わたしの選択



「あー、やっと決まった」


「席次表まで出来上がると、また実感がわいてくるね」


 お互いの大学が休みの今日、わたしの部屋でPCを使った作業をしていた。


 卒業してすぐの5月に籍を入れて、レストランで簡単な報告会みたいな食事の席だけを設けるつもりでいたんだけど、両方の両親に、せっかくだからとホテルで式を挙げるように説得され、準備を進めているところ。


 わたしも亮太郎も要領はいい方だから、卒論も早い時期に仕上がっていたし、問題もなかった。


「楓ちゃんとか、懐かしいなあ」


「報告したときは、びっくりされたよ」


「そうだろうね」


 クスクスと、亮太郎と笑い合う。


「楓には、よく言われてたんだ。絶対、わたしには亮太郎がいいって」


「そっか。じゃあ、楓ちゃんに感謝しないとなあ……いや、友達の助言なんか聞く、花じゃないか」


「うん。わかってるでしょ?」


「よーく、わかってる」


 いつかみたいに、大きくうなずいたあと。


「そういえば、花のお母さんって、出かけてるの?」


 何気ない感じで聞いてきた、亮太郎に。


「あ、うん。今日は仕事の日だから、夕方までは……」


 と、答えかけたところで、はっとした。


「ふうん……そっ、か」


 亮太郎の視線が、定まらなくなっている。


「あ、えっと……」


 一応、待つとは言ってくれた。でも、家に誰もいない中、部屋でふたりきりの状態で、そういう雰囲気にならない方が不自然。


「こっち来て、花」


「う……うん」


 戸惑っていると、手を引っ張られた。そのまま、わたしの体が亮太郎の胸に収められて、丁寧に髪を撫でられる。亮太郎のこと、好きだなあと思う。ずっと、このままでいてもいいと思うくらい。


 安心するし、気持ちいい。無意識に、わたしも亮太郎の背中に手を回して、力を込めると。


「花……」


 一度、その手を解かれて、短いキスをされた。いつもなら、そこで何もなかったかのような雰囲気に戻るのに、今日は違う。


「亮太郎……?」


 角度を変えて、少し長いキスをしたと思ったら、亮太郎の唇がわたしの首から肩に滑っていく。


「や……」


 どうしよう? 理屈じゃなく、怖い。本当に、これでいい? そんな思いが頭の中をぐるぐると渦巻いて、胸が苦しくなる。


「花……?」


 体中、ガタガタと震えていた。傷ついた目で、亮太郎がわたしを見ている。わたしは、どうすれば……と、そのとき。


「ただいまー」


 玄関から、お母さんの声。


「また、シフト間違えちゃった。金曜に振り替えたの、今週じゃなくて、来週……あ、亮太郎くん」


「すみません、お邪魔してます」


 お母さんがわたしの部屋のドアを開けたときには、わたしの向かいの位置に正座していた、亮太郎。


「ご、ごめんなさい。その、もしかして、帰ってきちゃまずいときに……」


「いえ……! まだ、何もしてません。大丈夫です」


 お母さんのよけいな発言に、亮太郎もめずらしく動揺して、よけいなことを返したりしていたけれど。


「よかった。亮太郎くんは、遊佐くんとは違……あ、や、何でもなかった。おいしそうなケーキ買ってきたから、一緒に食べない?」


「うん、食べる」


 お母さんのおかげで、重苦しかった空気がごまかせた。亮太郎も、いつもの亮太郎に戻って、この日は何事もなく終わった。


 ……ただ、この日以来、亮太郎と部屋とふたりきりになることがあっても、そういう雰囲気になることはなかった。大学を卒業して、式の日が目前に迫ってきても。多分、わたしは、亮太郎をすごく傷つけたんだ。


 わたしが亮太郎を受け入れられない原因は、わかっている。響くんのことが、頭をかすめたから……ううん、わたしの頭の中に、常に響くんがいるから。


 でも、わたしは亮太郎のことが本当に好きで、大切で、一緒に幸せになりたいと思っている。どうしたら、わたしは響くんを完全に吹っ切ることができるの?





「響くん……!」


 ホテルのロビーで響くんを見つけて、先に大きな声を上げたのは、お母さん。わたしの方は、結婚を翌日に控えているという実感もわかず、少しぼんやりとしていた。


「騒々しい親だね」


 お母さんを軽くあしらってから、わたしの前に立って、響くんが口を開いた。


「いよいよだね、花」


「うん。ありがとう、響くん。来てくれて」


 今日は、明日の式を挙げるホテルで、うちの家族と響くんが宿泊することになっていた。サプライズで、お父さんとお母さんには、ちょっといいお部屋を用意してあげたりもして。


 そして、夜は身内だけの前夜祭ということで、その四人での食事会をお父さんが提案してくれた。亮太郎は亮太郎で、泊まりにくる親戚の人の相手で忙しいらしい。


「亮太郎は、仕事どうなの?」


「全然、心配なさそう。上の人からも可愛がられるんだよ、亮太郎って」


「ああ、わかる。で、花は?」


「……わたしは、とりあえず、近所のスーパーのレジ打ち」


 不動産やら、IT関連やら、いくつか受かったところはあったんだけど、お父さんと亮太郎に猛反対されて。よっぽど、危なっかしく思われているみたいだ。


「スーパーで? へえ。花がスーパーでレジ打ちって、パンクだね」


「どうして?」


 スーパーのアルバイトの、何がパンクなの?


「ね、そうでしょ? わたしもそう思ってたの。レインコーツだよ。えーと、何だっけ? 曲名」


「『Fairytale in the Supermarket』でしょ? 名曲だね」


「そう……!」


 響くんの予想外のわけのわからない反応に、お母さんがうれしそうに身を乗り出す。そのようすを面白くなさそうに見ている、わたしとお父さんは相変わらずの似た者親子だ。


「それにしても、花がこんなに早く結婚しちゃうなんてねえ……寂しくなっちゃうね、遊佐くん」


 料理を取り分けながら、お母さんが息をつくと。


「いいんだよ。花には、安定感が必要なんだから。相手が亮太郎なんて、願ってもない。亮太郎以上の男、花にはいないよ」


 もっともらしい口調で、わたしを分析する、お父さん。そんな会話を横目に、響くんがわたしの方を見て、何か言おうとした、そのとき。


「響くんは、結婚しないの?」


 お母さんが、さらりと自然に切り込むから、むせそうになった。


「何? 俺? そんなの、いちばんどうでもいいよ」


 当然ながら、迷惑そうな反応の響くん。


「えっ? 結婚自体がどうでもいいの? それとも、この話題が?」


「両方」


「そ……そっか、ごめんなさい。失礼しました」


 いつものように、お母さんが響くんの冷たい視線に怖気づいて、この話題は終わると思ったら。


「結局、いつも結婚までは行き着かないよな」


 めずらしく、お父さんが引っ張り出した。


「そうは言っても、ちょこちょこと女とつき合ってはいるんだろ?」


「お父さん! わたし、これ食べたい、これ……えーと、海老とアボカドの生春巻」


 そんな話は聞きたくないし、響くんだって、この場で話したくもないはず。本っ当、お父さんって……。


「え? ああ。じゃあ、ついでに飲み物も追加するか。そういえば、花は飲んでないのか?」


「うん。今日は、いいの」


 お酒は、絶対に飲まない。だって、酔った勢いでのお願いだと思われたくないから。一ヶ月前に、今日は響くんも同じホテルに泊まるとわかったときから、ずっと心に決めていたことがあるから。





「じゃあ、明日の朝起きたら、電話するね。ロビーで待ち合わせでいいかな。花、眠れそう? 大丈夫?」


「大丈夫。明日、よろしくね」


 食事を終え、戻ってきたホテル。泊まる部屋の都合上、わたしと響くんが先にエレベーターを降りることになる。一応、お母さんと打ち合わせしてから、お父さんにも軽く手を振ったところで、扉が閉まった。


「今まで、ありがとうございましたとか。そういうの、やんなくていいの?」


「いいの。お母さんに、収拾できなくなるほど泣かれても、困っちゃうし」


「たしかにね」


 以前と同じように、楽しそうに笑う、響くん。


 嫌われてはいない。前回、お父さんと一緒に会ったときから、それはわかってる。


「……あのね、響くん」


「うん」


 待っていたように、響くんがわたしを見た。


「大事な話があるの。一回部屋に戻って、用を済ませてから……響くんの部屋に行ってもいい?」


 声が震えないよう注意しながら、一字一句考えたとおりの言葉を口にする。


「決めたんだね。いいよ」


 多分、響くんは、わたしの留学か、音大への進学の話だと思っている。


「ありがとう。じゃあ、一時間後くらいに」


「ん」


 わたしの決心を想像して、うれしそうだった響くんに背を向けて、早足で自分の部屋に戻った。


 そして、急いでシャワーを浴び、念入りに髪を乾かす。簡単なメイクまで終えた頃には、すでに小一時間たっていた。


 …………。


 鏡の前で目をつぶり、自分の意思を確認する。何もいらない。ただ、響くんに最初の人になってほしいの。


 そうしたら、明日から、わたしは亮太郎のことだけを考えて、亮太郎のためだけに生きていけるから。



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