所が甘い、相手が私だったら楽勝で顔面を狙えるレベルだ。ちょうどいい、振ってやるからどれだけ動かなきゃいけないのか神谷に見せてやれ。甘く返ってきたら容赦なくぶっ叩くからそのつもりで」
いつもの練習よりもハードな顧問直々のシゴキだ。しかもペースがもの凄く早い! そしてちょっとでも甘く返ろうものなら胸もとへの早いドライブやネット前ギリギリのヘアピン、コート枠スレスレのスマッシュを打ってくる。どれくらい時間が経っただろう……まるでシングルスフルセットやったくらいの疲労と酸欠で、足がもつれて派手に仰向けで転んでしまった。神谷さんが見ているということもあり結構頑張った方だと思うが、このシゴキはさすがにキツイ。
「上杉君! 」
踏ん張りが効かなくて転んでしまった姿を見て、神谷さんが急いで駆け寄ってきた。優しく自分のタオルで汗だくの顔を拭いてくれている。
「だ、大丈夫。それより君のタオルが汗臭くなっちゃうから」
「ううん、そんなこと気にしないで。私に見せてくれる為にこんなに頑張ってくれたんだもん、こんな事しかできなくてごめんね」
そして反対の手に持っていたストロー付きスポーツドリンクを飲ませてくれる。
(僕はこんなお洒落なドリンク持ってない! ってことは……これは神谷さんの?)
ゴクゴクと飲んでしまってから気が付いた。
「ご、ごめん。つい飲んじゃった! ちゃんと洗って返すから。わざとじゃないから」
慌てる顔をタオルで拭いてくれながら、彼女はニッコリ微笑んで言う。
「私が差し出したんだもん、気にしないで。それに私はずっと上杉君を見てきて、あの時騒がれたリコーダーみたいなことをする人じゃないっていうのはわかってるから。水分足りてないでしょ? よかったらもっと飲んで」
差し出されたストロー付きスポーツドリンクをゴクゴク飲んで、顧問が投げてくれたタオルで滑らないように床の汗を拭いて立ち上がったその時。
見えない様に後ろ手に持っていた小さな包みを、神谷さんは少し恥ずかしそうに両手で僕の前に差し出した。
「あのこれ……今日バレンタインだから作ってきたの。受け取ってもらえたら嬉しいな」
「も、もちろんでふ!ありがとうございます!」
今まで一つも貰ったことない(母さんは除く)のに、女の子から二個もバレンタインチョコを貰ってしまった! 声を裏返しながら深々とお辞儀をしている姿を見て、顧問が走ってきた。
「おいリューセー、神谷が困ってるぞ? 表彰状貰ってるわけじゃないんだからもっとスマートにだな……まあ多分こういうの初めてだと思うから神谷も勘弁してやってくれ。おい、みっともねえから泣くな! さっさと顔上げて受け取ってあげないと神谷がかわいそうだろ! 」
感動と驚きにお辞儀をしたままポロポロと泣いていた。先生の声を聞いてリストバンドで涙を拭き、
「ありがとう、取り乱しちゃってごめん。嬉しくって」
両手で大切に受け取ると、またこみあげてくる。
「だーかーらー、女の子が困っちゃうから泣くな! ダーメーだこりゃ。大事なチョコレート、さっさとカバンにしまってこい! 」
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