わたしの結婚



「おはようございます」


「あれ? 亮太郎くんも、こっちに来てたの? 早いね、おはよう」


 わたしと待ち合わせ場所のロビーに現れた亮太郎を見て、お母さんが少し驚いてる。結局、朝までついていてくれた、亮太郎。泣き疲れたのか、気がついたら、わたしはベッドの中で朝を迎えていた。


 そのわたしの手を握って、ベッド脇の椅子に座ったまま、亮太郎も眠っていた。そんな亮太郎のおかげで、だいぶ気持ちを静めることはできたけれど。


「お父さんは?」


「あの、実はね」


 言いにくそうに、お母さんが口を開く。


「響くんが、どうしても帰らなきゃいけない用ができちゃったみたいなの。今、外まで送りに出てる」


「……そう」


 そうだった。響くんには、二度と会わないと言われていた。


「あ、遊佐くんが戻ってきた。遊佐くん……!」


 お父さんを見つけて、お母さんが駆け寄っていく。そのようすを、ぼんやりと遠目に見ていると。


「いい人だね、響くん」


 亮太郎が、ぽつりとつぶやいた。


「え……?」


「響くんなら、今日一日何食わぬ顔で座ってるくらい、簡単なことだったと思うよ。でも、そんな響くんの前で、俺は普通に笑っていられる自信なかったから」


 そのとおりだと思った。いつまでたっても、わたしは周りが見えない。


「花」


 お母さんと一緒に、お父さんが近づいてくる。


「途中まででもって引き止めたんだけど、どうしても戻らないわけにはいかないらしい。お祝いだけ預かったから、夜にでも電話しておけよ」


「……わかった」


 お父さんの言葉に、小さく答えると。


「大丈夫。あとで、俺がしとく」


 亮太郎は、わたしだけに聞こえる声でそう囁いてから、わたしのお父さんとお母さんに短いあいさつをして、親戚の人を迎えに自分の家に戻っていく。


 亮太郎への感謝しかなかった。


 式が始まって、お父さんとバージンロードを歩いているときも、写真の撮影をしているときも、親戚や友達と談笑しているときも、わたしには亮太郎しか見えていなくて。


 どうしたら、わたしは亮太郎を幸せにできるだろう? ただ、それだけを考えていた。





「あー、よかった。無事、終わったね」


 友達が企画してくれた三次会まで顔を出したあと、ホテルに戻ってきた、わたしと亮太郎。今日は、わたしたちだけで部屋を取ってあった。


「どうした? 花。疲れた?」


「ううん。わたしなんて、何もしてないもん」


 準備から何から何まで、わたしのお母さんや、亮太郎のお母さんに任せっぱなし。あんなによろこんでもらえて、罪悪感すら覚えてしまう。


「何もってことないよ」


 いつもの調子で、亮太郎が笑う。


「あ、花。シャワー、先に使ってきたら?」


「うん。ありがとう」


 それでも、どこかよそよそしさが感じられるのは、当然のこと。


 そうだよね、あんなことしたんだもん。誰に聞いたって、最低で最悪な花嫁だよ。ううん、わたしには、そんな単語を使われる資格もないって、わかってる。でも、それでも……。


「花?」


「……あ」


 我に返ったとき、亮太郎もすでにシャワーを済ませて、髪をふいていた。


「水とか飲む?」


「ううん。大丈夫」


 必要以上に、大きく首を振る。


「今日は、早めに寝よう。旅行は夏休みまで行けないけどさ、明日は横浜の方とか……」


「亮太郎」


「ん?」


 わたしが座っていた隣のベッドの中に入って、枕元の照明のスイッチを切ろうとした、亮太郎の名前を呼んだ。


「わたしも、そっちに行って、いい?」


「え? あ、いいよ。もちろん」


 亮太郎の意思を確認してから、亮太郎がいる隣のベッドに移動して。


「亮……」


「花」


 わたしと亮太郎が口を開いたのは、ほぼ同時だったんだけれど。


「あのさ、無理しなくていいよ」


 めずらしく、亮太郎の方がゆずらないで、先を続ける。


「そういうのは、花の気持ちの整理がついてからでいいから……花、どうしたの?」


「もう……」


 今までのことを思い出して、涙がこみ上げてきた。


「もう、いいかげんに……わたしのことなんか、嫌になっちゃった?」


「何言って……」


「わたしとなんて、そういうこと、したくなくなっちゃった?」


 こんなわたしには、同情とか哀れみとか、そんな気持ちしか残っていなくても無理はないけれど。今、それが悲しくてたまらない。


「そうじゃないよ、ただ……」


「ただ?」


「いつかみたいなのは、ちょっとへこむから。そうだ。昨日みたいに、手をつないで寝よ……花?」


 一度、つながれていた手を解いて、亮太郎に抱きついた。


「わたし、亮太郎のこと、好きになりたいの」


「…………」


「響くんのことを忘れるためとかじゃなくって。亮太郎を、もっともっと好きになりたいの。亮太郎を、わたしの特別にしたいの。だから……」


 言っていることがめちゃくちゃなのは、自覚している。それでも、わかってもらいたい。亮太郎が、わたしにとって、どんなに大切な存在なのか。


「……うん」


 かみしめるように、亮太郎がうなずいた。


「わかった」


「わかってくれた?」


 少し体を離して、亮太郎の顔を見る。


「うん。やっぱり、花は変わってる」


 なぜかうれしそうに、そんなことまで言う、亮太郎。


「わたし、本気なんだよ」


「わかってるよ。わかってるし、本当のことを言うと、俺も我慢の限界なんだ」


「亮……」


 押し倒された状態で、唇をふさがれて。それから、角度を変えながら何度かキスをくり返したあと、亮太郎は言った。


「途中で、花の気が変わっても、中断できないかもしれない」


「いいの」


 亮太郎の体に、しがみつく。


「怖くて、泣き叫んじゃうかもしれないけど。それでも、やめないで。絶対に」


「ありがとう、花」


 全然、ありがとうじゃないのに。その気持ちを伝えたいのは、わたしの方なのに……と、そうはいっても。


「可愛いな、花」


 そんな言葉を口にして、器用に服を脱がしていく亮太郎に、わたしの心臓もどうにかなりそうで。とてもじゃないけど、目を合わせることなんかできなくて、唇をかみながら、視線を横にずらしていると。


「花、こっち向いて」


 大きな温かい手で、顔を亮太郎の方に向けられた。すでに、わたしも亮太郎も、服は身につけていない。


「夢みたいだ」


 うれしそうにそう言って、亮太郎がわたしを包むように抱きしめる。


「亮太郎……」


 もっと早く、こうしていればよかったのかな。亮太郎の体温に、よけいな感情が全部溶かされていく気がする。不思議と、もう怖くもない。


 もう一度、今度は長い長いキスをする。知らなかった。こんなにドキドキして、体が熱くなるようなキスを亮太郎ができるなんて。亮太郎の指が、わたしの体に触れる。


「ん……」


 恥ずかしくてどうにかなりそうなのに、唇をふさがれているから、思うように声が出せない。そんな状況がじれったくて、でも、全然嫌じゃなくて。むしろ、苦しいくらいに、心も体も亮太郎を求め出していた。


「うれしいな。こんな花が見れるなんて」


 少し意地の悪い、見透かすような表情を見せた亮太郎に、体がびくりと反応する。まだまだ、わたしの知らない亮太郎がいるのかもしれない。こんな亮太郎、わたし以外の誰にも見せたくないと思ってしまう。


 でも、亮太郎は、初めてじゃないんだ。こんなふうに……ううん、最初は慣れていなくて、戸惑ったかもしれない。どんな人と? どんなふうに?


「花……どうしたの?痛い?」


 これは、わたしにとって、初めての嫉妬という感情だ。だって、そんな感情を抱くには、響くんは遠すぎたから。


「やっぱり、無理はしなくていいよ。今日は……」


「嫌。やめないでって、言ったでしょ?」


「うん。そうだった」


 いつもみたいに、亮太郎がふっと笑う。今、幸せだなと思った。絶対に、亮太郎を手放しちゃいけない。この先、わたしが同じ間違いをくり返さなければいいだけのこと。


「花、大好きだよ。ずっと前から、この先もずっと」


「わたしも。わたしも亮太郎が好き」


 亮太郎の体に、ギュッとしがみつく。


「響くんの次に?」


「違う……響くんとなんて、比べられない。ただ、亮太郎が好きなの」


「ずっと、その言葉が聞きたかった」


 強い力で抱きしめ返されて、満たされた気持ちで目を閉じた。例えば、わたしも亮太郎だけを大切に想い続けて。そのうち、子どもが生まれて、その子のこともたくさん愛して、誰からも愛されるような子に育て上げて。


 そして、わたし自身も、いつでも胸を張っていられるような自分になれたなら。そのときは、響くんもきっと、わたしを昔のように認めてくれるよね。


 いつか、そんな日がくるといいな。ううん、亮太郎がいれば、いつの日か、そんな自分になれる。わたしは、亮太郎と一緒に幸せになるの ―――― 。



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