第1話

私は決して怪しい者ではありません!



 誓って言う!

 社会のほとんど全ての男性は、痴漢したいだとかDVしたいだとか幼い女の子を誘拐したいだとか、そんな事は夢にも思っていないのだ! と。だがしかし、一部にそういった不届きな事を行う輩がいるせいで全部がそうなのではないかと誤解されているという悲しい現実がある事もまた事実であったりする。

 魔法のiらんどネット小説大賞2021にて予選を通過させて頂いた拙著、「あの日の二人はもう居ない」において、主人公・ユータの父が全くの無実なのにも関わらず痴漢だと勘違いされてしまったというエピソードが出てくるが、何を隠そうあれは都内で実際に起きた出来事なのだそうだ。(ネットで見知った話をそのまま利用させて頂いたのである。ただしユータが次の日学校で二次災害に遭ったというのは僕の創作なのだが)。

 今さら言うまでもない事だし、分り切った事ではあるのだが、子孫を残すという事に関して、男性よりも生理的な限界値が圧倒的に低い女性は、しぜん男性よりも異性の選択に慎重にならざるを得なくなる。これが反対に、そしてまた同様に、男性の方が惚れっぽい理由でもある。旦那さんに先立たれた老齢の女性よりも、奥さんに先立たれた男性の方が残りの余生が短くなるというデータがあると何かで見知った記憶もある。要するに、男性が女性を必要とするほど、女性は男性を必要とはしていないのだ。この生まれついたサガが誤解を招きやすい理由の一つである事もまた同時に今さら言うまでもない事なのではあるが、一応念のためにまでに紙面を割いて再確認しておこうと思う。

 ではなぜこんな分かり切った事をわざわざ言い訳がましく書いたのかというと、何を隠そう、実は僕には全く無実だったのにも関わらず、白人の母親から幼児性愛者ペドファイリストと勘違いされかけた事があったのだ。

 それは友人と共に近くのスーパーへ買い物へ行った時の事であった。犬の散歩をしている最中と思われる中年の男性が、自販機の横のベンチに腰かけ休憩していたのだ。彼の目の前にはそれはそれは大きな犬がお行儀よくお座りをしていた。そしてそのすぐそばには、自分よりも大きなその犬を見て大はしゃぎしている白人の小さな、そしてとても可愛らしい女の子がいたのであった。

「うわぁ、デケェ犬!」

 僕はそう言いながらその犬の横にうんこ座りをして犬の頭を撫でた。そしてすぐ、その白人の女の子と目が合い、彼女との間に意思の疎通が生まれた。当然である、同じ犬を見て感動していたのだから…。ところがその直後、僕は視界の外側から嫌な視線を感じたのであった。ふとその方向を振り向いて見ると、スーパーの店内にいた白人の女の子の母親に違いない人物が、僕の事をまるで汚らしい物でも見るかのような目で見ていたのである(その二人が親子である事はもはや疑いようがなかった。およそ他の人種などそうそういないこの日本で、こんな至近距離に二人もいるのだ、しかも二人ともかなりの美女なのだ)。直後彼女はすぐに走り出し、出入り口へと姿を現した。ところでその時僕が何をしていたかというと、前述のとおり犬の頭を撫でているのである。それを見た彼女は、

「あ、なんだ、そういう事だったのか」

 と、安堵し切ったような表情をして見せた。恐らく店内いた時の彼女の視点からでは、犬だけが見えなかったのだろう。しかし何から何まで全て理解していた僕は、

「ん? どうかしたの? おばさん?」

 と、気づいていないフリをしてみせた(自分で言うのはなんだが、僕はとても優しいのである)。かくして、「私は決して怪しい者ではありません!」という事が証明されたのだ。ところがその次の瞬間、まるで事態を把握できていないのであろう小さな女の子は、母親を見ながら「ワンワン」と言ってさらにはしゃぎ出したのである。僕は女の子の方を振り向いた。すると再び僕の方を振り向いた女の子の瞳の縁が、一瞬エメラルドグリーンに輝いたのである。僕は思わず立ち上がり、その母親にこう叫んだ。

「She has such beautiful eyes!」

 何を隠そう、実は僕の母親は日本人とアメリカ人のハーフだった(おじいちゃんがアメリカ人だった。ベトナム戦争が遠因で日本人のおばあちゃんとは離婚したらしい)。幼少の頃、そんな母親から嫌々英語を習わされた事のある僕は、簡単な日常会話ぐらいならどうにかできるのである。拙著「あの日の二人はもう居ない」、およびその後日譚「真夏の風の中で(この小説も、『あの日の二人はもう居ない」と同時に魔法のiらんどネット小説大賞2021を通過させて頂いています)」や、「遠い海から来たエア・メール(ロサンゼルスと神奈川を結ぶ往復書簡体の小説です)」を読んで下さった方は、「つまりトニーはクウォーターだったってわけだ。どうりで作風が国際的なわけだわ」と、おそらく今ごろ手品の種明かしを見知ったような気分なのではないだろうか。…ともあれ僕の英語を聞いたその母親は、急にニコ〜ッと微笑みだしたのであった、…つい今さっきまで僕の事をめちゃくちゃ疑っていたくせに!


 僕が最も敬愛している小説家・太宰治は、その著書「男女同権」において、若かりし頃詩人を目指していた老人が、女性に傷つけられた過去の様々な出来事を披歴した後、「戦争が終わって世の中は平和になり、民主主義の社会になり、そして男女の権利もまた同権になった、だからこそ私は、これから大いに男性の権利を主張し、女性の悪を正そうと思います(趣意)」と執筆している。女性からすれば、

「それってなんて奇妙な話なの。そりゃあ確かに戦後の日本は表向きには男女同権の社会にはなったわよ。そうだとしても女の目から見ればとてもじゃないけど男女が平等に扱われているとはとうてい思えない事って多々あるのよ!」、と、文句の一つも言いたいに違いなかろう。だが、僕はここで敢えて、たとえ世の女性たちを敵に回したって構わない、「男女同権」の老人のように男性の権利を堂々と主張したいのである。

「もし犬の頭を撫でていたのが女だったらこんな事にはならなかったはずだ。これで分かったろう!? 男だってつらいんだよ!」、と。

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