第20話
(非公開エピソード後)
「……ユェン、好き。……ずっとこうしていたい」
体を伝う汗やら体液やらで、ルオとともに龍脈の一部になってしまった気がする。これまで孤独に堪えていた体が溶けて、完全に制御をはずれた液体になった感覚だ。それはひどく無防備だが、あたたかく、そして満ち足りたものだった。
これが身を委ねられる家のある感覚か、とユェンは思った。
ずっと一人で立ってきた。
ユェンは大きく息をつくと、ルオに抱かれ、力の抜けた自分の体を許した。
くったりと緩んだユェンにすぐに気付いたルオは、嬉しげに目元を溶かす。
「ずっとこうしたかった。もう離れたくない」
「はは、嫌になってもこれからは八年はこうやって漂ってるしかないじゃないか」
汗に濡れたルオの黒髪を耳にかけてやり、ユェンはあらわれた愛しい男の口を吸った。
「………………ユェン、怒らないで」
ぎゅうとユェンを抱え込んでルオは小さく呻いた。
「その……、……八年は嘘。いつでも出られる」
「はぁ?!」
「ずっと離れていたから、私はユェンを独占してもいいはず。そう思ったら思わず……」
「出られるってお前の体がどこか失われるとか、そういうこともなくか?」
「龍脈はただの道。出るのに捧げるものはいらない」
「出たら人間界では十年経ってたとかは?」
「ない。睦合ってた半刻ほどがたっているだけ。たぶん水の匂いからして、麦畑から西湖に流れた。いま龍脈から出れば、ちょうど西湖の真ん中辺りに出ることになる」
「……っ、こっっのバカ! バカルオ! いますぐ出るぞ!」
「もう少し二人でいたい」とごねるルオの尻を叩いて、ユェンは龍脈を抜け出した。
温度のない暗闇を浮遊していた体が、冷たい緑色の水に包まれる。ルオに抱えられて魚影を見ながら、ユェンはきらめく湖の水面をめざした。
まさに西湖に真ん中に浮き上がった二人は、小舟の船頭に運良く発見されることとなった。
ユェンが西南に渡るのに乗った、あの小舟
である。船頭の老人は腰を抜かすほどに驚きながらも、二人を小舟にあげてくれた。
「お前……また乗れとはいったが、湖のど真ん中から乗るとは……老いぼれの肝を冷やして楽しいか? あ? 水妖怪かと思ったぞ!」
「俺だってこんな乗り方したくなかったぞ!」
「お世話になります、爷爷」
びしょぬれの男二人を乗せ、舟底は軽く浸水状態だ。ルオが湖水を滴らせたまま、丁寧に拱手をとり頭を下げるのに船頭は戸惑ったらしい。得体のしれなさに、ユェンの肩に張りつくように身を寄せてきた。
「しかもえらい顔のいい男が増えとるじゃないか! な、なんじゃコイツは! えらく礼儀正しいな! ずぶ濡れのくせに! 西湖の神仙か何かか?!」
龍である。
「あぁ、褒めてくれてありがとう。コイツは俺の……あー……その」
愛しい龍だ、というわけにもいかず、ユェンは自分でもよく吟味しないまま言葉を選んだ。
「なんだ、その……夫君だ」
「夫君です」
隙なく肯定してくるルオは、言質をとったと言いたげな珍しく悪い
緑の湖面を見渡すと遠くに帆船が見えた。西南を去ってゆく豆粒のようなその影は竒王の船だ。不利な状況に甘んじて身を置く男ではない。すぐにあの場から撤退したのだろう。
あんなに強大だと恐れていたものが、西湖のなかではこんなにも小さいのか、とユェンは思った。
竒王が去ったのなら、ユェンが向かうべきところは一つだった。
「舟を濡らしたことは申し訳ない、とにかく全速力で西南に向かってくれ。メイレンが泣いてしまう! 頼む! 西南に早く!」
西湖は周囲の山々を映し、今日も緑色に染まっている。その凪いだ湖面を、もたもたと小さな櫂舟が進みはじめた。
黒龍の駆けるさきには想い人がいて、その地には美しい花が咲く。龍の足跡は黄金に光り、豊穣の地は百年続く。
西南から生まれた一途な龍の恋話は、長く長く人々に愛された。
花咲く黒龍の駆けるさき シメサバ @shimesabbat
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