わたしの告白



 ――――二十歳の誕生日。この数年間、今日この日を迎えたときのことだけを考えて、わたしは生きてきた。そう言っても、過言ではないと思う。


「おはよう、花。今日、誕生日だっけ。おめでとう」


「ありがと」


 いつもどおり、学校の午前中の講義にも出席する。声をかけてきたのは、高校からのつき合いがまだ続いている、亮太郎ファンの楓。結局、お父さんに説得されて、わたしは家と同じ沿線の短大に通っていた。


「お祝いしてあげたいんだけど、今日の午後も就職セミナーだわ。内々定の子もちらほら出だしてるし、あせるよね。週末にでもゆっくり、バイト代でおごってあげる」


「うん。期待してる」


 いつものように軽く笑って、ちらりと教壇の上の時計を見た。


 ……あと、8時間以内には、わたしは名古屋にいる。


「そういえば、亮太郎先輩は、大手出版社で決まりだって? すごい」


「意外と、面接受けとかもよかったみたいでね」


 わたしも亮太郎も同時に大学を卒業するのが、変な感じ。


「で、花は?」


「進展なし」


 というより、就職に関しては、何もしていないも同然。力を入れているのは、冬の大きなコンクールに向けてのピアノの練習だけ。


「もうさー、亮太郎先輩にもらってもらう方向で……」


 と、言いかけた楓が、途中で黙って、わたしの顔をじっと見てきた。


「ん? どうかした?」


「なんか、今日は感じが違う。花」


「そう?」


 かわすように笑って、わたしも楓を見返す。さすがに、楓もびっくりするだろうな。これから、お父さんの友達に告白しに、名古屋まで行くだなんて。


「わかった……! ついに、亮太郎先輩と進展があったんだ」


「だから、違うんだって。亮太郎となんて、想像もできない」


 なんとなく、そうくる気はしたけれど。


「ていうか、いまだに信じられない。相手が亮太郎先輩じゃないにしても、花が誰ともつき合ったことないっていうのが。変な話、キスもしたことないんでしょ?」


「する理由ないし」


「変わってるよね、花」


 むしろ、感心するように息をついたあと。


「そうだ。花にその気がないなら、ひさしぶりに亮太郎先輩に会わせてよ。最近、いい出会いないんだよね」


 けっこう本気っぽく、そんなことを言ってくる楓に、一応断っておく。


「亮太郎、彼女いるよ」


「えっ? そうなの?」


 普通に驚いて、楓が声を上げた。


「大学四年にもなれば、彼女がいる方が普通じゃない?」


「そりゃあ、そうなんだけどね。亮太郎先輩は、花一筋だと思ってたから」


「今まで彼女がいたことなかったら、心配になるでしょ」


「そっくりそのまま、花に返すよ。でも、なんか意外だったなあ」


 亮太郎に、彼女を作るようにけしかけたのは、わたし。だって、あの日の言葉どおり、本当に待たれたって、わたしが亮太郎の気持ちに応えられるわけではない。


 それなのに、わたしが縛りつけてるようになるのは嫌だから、亮太郎に言ったんだ。わたしが二十歳なら、亮太郎は二十二歳。そんな歳まで誰ともつき合ったことのない男の人になんか、魅力を感じないって。


 もっとも、本当に彼女ができたと聞いたときは、少し複雑な気持ちになったりして、そんな自分に軽く嫌悪感も抱いたんだけれど。


「じゃあ、亮太郎先輩とは会ってないんだ?」


「ここ数ヶ月ね」


 そろそろ、亮太郎の話題は切り上げたいと思ったところで、教室に教授が入ってきた。


「わたし、この講義聞いたら、すぐ出るから。就職セミナー、頑張ってね」


「んー……」


 あくびをしながら、眠そうに返事をした、楓。就活関連で、いろいろ頑張ってるみたい。


 わたしは、どうなるんだろう? 明日からの自分が、今は何も見えない。





 品川駅で飲み物を買うと、新幹線に乗り込んだ。席を確保して、息をつく。実感は、まだない。


 だって、響くんの顔を見ること自体、ひさしぶり。お父さんだけは年に数回、響くんが東京に来たときに外で飲んだりしていたみたいだけれど、だんだん、メールを送ることすら怖くなって、連絡もまともに取っていなかった。


 ただひとつ。


 毎年、わたしのピアノの演奏だけは、お父さんが響くんに送っていたのをこっそり確認してる。支えになっているのは、それしかない。


 今日だって、響くんの誕生日でもあるんだから、女の人と一緒に過ごしていることだって、全然ありうる。


 何だかんだ、高校生のときのわたしは子どもで、響くんがずっと独身だった理由は、お母さんが好きだからだと思い込んでいた。でも、いつしか、お母さんのことも微妙だと考えるようになった。


 お母さんが大事に思ってもらえていることは確かなんだろうけど、そういうんではなかったんじゃないかって。実際に、響くんが何人かの女の人とつき合ってたっぽい時期があったことも、感じ取っていたし。


 だから、せめて、歳の差を埋めることはできなくても、それ以外のことは全部差し引いて、わたし自身のことだけを見て判断してほしいの。


 それでだめなら、今度こそ……ううん、それでもきっと、この想いを簡単に断ち切ることはできないんだろうけど。


 車内に、名古屋駅に到着するというアナウンスが入った。震える手で、一泊分の荷物を持って、立ち上がる。外は、薄暗くなりかけているところ。駅を出ると、迷わずタクシーに乗って、響くんの住所を告げた。


 小さい頃、家族旅行で名古屋に来たときに、響くんと会ったことはあるけど、響くんのマンションを見るのは初めて。タクシーを降りると、その建物の大きさと雰囲気に驚いた。


 まさに、高級マンションという感じで、それだけで怖じけづいてしまう。でも、ここまで来たんだもん。エントランスに入ると、部屋番号を打ち込んだ。


「まだ帰ってない……よね」


 とりあえず、予想どおり、今は留守っぽい。大きく息を吐き出したあと、一度外に出る。夏の生温い空気。


 暗くなっていくにつれて、心細くなってきた。せめて、連絡くらいしてから、来るべきだったかな。でも、その勇気すらなかったし、今もない。


 このまま、響くんが帰ってこないで、会えなかったらどうしよう? ううん、たとえ会えたって、誕生日をお祝いする相手がいて、追い返されたら……。


「もしかして、花?」


「あ……」


 一瞬、頭が働かなかった。ずっと、聞きたくてたまらなかった声。ゆっくりと、顔を上げた。


「びっくりした。本物だね」


 四年前と、どこも変わったところのない響くんを前に、声にならない。ただ。


「何? 類とか璃子に黙って、卒業後のことの相談とか?」


 わたしへの態度も、変わらなすぎる。その自然さが、不自然なほど。


「響くんに、話があって」


 牽制されているのが伝わって、泣きたい気持ちになったけど、とりあえずはそんなふうに返事するしかなかった。


「荷物置いてくるから、そこで待ってて。駅の方の店に行こう」


「あ……うん」


 やっぱり、わたしを部屋に入れてくれる気配も全然ない。暗がりの中、一人自分のバッグの持ち手を握りしめながら、来てしまったことを早々に後悔し始めていた。





 響くんに連れてこられたのは、駅前の洋風居酒屋。


「ここなら、駅に近いから、帰りの時間の心配しなくても大丈夫だよ」


「時間なんか、何時になったって……」


 わたしの大きな荷物にも気づいているはずなのに、触れようともしてくれない。


「それにしても、誕生日によく来るよね、こんなところまで」


「響くんこそ。せっかくの誕生日なのに、仕事のあとの予定なかったんでしょ? わたしが来てなかったら、寂しい誕生日になってたよ」


「どうだろうね。夜は、これからだから」


 わたしの以前のような反応に、響くんは楽しそうに笑ったあと、少し目を細めた。


「花も、二十歳か……大きくなったね。おめでとう」


「ありがとう。響くんも」


 わかってる。これが、響くんの優しさだって。わたしのプライドを傷つけないように、これからも今までどおりでいられるように。だけどね、響くん。


「話が、あるの」


「そうだったね。ピアノのこと? それとも……」


「違うよ、響くん」


 首を振って、響くんの言葉を遮った。


「お願いだから、わたしの話をちゃんと聞いて。今日まで、ずっと待ってたんだから」


「…………」


 空気が変わった。わたしの気は変わらないと、響くんも観念したようだった。


「響くんが好きなの」


 できるなら、こんなざわざわした空間で打ち明けたくはなかった。でも、許してもらえないのだから、しょうがない。


「ずっと、響くんのことだけを想い続けてきた。二十歳の誕生日に伝えようって、決めてたの。やっと大人になれたから、だから……」


「冷静になりなよ、花」


 冷たささえ感じる、諭すような口調。


「わたしは……冷静、だよ」


 泣いちゃだめ。泣いたら、子どもだと思われる。


「最初から、わたしには響くんしかいなかったの。響くんを好きじゃなかったときの自分なんか、思い出せない」


「花……」


 響くんの表情が、苦しそうに歪んだ。


「響くんにも、同じ気持ちになってもらいたいとは望んでないの。ただ、わたしの気持ちを……」


「ごめん、花」


 遮るように、謝られた。まだ、伝えきってもいないのに。


「俺が悪い。全部」


「悪くないよ」


 そんなふうにだけは思われたくなくて、必死で首を振る。


「わたしの今までの幸せな思い出全部、響くんがくれたんだもん」


「そうじゃない。花が幸せだと思えるのは、類と璃子に大事に愛されてきたからだよ。俺は都合のいいときしか、花を可愛がってない」


「それも、わかってる。それでも……」


 これだけは、伝えずには終われない。


「わたしには響くんが全てなの」


 きっと必死で、目の前の響くんは言葉を選んでいる。こんな響くんを見ることになるなんて、考えていなかった。


「ごめんなさい。わたし……」


 ただ、好きな人に好きだと伝える夢をかなえたかっただけだった。それなのに、いちばん大切な響くんに、ここまでつらそうな表情をさせるなんて、なんて自分本位な願いだったんだろう?


「花が謝ることじゃない。ごめん。せめて、四年前のあのとき、はっきりさせておくべきだった。しばらく会わなければ、花の目も覚めるって、安易に考えてた。そのせいで、花の大切な時間が……」


「それは違う。そうじゃないの」


「花」


 響くんが、そらしていた目をまっすぐにわたしに向けた。


「花のこと、大好きだよ。花が生まれたっていう連絡を自分の誕生日にもらったときのことも、初めて花が俺に笑いかけてくれたときのことも、昨日のことみたいに覚えてるし……最初から、花は特別だった」


「お父さんとお母さんの子どもだし?」


「もちろん」


 いつもみたいに茶化すことなく答えたあと、響くんは続けた。


「物心ついてからも、花はすぐになついてくれた。頭がよくて、俺が昔挫折したピアノの才能もずば抜けてて、でも、ちょっとひねくれてて……そんな花が自分を慕ってくれることがうれしくて、調子に乗ってたのかもしれない。考えなしだった。本当に、後悔してる」


「後悔なんて、言わないで。お願いだから」


 それだけは。今までの時間を全否定する、その単語だけは。


「後悔じゃなくて、せめて……」


「せめて?」


「……反省、くらい?」


 響くんのために笑顔を作って、顔を上げると、響くんの表情もほんの少し和らいでいて、うれしかった。


「あのね」


 もう、聞くまでもないとはわかっているけれど。


「もし、わたしがお父さんとお母さんの子じゃなくて、歳もこんなに離れてなかったとしたら? それでも、わたしのこと、恋愛対象としては見てもらえない?」


 しばらく、響くんは考えていた。やがて。


「無理だよ」


 はっきりと、言いきられた。


「花とそのふたつのことを切り離しては、考えられない。昔も今も、この先もずっと」


「……うん」


「でも、だからって、類と璃子の子どもだからという理由だけで、花を可愛がってきたわけじゃない。それだけは、わかってほしい」


「うん……そっか」


 あと、もう少し。もう少しだけ、頑張らなきゃ。


「ありがとう、響くん」


 泣かないで、笑顔で。さっきだって、言ってくれた。頭がいいって。そんなわたしに慕われて、うれしかったって。


「子ども扱いしないで答えてくれて、うれしかった。これで吹っ切れたよ。わたしね、これでもよく男の人に言い寄られるの。亮太郎だけじゃなくてね」


「そうだろうね。あの類の血をひいてるから」


 わたしの気持ちをくみ取ってくれて、響くんも小さく笑う。


「わたし、ちゃんと幸せを見つけるから。心配しないでね」


「うん。花なら大丈夫だって、信じてる」


 響くんの言葉を聞きながら、幼い頃に書いた響くんへの手紙のことを思い出した。十年以上前のわたしも、今と同じことをしていた。


「えっと……じゃあ、帰るね。これ、わたしが頼んだ分」


 不意に、涙が抑えられなくなりそうになり、まっすぐ店の出口に向かったんだけれど。


「花」


 響くんに名前を呼ばれて、立ち止まった。


「何……?」


「小さかった、花に……」


 一度、迷うような表情を見せてから、響くんが続ける。


「あんな返事書かせて、ごめん」


「ううん」


 声は届かなかったと思うけれど、大きく首を振ってから、ドアを開けた。伝えたかったことは、全部伝えられた。でも、変わったことなんか何もない。ただ、響くんにとって、わたしがそういう対象になれないことを確認しただけ。


 それくらい、最初から、わかっていたのに――――。



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