第2話 一緒にいたいよ、ずっと
「私ね、遠くに引っ越しちゃうんだ……みんなと、鮫島と一緒にいれなくなっちゃうんだ」
「……え?」
大粒の涙を流しながら言った柊木のその言葉は衝撃的で、でもどこか夢のようにふわふわと浮かぶ。
その言葉を俺が受け入れられずに、ふわふわと宙に浮いてしまう。
「だからその一緒に……うっうっ……」
「え、その……えっと……取りあえず、ハンカチ! えっと、涙拭きなよ、柊木に涙は似合わないから!」
「……何そのセリフ、ばかぁ……ありがと」
ハンカチを受け取ってくれた柊木は、そのまま涙でぐしゃぐしゃな目尻を拭いたり鼻をかんだり……俺も衝撃的な事聞いちゃったから、クールタイムにはちょうどいい時間。頭を冷やして、思考を纏めるいい時間。
しばらく待っていると柊木が顔を上げる。
「落ち着いた?」
「うん、ハンカチありがと……えっと……」
「その辺置いといてくれたらいいよ、別に気にしないから。それより今はそっちの話、引っ越すってどういうことだ、柊木?」
初めてそんな事聞いたんだけど。そんな素振りも無かったし⋯⋯どう言う事?
そう聞くと、柊木はパンパンとほっぺを叩く。
気合いを入れる時に柊木がいつもするルーティーン……そしてその後は、空元気って相場が決まってる。
「……鮫島はさ、私がバイトしてしてるの知ってるよね? 私が部活にも入らずにずっとバイトしてるの知ってるよね? てかよく来てくれるよね、バイト先」
「う、うん、知ってる。あのパン屋さん、だよね?」
柊木は高校1年生のころからずっとバイトをしている。
確か週3で結構大きめのパン屋さんで働いてて、俺もたまにそこに朝ごはんとか買いに行くけどサービスとかもしてくれる、かなり嬉しいお店……柊木の関係をいじってくるのだけは恥ずかしいのでやめて欲しいけど。
「いつも来てくれてありがと。サービス、もっとするね……それでさ、私がバイトしてる理由は欲しい物があるからって言ってたよね」
「そんなこと言ってたね……何が欲しいかは聞いたことないけど」
誕生日にそれをプレゼントしようかと思ったけど聞けなかったし。
相当大切な欲しいものがあるんだと思ってた。
「……本当は欲しい物なんてないんだ。ごめんね、ずっと嘘ついてた……あのね、私がバイトしてる理由はね、あの、お母さんなんだ。お母さんのために、バイトしてたんだ……バイトは、最初はお母さんのためにしてたんだ」
「お、お母さん?」
意外な答えが返ってきて少しびっくりしてしまう。
お母さん……って事は病気って事かな?
お母さんが病気でお金が必要みたいな、でもそんな素振りも……ていうか、俺柊木母に何度かあった事あるけど、そんな感じでもなかったし。
優しくて、キレイで、天然で。
柊木の事一番に思ってて……あと、俺と柊木の事、すぐくっつけようとしてくる人。
「ふふっ、確かにそう言う人だね、私のお母さん……ふふっ、そうだね鮫島。それでね、お母さんのためにバイト、って言ったけど……うち、母子家庭なんだ」
「あ、そうなんだ。確かに柊木のお父さん、見たことないかも」
確かに何度か柊木の家には行ったことあるけど、いつ行ってもお父さんいなかったな。夜中までモンハンやってなし崩し的に泊った日も、お父さん帰ってこなかった。
他人の家庭に口出しするのはどうかと思うから何も言わなかったけど、母子家庭だったんだ、柊木。
「うん、母子家庭。私の本当のお父さんとは小学校の時にいなくなってね……でね、そのお父さんがすっごいクズだったの! それはもうありえないクズだったの、その男!」
「え、く、くず? え?」
え、くず?
柊木、めっちゃ感情込めて言ってるけど、そんな……え、クズ? 実のお父さんだよね!? お父さんなんだよね、柊木の!
そんな俺の反応に、柊木は目をカッと開きながら、
「うん、クズ! あんな奴、お父さんだと思ったことないし! アル中のギャンブル狂で働きもせずにパチンコ三昧、ボート三昧。勝ったら風俗で散財、負けても同じように散財! 家には一銭もお金を入れないくせにお母さんのお金に手を付けて、いつも家計は借金まみれの火の車! そして暴力野郎! お母さんの事、いつも殴ってて、お母さん傷だらけだった……でも、お母さん、お父さんの事大好きで。離婚とかそう言う選択肢は無かったみたい」
「……えっと、その、あの……」
え、何その話?
知らない、それに……え? そんな話、俺に一度も……ていうか柊木のお母さんもそんな感じじゃ……え? えぇ?
柊木に、そんな過去が……ま、マジで?
「マジだよ~、全部! 今は幸せだけどね、鮫島もいるし……で、離し戻すけど、本当にクズだった、あの男は。父親ともいえないただのクズだった……そんなクズだったんだけど、小学校の時にぽっくり逝っちゃってね。心筋梗塞だったかな、確か。それでようやく離れることが出来たんだけどまだ問題があって。借金、結構残ったんだよね。あの男が危ないところから借りた金、法律ではどうにもならなくてさ。うち、すっごい貧乏だったんだよね」
気丈に、元気よく振る舞おうとしてるけど、柊木の声は震えている。
色々な感情がグチャグチャになったみたいに、震えている。
……そう言えば、柊木の服は古着ばかりで「趣味なの!」って言ってたけど。
水族館も野球観戦も遊園地も「初めて!」って大興奮してたし、自転車もボロボロだったし。
制服も近所の人に貰ったって言ってたし……思い返せばそう言って事があったような気がする。柊木が貧乏なエピソード、結構あったな、そう言えば。
「お~、察しが良いね、鮫島は。古着好きなのは本当だけど、遊びにも行けないくらい、私貧乏だったの。そのせいで、中学校の時からこっそりあのパン屋さんでバイトしててさ。借金ヤバすぎて、私もバイトしないとダメだったの。生活が出来なかったし、その前にお母さんがぶっ倒れてしまう」
「……大変だったね、柊木」
「ああ、同情しないで、私も楽しかったんだから。大好きなお母さんと楽しく過ごせてたんだから。あの男が居なくなって、大好きなお母さんもいっぱい笑ってくれるようになって、暴力にも怯えずにすんで! バイトも店長すっごく優しいし! 楽しかったんだよ、私は本当に!」
「いや、でも……」
「それに怖い人もなんか私たちにはすっごく優しかったし! 相当クズだったんだろうね、あの男! あの男が作った借金だから、利子とか取らない、ゆっくり返せって……えへへ、怖い人たちからちょっと同情されてたんだよね、私たち! まあそう言うわけで、借金返済RTAのために、中学校の時からずっとバイトしてたわけです! 当然、友達なんて出来ないわけですよ! バイト詰めだからね、しょうがないね! ピース!」
「……そっか」
柊木は満面のピースを俺に向けてくれるけど、笑い話じゃないよ、この話。
俺は全く笑えないし、その……柊木の過去、何も知らなかった自分が情けなくなる。
大好きな人の過去を全く知らずに、呑気に過ごしていた俺が、恥ずかしくなる。
柊木はずっと笑顔で楽しそうで、本当に気まぐれの気分屋でハッピーな女の子だと思ってたけど。
でも、こんな事情があったなんて……俺、知らなかった。本当に知らなかった。
「んも~、笑ってよ鮫島! まあいいや、鮫島優しいからね……でね、そんな中学時代を送ってたんだけど、高校入って潮目が変わったの。お母さんに新しい彼氏が出来た……しかも、お金持ちのね!」
「……それは良かった?」
「まあ、良かったんでしょうね。借金も全額返してくれたし、私にも色々買ってくれたし……まあ、良かったね。お母さんも幸せそうだし、楽しそうだし。私の生活も潤ったし、そのおかげで鮫島とも遊びに行けたし……バイトは楽しいから続けてたけど、まあ幸せになったね、確かに。お母さんも私も、幸せになった! 特にお母さんがすごく幸せそうになって、私嬉しかった! お母さんが幸せで、すごく嬉しかった!!!」
そう口では言うけど、柊木の顔はどこか曇っていて、辛そうで。
身体ではわかってるけど、脳が理解してない……そんな風な表情で。
「……柊木、その人と何かあったの?」
「ううん、何かあったわけじゃないんだけど……あのね、お母さん結婚するんだって、その人と。そのお父さんとお母さん結婚するんだ……だからね! だからね!!! だからね、鮫島!!!」
作ったような表情ではあったけど、でも明るく楽しそうに話していた柊木の顔が一気に曇る。
そしてうっすらと涙を浮かべながら、俺の胸に飛び込んできて……!?
「ちょ、え、柊木!? 柊木!?」
「だからね、だから家出したいんだ!!! お母さん、新しいお父さんと結婚して、幸せになるの! それは嬉しくて、お母さんの事応援したい……でもね、私は嫌なの! 私は家出したいの!!!」
「ど、どう言う事!? どういう事だよ、柊木……新しいお父さんに何かされたのか!? なんか嫌な事されたのか、柊木!? そ、そう言う話なら俺も……」
「違う、そうじゃない。新しい彼氏さんはすっごく優しいし、頼りになる。お金持ちだし、本当にいい人……でもね、結婚する条件にね引っ越しがあるの……私、新しいお父さんについて行って、引っ越ししなくちゃならないの。遠いところに、引っ越さないといけないの」
「……!」
俺の胸で涙を浮かべる柊木に少し動揺しながら。
柊木の言っていたことに気づいて、ようやく理解する……そうか、そう言う事か。だから家出したいなんて……そう言う事か、柊木。
「うん、そう言う事……ねえ鮫島、私どうすればいいのかな? 嬉しいのに悲しくて、良かったのによくなくて……ねえ、どうすればいいかな? 私どうすればいいのかな? どうしたらいいのかなぁ?」
「……柊木」
「お母さん幸せなのは嬉しい、良い人と結婚して幸せになるのは嬉しい。お父さんも優しくていい人。だからね、私もお母さんも幸せになれるはず……でもね、嫌なの。心の奥が嫌って言ってるの、行きたくないって言ってるの……私、ずっと一緒に居たい、鮫島と、みんなと一緒にいたい……私、鮫島とずっと一緒が良い」
「……うん」
「学校行事楽しんで、一緒にお昼食べて、休みの日は一緒に遊んで、お泊まりして……初めてだったもん、幸せだったもん……失いたくないよ、離れたくないよ、一緒にいたいよ……やだよ、日向と離れるのやだよ、一緒にいたいよ……もっと一緒にしたいよ、色々……もっともっと、いっぱいしたいよ、日向と……ひなたぁ……」
「……柊木」
ボロボロと大粒の涙を流しながら顔を埋める柊木の身体を抱き留める。
華奢な身体が今にも壊れそうなくらい震えて、揺れて。
「お母さんについていくのが幸せなはずなのに。これまではそれでよかったのに、お母さんと一緒なら幸せだったのに……でも、今はダメなの。日向と一緒に居たいの、日向ともっと一緒に居たいの……日向と一緒じゃなきゃ、私ダメなの。私、日向と一緒に居たい、ずっと一緒が良い……ずっと一緒が良いの、日向と……!」
「……俺もだよ。俺も一緒が良い」
「そんな言葉いらない、そんなのいらないよ! 現実が欲しいの、みんなと学校行って、休日は日向と一緒で、一緒に色々遊んで、私の知らない色々日向に教えてもらって……そんな当たり前な現実が欲しいの、一緒にいたいだけなの……一緒にいたいだけなの……引っ越したくないよ、一緒が良いよ……日向と、一緒が良いの」
「……うん」
「やだやだやだ、離れるのやだぁ……ずっと一緒にいたいよ、一緒にいてよ……日向、私と一緒にいて。離れないで、ずっと一緒にいてよ、離れたくないよ……ひなたぁ……」
「……柊木」
大きな瞳を涙でぐしゃぐしゃにして、真っ赤にはらして。
いつものきまぐれさも陽気さも何もかもはがして、むき出しの感情で。
寂しい迷い猫のように涙を流して。
「やだやだ、ひなたぁ……私から離れないで、ずっと一緒にいてよ……やだよ、日向と離れ離れになるのやだよ……」
「……柊木、話がある。提案がある」
「……ひなたぁ? 離れないで、やだぁ……ひなたぁ、離れちゃヤダ、私とずっと一緒に居て……ひなたぁ……」
「大丈夫、大丈夫。それに大事な話だから。大事な話だからちゃんと目を見て話したい」
抱き留めていた柊木を優しく離し、そのままを肩に手をのせる。
涙でぐしゃぐしゃで真っ赤に腫れた大きな目をぱちくりと開いて、濡れた顔で俺の方を見てきて。
「柊木、もし……」
「……言わないで」
「え?」
「もし引っ越しても友達だよ、とかもし引っ越してもあっちでも友達作れるとか言わないで……そんなのヤダよ、私は日向とずっと……」
肩を大きく震わして、紅潮した頬に透明な涙を這わして。
……そんな事、言うわけないよ。俺だって柊木……亜理紗とずっと、一緒に居たいから! 俺も亜理紗と、一緒が良いから!
「そんなんじゃない。それに俺だってひい……亜理紗とずっと一緒にいたいから! 俺も亜理紗と一緒じゃないとダメだから!」
「ふぇ?」
「だからさ、ちゃんと聞いてほしい……もし、亜理紗さえよければなんだけど」
「⋯⋯ひなた」
「もし、亜理紗さえよければ、俺と一緒に……俺と一緒に……!」
「……うん」
「俺と一緒に、この家で……俺と一緒にこの家でくら「ちょっと日向! 日向! 聞いとるん? お母さん帰ってきたんやけど! それに女の子の制服あるんやけど! 何しとるんや、日向!」
俺の言葉を遮って、怒声にも近いような腹に響く大きな声が聞こえてくる。
それと同時にリビングの扉が開き、見知ったシルエットがずかずかと部屋に入ってきて。
「ちょっと、日向きいと……日向が女連れこんどる! しかも自分の服着せて、泣かせて……あんた何しとんの日向!」
「母さん、タイミング! タイミング悪い!!!」
最悪のタイミングで乱入してきた母さんに思わず叫んでしまう。
バゼルギウスかイビルジョーかよ、なんちゅうタイミングだよ母さん!!!
★★★
完結させてぇよ、いい加減。
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