襲撃

夜の帳が降り始めた頃、コウタとエレナは商家での授業を終え、並んで宿へと向かって歩いていた。

今日は穏やかな一日だった。

算術と錬金術の授業が順調に進み、エレナとも親しくなってきたコウタは、ほんの少しだけ緊張を解くことができていた。


しかし、その油断が危険を招くとは、この時は思いもよらなかった。


「コウタ先生、今日の授業も本当にありがとうございました。おかげでだんだん算術が分かるようになってきました」


「いや、エレナ先生こそ、錬金術の知識を分かりやすく教えてくれて助かっていますよ。僕ももっと勉強しなきゃ…」


そんな軽い会話を交わしながら、二人は街の小道を進んでいた。

その時、コウタは背後に気配を感じた。

ふと振り返ると、三人の男たちが不自然に彼らの後をつけていることに気づく。


「なんだろう…?」


コウタは眉をひそめ、警戒心を高めた。

しかし、同時に胸が騒ぎ始める。

相手は体格が良く、重装備を身にまとっている。

しかも、こちらに向かって着実に歩み寄ってきている。


「おい、そこの嬢ちゃんたち、少し話をしようじゃねえか」


粗野な声が背後から響き渡った。

その瞬間、コウタの心臓が凍りついた。

男たちは明らかに彼らを標的にしている。

しかも、「嬢ちゃんたち」と呼ばれたことに違和感を覚えた。

コウタの長い髪と細い体格のせいで、遠目には女性二人組に見えてしまったのだ。


「コウタ先生…」


エレナが不安そうな声でコウタに囁いた。


「…やばい、逃げよう」


コウタは静かにエレナの手を引き、道を急ごうとしたが、男たちはさらに距離を詰めてきた。

そして次の瞬間、一人の男が刃物を取り出し、冷たい鋼の輝きが街灯に反射した。


「おい、逃げんなよ」


コウタの膝は恐怖で震えた。

刃物を向けられた瞬間、頭の中が真っ白になり、体が言うことを聞かなくなった。

エレナもその場に立ちすくみ、二人は完全に動けなくなってしまった。


「ほら、静かにしてれば痛い目に遭わねえよ」


一人の男が低く笑いながら近づいてくる。

その体格は驚くほど大きく、まるで戦士のようだった。

彼はゴツゴツした鎧を着込み、刃物をちらつかせながらコウタたちを威圧していた。

コウタは震える足で一歩後ずさりしたが、相手の目つきが鋭く光り、すぐにその場に留まらざるを得なかった。


「くそ…こんな時に、どうすれば…」


彼は心の中で叫んだが、何も策が浮かばない。

無力感が全身を包み込み、目の前に迫る恐怖に打ちひしがれていた。


「嬢ちゃんたち、いい加減にしろよ。さっさとこっちに来い!」


もう一人の男が乱暴に声を上げた。

その瞬間、コウタの背後から男たちが襲いかかり、彼とエレナは瞬く間に拘束されてしまった。

男たちの動きは素早く、その巨体にも関わらず、彼らの恐るべきスピードにコウタは圧倒された。


「は、速すぎる…!」


コウタの体は力なく地面に引き倒され、男たちの手によって完全に拘束されていた。

一方、エレナも同じように捕まり、無理やり引きずられそうになっていた。


「エレナを…連れて行かないでくれ!」


コウタは必死に叫んだが、男たちは笑いながら耳を貸さなかった。


「おいおい、お前男だったのかよ、ヒョロい男だな。

静かにしてろって言っただろ?この嬢ちゃんは俺たちがもらっていく」


男たちは笑いながら、エレナをそのまま連れ去ろうとしていた。

コウタはその光景に愕然とし、必死に体を動かそうとするが、完全に押さえ込まれた状態では何もできなかった。


「くそっ…!」


その時、突如として金属のぶつかり合う音が響き渡った。

コウタが目を開けると、目の前にギルと彼の仲間たちが現れていたのだ。


「お前ら、何をしているんだ!彼女を離せ!」


ギルが鋭い声で命じた。

彼の姿を見た瞬間、男たちの顔から笑みが消えた。

ギルたちは、ギルドでも有名な冒険者パーティーだった。

その名は街中で知られており、実力者としての評判が高い。


「ちっ、ギルの奴らかよ…」


男たちのリーダー格と思われる人物が舌打ちをし、エレナを放り投げるように手を離した。

ティナが素早くエレナを救い出し、彼女を安全な場所に誘導した。


「お前たち、ギルドの仕事をしてるからって、無法を働いていいと思うなよ。ここで悪さをしても、見逃されるとでも?」


ギルは剣を抜き、男たちを睨みつけた。

だが、相手は怯むことなくにやりと笑った。


「フン、俺たちの実力は知ってるだろう?ギルドだって、俺たちを処分できやしねえんだよ。ランクも高いし、任務はちゃんとこなしてるからな」


男たちは不敵な笑みを浮かべたまま、ギルの言葉に挑戦的な態度を見せた。


「確かに、ギルドでもお前たちの噂は聞いている。実力はあるが、悪さばかり働く…ただ、今度ばかりは見逃さないぞ。確実な証拠を掴めば、お前たちの好きにはさせない」


ギルの言葉に、男たちは一瞬黙り込んだが、すぐに鼻で笑い飛ばした。


「証拠だと?そんなもの残さないさ。俺たちは常にギリギリのラインを狙ってるんだ。だから処分されねえんだよ」


「そうか。だが、今のこの場ではお前たちが不利だな。ここで引き下がらなければ、覚悟してもらうことになる」


ギルの仲間たちも次々と武器を構え、男たちを取り囲んだ。

彼らが優勢であることは明らかだった。

悪漢たちは不満そうに舌打ちをしながらも、ゆっくりとその場を去っていった。


「覚えておけ、次は逃がさねえぞ」


男たちはその言葉を残し、闇の中へと消えていった。

コウタは体の力が抜け、その場に崩れ落ちた。


ギルたちが駆けつけたことで、何とか難を逃れた二人。

エレナは無事だったが、コウタの胸には深い無力感が残っていた。自分はエレナを守れなかったという事実が、彼の心を重く押し潰していた。


「コウタ、大丈夫か?」


ギルが優しく声をかけた。


「うん…でも、僕は…」


コウタは膝に手をつき、悔しさに顔を歪めながら立ち上がろうとしていた。

彼の中で湧き上がる無力感が、胸の奥に深く突き刺さっていた。


「僕は、何もできなかった…エレナを守れなかったんだ」


彼の声は小さく、震えていた。

エレナが無事であることにほっとした一方、自分の弱さを痛感していた。

あの悪漢たちが重装備でありながら、あれほどの速さで追いかけてきたこと、そして自分が無力であったことが心に深く刻まれていた。


「すいません、私ほとんど実戦の経験が無くて、魔術の精神集中も気が動転して…何も出来なかった…コウタ先生、大丈夫ですか?」


エレナが心配そうに近づいてきた。

彼女の顔には疲労が滲んでいたが、何とか笑顔を作って彼を安心させようとしているのがわかった。


「エレナ先生…僕は、君を守れなかった…」

コウタは彼女に目を合わせられず、唇を噛み締めた。

彼がどれだけ無力かを痛感するたびに、その悔しさが増していく。


ギルが肩を軽く叩き、優しい目でコウタを見つめた。


「コウタ、誰だって最初は無力だ。俺たちだって、最初はそんなもんだったさ。でも、それをどう受け止めて、どう成長するかが大事なんだ」


その言葉にコウタは少しだけ顔を上げた。

ギルの冷静で優しい態度は、コウタにわずかな安堵を与えた。


「それに、あの連中はギルドでも有名な悪党どもだ。実力もあるし、証拠を残さないやり方が巧妙で、今まで処分できなかったんだ。ランクも高いし、討伐任務をしっかりこなしてるからな…俺たちも手を焼いてる」


ギルの説明に、コウタは驚きと苛立ちを感じた。


「そんな奴らがギルドに所属しているのに、どうして…」


「簡単には処分できないってのが、ギルドの難しいところだ。証拠がなければ何もできないが、今回のことも目撃者がいなければ、同じことだろう。衛兵もいるにはいるが、捜査なんて事は貴族が死ぬとかそんな時ぐらいしかしない。冒険者の命なんて彼らにとってはどうでも良い存在だからな」


「だけど…エレナ先生が連れ去られそうになったんだ…」


コウタは声を震わせた。

自分の中で怒りと悔しさが入り混じり、どうすることもできない無力感に苛まれていた。

ここは、日本じゃないんだ。

自衛できる力がなければ全てを奪われてしまうかもしれない。


ギルは静かに頷いた。


「わかってるさ。だけど、お前は今回こうしてエレナを守りきったじゃないか。俺たちが来るまで持ちこたえたんだ。それだけでも大したもんだよ」


コウタはギルの言葉を受け止めながらも、まだ自分の弱さに向き合うことができなかった。

それに対して、エレナは優しく微笑みながら言った。


「コウタ先生、大丈夫です。私が無事だったのはあなたのおかげです。あなたが私を守ろうとした気持ちだけで、私は十分に救われました」


エレナの言葉はコウタの心に響いた。

彼女が信じてくれているという事実が、少しずつ彼の心を癒していくようだった。


「でも…もっと強くならなきゃ。今のままじゃ、僕は誰も守れない…」


コウタの言葉に、ギルは頷きながら続けた。


「その通りだ。お前がもっと強くなりたいなら、方法はいくらでもある。魔術もあるし、冒険者として戦う術を学ぶこともできる。重要なのは、お前がどう決断するかだ」


コウタはギルの言葉に真剣に耳を傾け、次第に決意が固まっていくのを感じた。

彼はこのまま弱いままでいるわけにはいかない。

エレナを守るためにも、自分自身のためにも、強くなる必要がある。


「僕…強くなるよ。エレナ先生を守れるくらいに。もう二度とこんな思いはしたくない…」


その言葉に、エレナも深く頷いた。「私も、もっと力をつけたいと思います。実は…魔物を倒すことで魔力を増やすことができると聞いたことがあります。私も今まで戦ったことはありませんが、それを試す時が来たのかもしれません」


「魔物を倒す…?それって、いわばレベルアップみたいなものなのかな…?」コウタは思案しながらも、その考えを口に出すことはしなかった。彼の頭の中では、ゲームのような成長の仕組みが浮かんでいたが、この世界のことをまだ完全には理解できていなかった。


「そうだな。まずは、俺たちが力を貸すよ。ギルドで情報を集めて、一緒に動けることを考えよう。悪漢どもを野放しにはできないからな」


ギルが手を差し伸べ、コウタはその手をしっかりと握った。彼は今度こそ、自分自身に誓った。この世界で生き延び、エレナを守り抜くために、もっと強くなる決意をしたのだ。

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