わたしの思い



「菜乃子さん、こんな感じでいいですか?」


「うん。花ちゃん、盛りつけがすごく上手。わたしが、コツを教えてもらいたいくらい」


 金曜日の今日は、亮太郎の実家で夕食をとることになっていた。仕事が早上がりのわたしが、一足先に準備のお手伝いに来ているというわけ。


「でも、花ちゃんに 『菜乃子さん』なんて呼んでもらえるの、まだ慣れなくて、照れちゃう。すごくうれしいんだけど」


 あれから、亮太郎のお母さん、菜乃子さんの健康面は問題なく、元気を取り戻していて、わたしと亮太郎の結婚もとてもよろこんでくれた。


「お母さんとか、かえって申し訳なくて。なんだか、年齢が相当上の人みたいで」


 ……わたしのお父さんも、名前呼びしてるし。


「実際、相当上じゃない。だって、類く……花ちゃんのお父さんとお母さんと、同じ歳だもの」


「そうなんですけど」


 と、そこで、インターホンの音。


「亮太郎かな? それとも、尚くんかな」


 コンロの火を止めて、菜乃子さんがドアを開けにいくと。


「こんばんは。今、向こうの実家から、洋梨がたくさん届いたの。菜乃子さん、好きだったでしょ?」


 玄関から、なんとなく聞き覚えのある、女の人の声。


「わあ、ありがとう。大好物。今日ね、亮太郎と花ちゃんを呼んでるの。よかったら、沙羅ちゃんも寄っていかない?」


 名前を聞いて、思い出した。亮太郎のお父さんの妹さんの、沙羅さんだ。結婚式の日、あいさつだけさせてもらったっけ。わたしのひとつ上の息子さんがいるようには全然見えない、ちょっとクールな感じの綺麗な人。


「じゃあ、時間もあるし、お言葉に甘えちゃおうかな。花ちゃん、お邪魔します」


「こんにちは。先日は、ありがとうございました」


 改めて、式のときのお礼を伝えると、沙羅さんは優しく微笑んだ。


「亮太郎のこと、よろしくね。それにしても、今日みたいな普通の格好だと、よけいに類くんにそっくり」


「沙羅さんも、父と面識があったんですか?」


「一時期ね。そんな何回もは」


「そうだったんですか」


 なんとなく、“一時期 ”という言葉に引っかかるものを覚えつつ、深く考えないで、息子さんの近況なんかを聞こうとしたら。


「あ。沙羅ちゃん、車? ノンアルコールビールがよかったよね」


 キッチンの奥の方から、菜乃子さんの声。どうも、ノンアルコールビールを切らしているっぽい口ぶり。


「わたし、買ってきます」


「いいのよ、花ちゃん。わたしは、お茶でも何でも」


「いえ、せっかくだし、わたしも必要なものを思い出して。沙羅さん、ゆっくりしててください」


「ごめんね、花ちゃん。ありがとう」


 菜乃子さんと沙羅さんにお礼を言われて、外に出た。そうだ、お酒があまり得意じゃない亮太郎にも、何本か買っておいた方がいいかな。


 仕事はもう終わってる時間だろうから、連絡してみようかと思ったところで、携帯を置いてきてしまったことに気がついた。一応、取りに戻ることにして、鍵の閉まっていなかった玄関のドアを開けると、リビングの方から話し声が聞こえてくる。


「結局、どうして、響は式に来なかったの? 来ることになってたんでしょ?」


 沙羅さんの声。今、沙羅さん、響くんのこと、呼び捨てだった……?


「それが……前日から、こっちには来てたらしいんだけど、当日急用ができたって。だけど、ちょっと不自然だよね。直前になって、沙羅ちゃんとか、お義母さんに会うのが気まずくなっちゃったのかな」


「もうずっと前の話なのに、そんなことを気にするほど、響は可愛くないよ。やっぱり、類くんと璃子さんの結婚式も出席する予定だったのに、結局来なかったっていうのと同じ理由じゃない?」


 ……待って。いっぺんに、たくさん情報が入ってきすぎて、頭で処理できない。


「類くんたちのときと同じ? どういうこと?」


「響、花ちゃんのこと、ずっと可愛がってきたんでしょ? 自分の大好きな花ちゃんが亮太郎に奪われちゃうところ、見たくなかったんじゃない?」


「まさか」


「菜乃子さんのその顔。菜乃子さん、響嫌いだもんね、昔から。そんなに嫌わないであげて……なんて、無理か。響がよけいなことしなかったら、菜乃子さんはお兄ちゃんなんかと結婚しないで、類くんといれたかもしれないしね」


 ドア越しの沙羅さんの口調は冗談っぽいけど、どこまで冗談と取ったらいいのか、わからない。


「そんな昔のこと……たしかに、響くんは今でも少し苦手だけど。でも、沙羅ちゃんと響くんのことは、心から応援してた。なのに……」


「それも、とうに昔のことになっちゃったけどね。でもね、響に会えることは楽しみにしてたの。だから、残念だったなと思って。多分、わたしにとっての響は、菜乃子さんにとっての類くんみたいなもの。ただね」


 一呼吸置いてから、沙羅さんが続ける。


「お兄ちゃんに話を聞いただけだけど、響、一度結婚の約束までした彼女とも直前で別れちゃったりしたって」


「そんなこともあったみたいだよね。それも……」


「うん。わたしも最初は、また璃子さんなのかと思った。だけど、ちょっと違う気がしてきたの」


 盗み聞きなんて、しちゃいけないこと。でも、体が動かない。


「響は、自分を好きな人を好きになれないんじゃないかなって。逆かな。自分が好きになった人が、自分を好きになるのが怖いの。わたしのことは、それほど好きじゃなかったから、つき合えたんだと思う」


「そんなの、おかしくない? 好きじゃないなら、つき合う必要ないじゃない」


 菜乃子さんが、少しムキになっている。わたしも、そこは菜乃子さんに同感だった。


「普通に、満たしたい欲はあるわけでしょ? でも、ほら。響は神経質だから、得体の知れない相手だと、病気とか考えちゃったりね」


「そんな……」


「それはいいの。それなりには好きでいてもらえたし、大事にもしてもらえたから、いい思い出しか残ってないんだ、不思議と」


 いつか、亮太郎が言っていた。わたしの知らない、響くんのことも知ってるって。こういう話のことだったのかもしれない。


「で、さっきの話に戻るけど。考えてみたら、わたしと響がつき合い出したのって、類くんと別れてた時期の璃子さんが、本気で響を好きになりかけてた頃なんだよね」


「そうなの……?」


「そう。響が璃子さんを好きなのは、璃子さんが類くん以外に目を向けないから。絶対に自分のことは好きにならないって、わかってるから。その証拠に、璃子さんの気持ちが本格的に自分に向き出したとたん、わたしに逃げたんだもの」


「……ちょっと、響くんを見る目が変わった。ただ、気まぐれで周りを振り回してるだけだと思ってたけど」


「そうでしょ? だから、式に欠席したのもね、まだ幸せになれてないんだろうなって」


 それは、違う。式に出てもらえなかったのは、このわたしのせい。でも、ここで出て行って、訂正するわけにもいかないし。


「あ、開いて……あれ? 花。どうしたの? こんなところで」


「…………!」


 亮太郎が帰ってきちゃった。


「ううん、あの……」


 そこで、亮太郎の持っているスーパーの袋に目をやると、中に入ってるのは、ノンアルコールビール。


「ちょうどよかった。これ、ちょうだい」


「え?」


「帰りました。途中で、亮太郎にも会って」


 戸惑う亮太郎の手を引っ張りながら、リビングのドアを開ける。


「おかえりなさい、花ちゃん。ありがとう。亮太郎も、お疲れ様」


「うん。あ、沙羅ちゃんも来てたんだ?」


「そうなの。菜乃子さんのお料理をいただきにね」


 亮太郎が席に着いたところで、亮太郎のお父さんも到着。


「ただいまー。あれ? なんか、みんなそろってる」


「ふふ。じゃあ、早速乾杯ね」


 菜乃子さんがグラスを運んでくる。わたしは、笑顔でビールをつぎながら、沙羅さんの話していたことを振り返っていた。


 響くんと沙羅さんがつき合っていたことには、それほど驚いていない。きっと、すごくお似合いな二人だったんだろうなと思う。


 響くんがわたしのお母さんを本当に好きだったことも、今は置いておいて。


 頭から離れないのは、どうして、響くんは自分の好きな人に想われるのを嫌がるのかということ。それは、人を信じられない気持ちが根底にあるからとしか、考えられない。


 そんな響くんに、わたしは、いちばんしてはいけないことをしたんだ。響くんは、わたしが亮太郎との結婚を決めたことをよろこんでくれていた。心から、わたしが亮太郎を好きになれたと思って……ううん、あのときはもう、実際に好きだった。


 それなのに、あんなことを響くんに頼んだりして ——————。


「……亮太郎」


「ん?」


 亮太郎と手をつなぎながら、帰り道を歩いた。


「亮太郎がそばにいてくれて、よかった」


「俺も。花がいてくれて、うれしい。しかも最近、俺のこと、前より好きになってくれてるでしょ?」


「……わかる?」


「えっ? 否定されるかと思ったのに。何? それ。可愛いすぎて、変になりそう」


「バカ」


 マンションに着くなり、亮太郎に抱かれた。自分でもわかるの。どんどん、亮太郎に夢中になっていっているのが。亮太郎に色気を感じて、自分からも亮太郎を求めたくなるくらい。


 何が正解で何が間違いなのかは、わからない。でも、この世界に意味のないことはないはず。式の前日の件があったからこそ、わたしと亮太郎の今のつながりがあるのかもしれないし。


 でも、誓うからね。


 わたしは、二度と亮太郎を裏切らない。今、誰よりも大切で愛おしい亮太郎の想いに、一生応え続けていく。





「わあ、花。ひさしぶり」


 うれしそうに出迎えてくれる、お母さん。


「亮太郎くん、出張なんでしょ? ゆっくりしていけるんだよね。お父さんもよろこぶよ。もう少しで帰ってくるんじゃないかな」


「うん。ごはん作ってもらえるって、いいなあ。ごめん、ちょっと昼寝しちゃう。今朝、早かったの」


 なつかしいソファに寝転び、iPod のイヤホンをはめた。


「あれ? もしかして」


 お母さんが、目ざとく近づいてくる。


「それ、響くんのじゃない?」


「そう。いいでしょ? 結婚祝いに、もらったの」


 わたしは、沙羅さんや菜乃子さんみたいに、響くんに抱いてきた想いを、青春の1ページのようにはとらえられない。この胸の痛みは、きっと永遠に消えないんだと思う。


「いいな。見せ……」


「だめ」


 中を見ようとしているお母さんから、すぐに取り上げた。


「花のけち……!」


「けちでいいよ。これは、わたしだけのものなの」


 中には、お母さんの iPodときっと半分以上重なった、いろいろな時代の曲。それと、作成されていたプレイリストが、ただひとつだけ。タイトルは、忘れもしない、あのパークハイアットの夜の8ケタの日付。


「い、いいもん」


 くやしそうに、キッチンに戻っていく、お母さん。


 響くんがどんな人であろうと、誰を好きであろうと、わたしの中の響くんは特別なままで。いつか、もう一度、響くんに認めてもらいたいという気持ちが変わることはない。


「亮太郎くん、どこに行ってるの?」


「仙台だって。笹かま、うちの分も頼んでおいたよ」


「わー、ありがとう」


 明日は、亮太郎の大好物のポトフを煮込んで待っていよう。亮太郎のよろこぶ顔を想像して、わたしは幸せな気持ちで眠りについた。



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