ラクダのラック

固ゆでたま子

ラクダのラック

 ミツコは言った。「貴方の性格って、例えていうならそう、砂漠の砂よ」


 俺は尋ねた。「それは大量の砂か? それともサハラ砂漠の観光客が偶然一握りした一握の砂か。はたまた、ほんの小さなひと粒の砂のことか?」


「大量の。真昼、なだらかに連なる砂の起伏が女の身体に見えるという、例の視界一面に広がる砂漠の砂よ」


「俺はそんなに女体を欲したか? 一体俺の性格のどこが砂漠だというんだ」


「これ以上無いという程乾き切っている――、そのくせ熱い。触れるものの体力を奪い、その土壌からはただの一本の草木すら生まれない。そういうことよ」


 随分な言いようじゃないか、と俺は思った。

 確かにドライなところはある。しかし俺の心にそんなに熱いところがあっただろうか? ミツコとの喧嘩だって、課長の朝礼の挨拶より静かにやってる自信があるのに。

 俺は彼女に返した。「なら君の性格は、例えていうなら何だ? その類まれな比喩の才能の持ち主は、自分の性格を何に例えるんだ?」


 己の性格というのは往々にして、鏡で自分の背中を見る様に、わからないものだろう。見えていると錯覚したものが実は左右反対ということもある。左右反対にならない鏡などあるか? しかも自分を綺麗に見せようとして風呂上がりにでも鏡を覗き込んだものなら――曇って正しい姿を映さない。


 俺は合点がいった。彼女は精々自分の性格をダイヤモンドか何かに例えるに違いない。傷に強く、綺麗で、高価なダイヤモンド。しかしその実、引っかき傷には強いが恒常的圧力には弱く、綺麗だという一点において評価されるがついに他人なくして自己正当化は叶わず、高値がついても実は炭素の塊でしかなく――


 彼女は言った。「私の性格は、砂漠で待つ女」


 俺は、的を外れて壁に突き刺さったダーツのような、途方もなく虚を突かれた、無力な心境で、その返答を咀嚼した。


「……何だって?」


「砂漠で、待つ女」


「何を?」


「夜を待つ女よ」


 昼、酷暑に疲れた私は、瞼を開ける元気もなく睫毛を伏せたラクダの身体を陰にして、ぐったりと座り込んでいるの。

 風など吹こうはずもなく、ましてや雨なんて。

 ラクダの心臓の鼓動と、老人の寝息のように儚く遅々とした一秒一秒を胸に感じながら、太陽に焼かれて夜を待つの。


「……それで?」


 やがて夜は来る。星々が瞬き始める頃、ラクダは死ぬ。砂漠の冷気はラクダの死体の冷気なのよ。 知ってた?


――いや、知らなかったな……それで、夜空には綺麗な満月が浮かんでいる訳だ。青白い満月。そうだろう?


 満月? 満月ですって? それこそ私がもっとも忌避するものよ!

 私が待つのは、単なる、小さな、子供が針で開けた穴のような、無数の星々。一体その星々のどれが、死後の世界で、どれが天国で、どれが地獄で、はたまたその全てが、ひょっとしたら私のこれまで犯した悪徳を見つめてきた神々の瞳なのかもしれないとか、そういうことを考えながら、そうしている内に、昼夜の寒暖差と水分不足で私は倒れ伏すの。


「君は単なる死にたがりか。自分が死ぬのを待っていたのか」


「そうじゃない。 私が倒れた後は、別のラクダを引き連れた行商人の男が現れるの。 既に死んだラクダと、もうすぐラクダと同じ運命を辿る私を哀れに思って、水筒の水とブランケットを与えてくれるの」


「そんな親切な男、都合が良すぎる。決まりきったお約束じゃないか。まるで3時の次に4時がくるみたいだぞ」


「うるさい。その男とは貴方のことなのよ? それで男は、意識を取り戻した私を横目で眺めながら、ラクダに鎮魂歌を捧げ、『魂さえ慰めてしまえば、あとは喰っちまったほうが良い』と言って、ばっさばっさとラクダの肉を捌き始めるの。 私はラックという名前を付けていたのよ――? そのラクダにね」


 彼女はゴホンと咳払いすると、まるで地蔵のように黙った俺を、まるで地蔵を眺めるように眺め、コップに半分入ったジュースを静かに飲み干して続けた。


 ラクダのラック……。

 男の鎮魂歌は嘘だったのよ。多分、ポッケに隠したSONY製のカセットウォークマンから、録音を流していたんだわ。そうだとしたら、不敬というか、滑稽。SDGsとかと同じ類の滑稽さ――というのはもちろん冗談だけど、私は別にそれでもいいの。


 私の内には二つの心境が同居している。なんて野蛮な男に助けらてしまったんだろうという嘆き、そして、なんて美味しいラクダの肉だろうという驚き。  

 彼は私を生きたラクダの背に乗せ、自分は都を目指して、ラクダを引いて歩き始めた。


 私は思う。ああ、このままラクダの背で死ぬもよし。都に着いてこの男と結婚するもよし。どっちでもいいや、どうでもいいや――ってね。


「どう? これが貴方の性格を、砂漠の砂と例えた理由よ」


「……まったく、何というか、君が俺と結婚したいと思っていたなんて知らなかったよ」


 俺のどぎまぎした様子に、彼女は至極満足したようだった。


「でも、聞いていいか?」


「なんでも、なんなりとどうぞ」


「どうしてラクダが人間より早くくたばるんだ」


 思うに、こういうことを言ってしまうのが、俺の性格がドライなくせに熱いと言われてしまう所以なんだろう。




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ラクダのラック 固ゆでたま子 @KatayudeTamako

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