安全とはいえ心配なのです

第4話

「…じゃあ、今日も仕事に行ってきますからね!それと今日はいつもより少し遅くなるので、大人しく家で待っていてくださいよ。くれぐれも、身勝手な行動はしないように!」


 蜜殿は家を出るまでの間、何度も私たちに向かってそう言った。そんな彼女に対していつも揚げ足を取るのが毛利殿で、早く行けと急かすのが石田殿。そして、何も言えずにいるのが私だった。


「全く彼女は本当に騒がしい子だね」


 そふぁという奇妙なほどに柔らかい椅子に腰をおろした毛利殿が、ふと思い出したようにそう言った。彼の手にはこの時代の出来事が詳しく書かれているしんぶんとやらが握られている。毎朝、届けられるそれを読むのが彼の日課となっているようだ。


「あれでも仕事をして、それなりに稼いできているんだ。女にしては頭はそこそこいいのだろう」

「いや、この時代は男、女と関係なく働いているようだよ。それに彼女は頭はまあまあだと、自分で言っていたこともあったから、君が思うほどいい出来ではないのだと思う」


 しんぶんから目を離さずに毛利殿が言った。それに対して石田殿はそうか、と素っ気なく答えると毛利殿よりも少し遅めの朝餉あさげを食べ始める。

 どうやら、石田殿は蜜殿曰く現代でいう低血圧というものらしく、朝はめっぽう弱いらしい。微睡まどろみが解けないままの表情で味噌汁を啜っている彼を一瞥いちべつし、私も朝餉を頂こうとてえぶるの方へ足を向けた。

 この時代のものは何もかもが便利だ。

 湯を沸かすのにまきなどは必要なく、がすというもので簡単に火を起こすことが出来てしまうし、食べ物も季節関係なくすうぱあという万屋よろずやで手に入れることができる。移動手段も馬や徒歩ではなく、くるまという鉄の塊で出来た大きなからくりのようなもので移動することができるらしい。

 何もかもが私たちのいた時代とは違う。生活の仕方も、話す言葉も同じ日の本だというのに。それが何となく寂しいような、誇らしいような言葉では言い表せないような微妙な気持ちになる。


「石田くん、今日もけいじどらまがやるそうだよ。勿論君も見るんだろう?」

「あぁ。あれは見ていて愉快だからな」

「それまで何をしていようか。散歩をするくらいなら外に出てもいいと蜜くんには言われているけど、残念なことに私はとても出かける気分にはなれないよ」

「そうだな。私も外に出たい気分ではない。蜜に教えてもらった南蛮の遊びでもするか?」


 食事が終われば私たちは今日一日、何をするのか話し合う。一人で何かを、と思ってもこの時代のことは蜜殿がいないと私たちには右も左もわからない。ある程度のことは教えてもらいはしたが、やはり一人で出かけるのは不安だ。彼女がいてくれた方が心強いし何よりも、安心する。


「真田、貴様は何がしたい?」

「え、わ、私ですか?特に何も思い浮かびませんので何でも構いません」

「そうか。なら、今日はとらんぷをするぞ」


 石田殿は手に持った赤と黒の小さな箱を掲げてそう、得意気に笑った。

 てえぶるの上にずらりと並べられた赤と黒の札。それらは全て裏返しにされている。これから蜜殿が教えてくれたしんけんすいじゃくという南蛮の遊びをやるのだ。同じ数字が描かれている札を二枚合わせるという遊びらしい。もし違う札同士をめくってしまった時は元に戻すそうだ。その札の数字と位置を覚え、次の自分の番になった時にまた引くらしい。その前に他の者に引かれることもあるらしいが、それが楽しいんだと彼女は言っていた。


「それでは始めるぞ。まずは私からだな」


 縦横乱れることなく、きっちりと並べられた札を石田殿は慎重な手つきでめくられていく。捲られた札は赤い文字で二と描かれているものと、黒い文字で六と描かれているものだった。真ん中に書かれている模様は二つとも全然違う。初めてとらんぷを見せてもらった時、模様の意味を蜜殿に尋ね、教えてもらった事があるがいまいちよくわからない。やはり、南蛮の事を理解するのは難しい。


「初めはやはり何処に何があるかわからないな…」

「そうだね。だから私は一番初めに何かをやるのは嫌いなんだ」


 石田殿の呟きに二番手の毛利殿が札を捲りながら答えた。先ほど石田殿が引いた黒い文字の六と同じ数字の札。色は違うが、確かに同じものだった。


「ふふ、今日は私が先に取ったね」

「…いいから、次を引け」

「そう急かさないでくれ。これだから、若い子の相手は苦手なんだ」

「見た目は私と大して変わらんがな」

「死んだときの年齢を言っているんだよ、私は。君よりもだいぶ老いてから死んだんだ。そんな君のことを若いといって何が悪いんだい?」

「いいから、早く引け!このまま貴様と話していては、先に進めぬではないか!」


 この二人は放っておくとすぐに言い合いになってしまう。

 蜜殿はよく毎日口喧嘩できますね、と呆れたように言っていたが私もそう思う。けれど、それをわざんざ言葉にしようとは思わない。もし、言ってしまえば私の方にも火の粉が飛んでくるのは目に見えているのだから。


「三と四、か。惜しかったかな」

「運は其処までよくないということだな」

「はい、じゃあ次は真田くんだよ」

「は、はい」


 毛利殿に話しかけられ思わず声が少し裏返ってしまう。すみません、と小さく謝りながら彼らが不機嫌にならないように急いで札を捲る。


「二、だね。揃っているよ」

「ということは…」

「もう一度札を引くことができる。ほら、早くしろ」


 同じ数字が揃った札を自分の方へ引き寄せてから、もう一度身を乗り出して適当な札を選びそれを捲る。そこに描かれているのは九という数字。しかも、二つ揃っている。


「今回連続で当てたのは真田か。いつもはあまり当たらないのに、珍しい事もあるものだな」

「そうだね。たまには彼にも運が回ってきているのかもしれないね」

「揃ったのが出たから、まだ真田の番だ」


 早く引けと言わんばかりに石田殿に見られ、慌てながら私はもう一度札を引いた。次に引いたのは五と一で数字は揃わなかった。

 それから何度かしんけんすいじゃくで遊び、昼前には遊ぶ事をやめた。

 時計の針が十一と六を示した辺りで蜜殿が用意してくれた昼餉ひるげの仕度を始める。少し早いが、まあ構わないだろうということで。

 ちなみにしんけんすいじゃくは私が一回、元就殿が三回、石田殿が二回勝った。


「今日もあのいんすたんとか?」

「いえ、弁当のようです」

「弁当、か。いんすたんとよりはマシだな」


 あれは味が濃くて舌がおかしくなる、石田殿は顔をしかめながらそう言った。その言葉に思わず苦笑いを浮かべてしまう。彼の言うこともわからなくはない。だが、その反面で蜜殿がいんすたんとを好む理由もわかる。あれは下準備がすごく簡単で、とても楽だ。不器用な私にでもあっという間に用意ができてしまうのだ。それに種類が豊富で、物によっては味が癖になりそうなものもある。


「私はこれがいい。この弁当の魚は美味しいから」

「そうか。私は魚はあまり好かぬ。生臭くて鼻が変になる」

「食わず嫌いなだけだよ、それは。あぁ、あと、偏見へんけんも入っているんじゃないのかな」

「うるさい。真田、貴様はどれにする?」


 石田殿が毛利殿を睨みつけた後、首を傾げながらそう尋ねてきた。


「私は…これがいいです」


 そっと一番端の弁当を指した。私が答えれば彼は嬉しそうに笑った。珍しく目を細め、唇が柔らかく弧を描いていた。その笑顔の理由を私は知っている。何故なら、石田殿の視線が真ん中の弁当を見ていたのを知っていたから。

 少しだけ弁当をでんしれんじという便利な機械で温めてから、お茶を用意しててえぶるの上で食べる。

 たくさんの種類の野菜に、程よく揚げられた肉、それに大根おろしが乗せられている。他にも様々なおかずが入っていたが、それが何だったのかいまいち私にはわからない。蜜殿がいてくれれば、これはなんだとかたくさん教えてもらえるのに。

 私たち三人だけの食事は非常に素っ気ないものだ。食べるだけ食べて他の者が食べ終わるのを待たずに、食べ終わったものから片づけを始めてしまう。会話はぼちぼちするが長続きはしない。此処に蜜殿がいればだいぶ賑やかな食事になるのだ。彼女はよく話すし、誰かが食べ終わるのを待ってから片づける人だから。


「そろそろ彼女が帰ってくる頃かな?」

「今日は遅くなるといっていたぞ。多分、どらまとやらには間に合わないのではないのか?」

「そうか…彼女がいれば茶菓子なんかを出してもらえるんだけどね」


 それは残念だ、と毛利殿は口にした。

 食事が終わると、それぞれが自由に過ごす時間になる。少し時間が経てば、石田殿たちが楽しみにしているどらまというものが始まる。それが始まればあっという間に時間は過ぎてしまう。気が付けば、蜜殿が帰ってくるのだ。


「茶の用意くらいなら私でもできる」

「それは嬉しいな。折角だからひとつ、頼んでもいいかな」

「あぁ。真田、貴様も飲むだろう?」

「あ、お願いします」


 石田殿の淹れるお茶は美味い。あの豊臣秀吉公でさえ気に入っているというほどのものだ。こんな事がなければ私なんかが飲める機会などなかっただろう。そう思うとこの不思議な現象も悪くはないと思う。


「今日の真田くんは考え事が多いね」

「え…そ、そうでしょう、か?」

「蜜くんがいないからかな?彼女がいる時はいつも楽しそうだから。今日は長い時間彼女がいないから寂しいんだろう」


 ふわりと毛利殿に微笑まれてしまう。思わず言葉を詰まらせて、反応を返せなかった。これでは、そうだ、と言っているようなものじゃないか。何かを言わねば、と考えれば考えるほど言葉はうまくまとまらず、辿々しくえっと、あの、そのと単語ばかりが口から溢れ出る。そんな私をじっと見つめながら、毛利殿が小さく笑った。


「実を言うとね、私も寂しいよ。彼女がいないと」

「え?」

「賑やかで騒がしい子だけど、彼女を見ているとね…自分の子を思い出すんだ」


 優しく細められていた瞳はふっと下へ伏せられてしまう。長く伸びた睫毛まつげが、青白い頬にかげを落とした。


「幼くて、すごく愛らしい子だった。人質に出したんだけど、そこで殺されたんだ…まだ、やりたい事も、知りたい事も数えきれないほどあっただろうに…」

「毛利殿…」

「その後にできた娘には同じような事はさせたくなくて必死だった。……蜜くんを見てると、何故だか死んでしまった娘と被るんだよ。死んでしまったあの子に」


 だから、私は寂しいんだよ。と毛利殿は呟いた。


「貴様は馬鹿か」

「い、石田殿…」


 手にお盆を乗せ、その上に湯呑を三つ並べたものを片手に持ちながら石田殿が現れた。いつも寄せている眉間の皺はさらに深く刻まれ、少し軽蔑の意を込めた視線を毛利殿へ向けながら、石田殿はもう一度貴様は馬鹿か、と一言。


「馬鹿、とは?」

「そのままの意味だ。生きているものに死んでいるものを重ねて見てどうする。それで亡くなったものが帰ってくるのか?そんなわけないだろう」


 それとほぼ同時にてれびに暗い音楽が流れ始める。毛利殿たちが楽しみにしているどらまのおうぷにんぐというやつが始まったらしい。


「あれは貴様の娘ではない」

「そんな事は知っているよ」

「重ねたところで貴様の娘は帰ってこない」

「それも知っているよ」

「蜜は生きている。あれなりに必死に、生きている」

「…ただ、娘に似ているような気がしただけなんだ。ただ、それだけだよ」

「貴様の娘がどんな娘だったのか、私は知らないが一つだけ言ってやろう」

「何だい?」

「蜜は蜜だ。それ以外の何でもない」


 そう、はっきりと石田殿は言った。

 蜜殿は蜜殿なのだと、それ以外の何でもないのだと。だから、死んだ者に重ねるなと。

 彼の言っている言葉は当たり前の事なのに、何故かその言葉がすとんと胸の中に落ちるように私の中に入っていった。何かがに落ちた、そんな感じだ。


「そう、だね…確かに、彼女は彼女だ。それ以外の何者でもない……」


 毛利殿は酷く泣きそうな顔をしていた。悲しみに満ちたような表情で、小さく呟いた。

 夕刻になっても、蜜殿は帰ってこなかった。いつもなら帰ってくるはずなのに。笑顔でただいま、と声をかけてきてくれる。だから私たちはおかえり、と返すのだ。そう言葉を返せば彼女はすごく喜んでくれる。幸せそうに頬を緩めて、もう一度ただいま、というのだ。


「今日は随分と遅いね…」

「安全な世とは言われているが、いまいち実感はわかないからな……まさか、何かあったわけではあるまいな?」

「それは…どうだろうね…」


 今までこんなに遅くなったことなどない。前もって遅くなる、と言っていたとしても必ず夕刻には帰ってきていた。

 蜜殿がまだ帰ってこない。

 たったそれだけのことなのに、私たちは不安になってしまう。蜜殿の前では決して見せない険しい表情で顔を突き合わせ、何かあったのではないかと話し合い始める。

 時計の針がかちこちと音を立てる。時間は悠々と進むのに蜜殿はまだ帰ってこない。いくら私たちで話し合おうともどうにかできるわけでも、連絡が取れるわけでもなくて。

 ただ、ひたすら彼女の帰りを待つ事しかできない。何もわからない自分が、何もできない自分がもどかしくて情けなくてたまらなかった。


「…私、見てきますっ」

「ま、待てっ!真田!」


 待ち続ける事に耐えきれなくなった私は、思わず彼女の家を飛び出す。後ろで石田殿の止める声が聞こえたが、それを無視しながら外用の履物を履き、扉を開けそのまま真っすぐ走る。廊下を少し進んだところに階段があり、それを駆け足で下っていく。一階、と書かれた看板が目に入りそれをすぐに曲がる。

 どこへ行けば彼女に会えるかなんてわからないのに、本能なのか。それとも勘なのか。適当に道を進み、しばらく進んだところでようやく足を止め、辺りを見回してからゆっくりと歩き出す。


「……あれ、幸村さん?」


 少し進んだ先で後ろから声をかけられる。はっとして顔を声のした方へ目を向ければ、暗がりの中にうっすらと蜜殿の姿が見えた。


「み、つ…どの…」

「え、えっ!どうしたの?もしかして、何かあった?」


 彼女の姿を見て安心したのか、ふいに身体に力が入らなくなってしまった。へたりとその場に座り込んでしまった私を見て彼女は駆け足で近寄って来てくれる。視線を合わせるように膝を地面につき、大丈夫、と顔を覗き込まれた。


「蜜殿…」

「ん、どうかした?大丈夫?」

「蜜殿…っ」


 地面についていた手を離し、彼女へと伸ばす。そのままぐいと抱き寄せ、肩に顔を埋めれば、彼女の香りが鼻腔をくすぐる。

 夢でも、幻でもない。間違いない。本物の蜜殿だ。


「ちょ、ゆ、幸村さんっ」


 自分よりも小さく、柔らかい身体。腕を伸ばし、抱き締めてしまえばその身体はすっぽりと私の腕の中におさまってしまう。白く細い首は片手だけで締め上げてしまえそうだ。首だけじゃなくて、着物の隙間から覗く四肢も、私のような男が強く握ればぽっきりと折れてしまうだろう。


「本当に…どうかしたんですか?」


 蜜殿の声が耳元でする。それがくすぐったくて、少しだけ身をよじらせた。


「……無事で、よかった」


 ようやく彼女の名前以外で絞り出せた声は、言葉は情けないほど小さく震えていた。

 そんな私の些細ささいな違いに気が付いたのか、蜜殿の手がゆっくりと上に持ち上げられる。腹の方から背に手が回されたかと思うと、とんとんと優しく叩かれる。

 まるで、母親が幼い子供をあやすかのような優しさでだ。


「ごめんね。まだ、慣れていないのにこんなに遅くまで帰らなくて」


 不安だったでしょ、とささやかれる。


「みつ、どの…」

「こんなに遅くなるとは私も思っていなかったんだけど…部長がどうしても、今日やらなきゃいけないものがあるって帰り間際に言い出したから、それをやってたら遅くなっちゃった」

「蜜殿…」

「連絡入れておいた方がいいかなと思ったりはしたんだけどね、そう言えば皆には電話の使い方教えてなかったって思い出してさ。それなら早く仕事を終わらせて帰ろうって思って頑張ったんだけど、結局心配かけちゃっているね」


 そう言うとごめんなさい、と蜜殿は言った。

 別に彼女は何も悪くないのに。ただ、私が我慢できなくて飛び出してきただけなのに。それなのに、彼女はごめんなさいと謝る。全然、謝る必要なんてないのに。そう思うと、じんわりと目頭が熱くなる。視界がぼやけて、周りがよく見えない。


「幸村さん、泣かないでよ」


 彼女が横で笑った。泣いている私に気が付いたのだろう。彼女は困ったように言った。


「…幸村さん、とりあえず向こうに公園があるのでそっちに行きましょう」


 するりと私の腕から抜け出した蜜殿は、小さな声でそう言った。

 彼女に連れてこられたこうえんとやらは、幼子が遊べるようにとたくさんの遊具があるところらしい。今は夜に近いせいか、辺りはほとんど真っ暗である。それでも、私たちのいた時代よりもすごく明るい。その事を前に蜜殿に尋ねた時にがいとうというものがあるからだよ、と優しく答えてくれた。


「ここなら平気だよ。ほら、ここに座って」


 べんちに腰をおろした蜜殿は自身の隣を叩く。私が言われたように大人しくそこに座れば、彼女は優しく微笑む。


「それで、幸村さん、何かあったのかな?」

「い、いえ、その…特に何もありませんでしたよ。皆、いつも通りに過ごしていましたので」

「そう。それなら、やっぱり幸村さんは心配になって家を飛び出しちゃったのかぁ…」

「も、申し訳ございません…っ」

「謝らないでくださいよ!今回のことは全面的に私が悪いんですから!」


 がいとうの光が蜜殿の顔を照らす。暗闇の中にうっすらと浮かび上がる彼女の顔は、少し照れているようにも困っているようにも見えた。


「意外と幸村さんは寂しがりやさんなんだね」

「い、いえ…そんなことはないとは思いますが…!」

「でも、私がいなくて寂しかったんじゃないのかな?だから、心配で外に来て私の姿を見つけた時安心しちゃった…そうじゃないですか?」


 違ったら私ただの自意識過剰じいしきかじょうな女だよ、と彼女は呑気のんきそうに笑った。


「ちが、い、ありません」


 私がそう答えれば彼女は、そっかと笑った。


「……私さ、今までほとんど誰にも心配とかされたことなくてなんだか、嬉しいな」


 こんな時なのに嬉しいんだ、と笑う彼女の笑顔は胸が締め付けられそうな程、切なくて儚げで。ぎゅっと心臓を掴まれているように胸が痛くて苦しい。自分の事じゃないのに苦しくてたまらない。蜜殿、と彼女の名前を呼ぼうとしたものの、私の言葉は彼女の言葉に遮られてしまった。


「でも、これからはなるべく心配かけないような時間に帰ってこないとね。幸村さんが飛び出してきちゃうから」

「す、すみません…」

「いいよ、謝らなくて。きっと家に帰れば、三成さんたちにこってり絞られると思うよ。まあ、それは私も何だろうけどね」

「それは…」

「ああ、毛利さんもそこに加わるだろうねっ!あの人なんだかんだ口うるさい人だから」

「お二人はそれほど貴女を心配しているんですよ…?」

「二人だけじゃなくて幸村さんも、でしょ?」

「え、それは…そうですが」


 私の言葉に蜜殿はおかしそうに喉を鳴らして笑った。肩を揺らしながら笑う彼女を見ていると、私もつい笑ってしまう。さっきまでの不安が、心配が嘘のように思えてしまう。へらりといつもみたいな笑顔を向ければ、彼女も同じように笑い返してくれる。

 たった、それだけのことがたまらなく嬉しい。


「幸村さん、ただいま」

「蜜殿、おかえりなさい」


 まだ、家にも着いていないというのに私たちは笑い合いながらそう言った。

 家の中に戻れば、鬼のような形相で立っている石田殿と毛利殿に出迎えられた。私は石田殿に、蜜殿は毛利殿にそれぞれ今回の事を叱られた。叱られるのは嫌いだが、たまにはこうやって誰かと一緒に叱られるのはいいかもしれない。

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